【糸】蜘蛛の意図

 目の前に広がる光景を前に、いつかふたりで観た悪趣味な映画の一シーンみたいだな、と思った。


 それはあっという間の出来事だった。

 ばん、と扉が開かれると同時に、純白の美しかった教会内が鮮血で赤黒く染まっていく。

 ばららら、とやかましいのはたとえば結婚を祝う爆竹なんかじゃなく大量の銃弾だ。

 鉛玉はわたしのドレスにはかすりもせず、目の前の新郎と、奥の牧師を巻き込んで赤黒いペンキを塗りたくっていく。

 阿鼻叫喚。

 扉の前に立ち、サブマシンガンでこの状況を作り出した女は笑っていた。

 よく知った顔だった。


 誘拐された、ということになる。

 女は教会に集まったわたし以外の人間を皆殺しにし、わたしを連れて車に乗り込んだ。

 助手席のわたしは言葉が出ないまま、彼女の運転に任せてしまっていた。

「ごめんね、ちょっと手こずっちゃった」

 えへへ、と無邪気に笑う。

「あんな男と結婚させられそうになって、怖かったよね」

 よしよし。

「だって、ていちゃんはレズだもん、男と、結婚なんて、するわけないもんね」

 今度は返事を求めてくる。

「ええ、っと」

「大丈夫、ゆっくりでいいからね」

 もう少しで着くからね、と声音はあくまでも優しいまま。


 三千床寝々さんぜんどこねるね

 わたしの初恋。そして彼女の初恋。

 それで終わるはず、だった。


 懐から拳銃を取り出し、銃口を運転席へと向ける。

「三千床さん、今降ろしてくれるなら何もしない」

「何を言ってるの、ていちゃん。昔みたいに『ねるね』って呼んでよ」

「三千床さん」

 ぱん。

 がしゃん。

 銃弾がベールをかすめ、窓ガラスを割る。

「ていちゃんはどうしてそんなに聞き分けが悪くなっちゃったのかな」

 速い。

 冷や汗が頬を伝う。

「また、あの時みたいに遊んでほしいのかな」

 しょうがないなあ、ていちゃんは。

「やめて」

 お願いだから、そのあだ名で呼ばないで。


 寝々と知り合ったのは、家庭教師のバイトからだった。

 とはいえ彼女はヤクザの一人娘で、わたしはボディガードもできる人間として、どちらかといえば側近に近い存在としてそこに居た。

 で、うかつにも仲良くなってしまった。必要以上に。

 油断していたとしか言い様がない。もしくは、恋愛感情というものが抑えようのないものだという風に言い訳してもいいが、だからといって誰かが同乗してくれるわけでもない。 ヤクザの娘と家庭教師の安いロマンス。

 結果的に、組長に知られたわたしは放逐され、第二の人生を歩むことになり、今度はカタギの男と恋をし、結婚する、はずだった。

 なぜ目の前に寝々がいるんだろう。寝々がいて、わたしをさらっていくんだろう。

 かつての恋愛感情について、振り返らないわけではない。

 けれど、わたしにはもう終わってしまったもの。

 過ぎてしまった恋について懐かしく思うことはあるけど、別にやりなおしたいとは思わない。

 もう、そういう時は過ぎたのだ。


 ある日、寝々に別れようと言ったあと。

 起きたらわたしはベッドに張り付けられていて、目の前には泣きはらした寝々がいた。

 その時のことはできれば思い出したくない。

 およそ人間性というものをべりっと剥がされたような、人としての尊厳を踏み抜かれたような、ひどい拷問を受けた。


 あの寝々が、わたしをさらっていこうとしている。

 わたしが愛した人を、まわりの人を皆殺しにして。

 手先が、銃口が震える。

「撃てないって、わかってるんでしょ」

「やめて」

 撃鉄を起こす。

 わたしは撃てる。久しぶりだろうと、初恋の相手だろうと。

 自己暗示のようになってしまう時点で寝々の言うことは本当なのかもしれない、でも認めるわけにもいかない。

 ききっ、と甲高いブレーキ音がする。

 まずい。

 ばん、と音を立てて車から飛び出す。飛び出そうとした。

 ぐいっ。

 すごい力で引き戻される。

 ぱん、ぱん。

 慌てて引き金を引くが、狙いが定まらない。

 流石、と言えるようなものではないが、銃弾程度ではひるまない。

 目の前に寝々の顔が迫る。

 勢いをつけて寝々の唇を奪う。

「っ」

 そのまま舌を噛む。

 ぺっ、とシートの下に血を吐き出し、一瞬の隙を突いて今度こそわたしは車から飛び出す。

「これが慰謝料ってことで、どうかな」

「足りない、つか、別れる気はないって、言ったじゃん」

 袖で血をぬぐいながら話すその目つきはあの時のものだ。

「ていちゃんは、運命を信じてないのかな」

「そうね、少なくとも貴女とは」

 ぱん、ぱん。

 手元の拳銃に残っている弾丸を放つ。心臓を狙ったそれらは脇腹に当たり、じわりと血を広げる。

 笑みは崩れない。

 何か、怪物でも相手にしているような気持ちになる。

「えへへ、ていちゃんの未来、もらっちゃった」

 この状況でここまで言える寝々に恐怖を感じてしまう。

「ていちゃん。どのみちもう、ていちゃんに未来はないんだ。わたしと一緒に、うちの組で生きるか、うちの組と戦争するか。選ばせてあげても、いいけど」

 膝から力が抜けそうになる。

「わたしも、これから血を止めなきゃいけないから、選ぶなら早めがいいんだけど」

「その必要はないわ」

 ぱん。ぱん。ぱん。ぱん。

 残弾をありったけ撃ち込んで寝々を寝々だったものに置き換える。

「ねるね。やっぱり、終わった恋を蒸し返すのは野暮だよ」

 運命の赤い糸とやらは、実力で断ち切った。

 さて、どうしようか。

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