【夢】デイドリームジェネレーション

 その日、わたしは夢を受け取った。


 眠れないままに一週間が過ぎようとしていた。気でも狂うかと思うくらいぴりぴりと精神が興奮しているのがわかる。普段飲んでいる薬は効きやしない。

 メールが来た。

『十四時に喫茶 ひつじ で かくら』

 かくら、というのはわたしの友達で、入学当初にいじめられそうになっていたのを助けたのが仲良くなるきっかけだった。気むずかしい性格だけど、わたしには基本的にやさしい。

 喫茶『ひつじ』。どこにあっただろう。羊を探して街の中をうろつくことになったら、文字通りの夢遊病者のようだけど。

 スマートフォンの地図アプリを開いて場所を確認する。

 一週間眠らなくてもまともに動けているこの身体は異常なんだろうか、なんてことを思ったりする。

 でもまあ、いい加減、寝たい。

 一年ぐらい寝たい。オリンピックの年にだけ起きてきたい。植物人間どころか、植物の根元に埋まったまま養分を吸われていって死にたい。

 意識の、動作の、ひとつひとつが重い。

 一分一秒がゆっくりと感じる。そんな、漫画に出てくる必殺技みたいなのはいらないんだ。

 本当に。


 喫茶『夢』に着いたのは少し早く、十三時半を回ったところだった。始めたばかりだというデカフェのコーヒーを頼んで友人を待つ。

「おまたせ」

 待ち人、かくらはそれから少しして現れた。たぶん、そうだ。時計の数字では。

 無限にも感じるけど。

「眠れないんだって」

「そう」

「じゃあなんでコーヒーなんか頼むの」

「いや、デカフェだし」

「意味なくない」

「喫茶店だし」

「いや、わかんないけど」

 まあいいや、と向こうは勝手に納得して、かばんの中をごそごそと漁る。

「あった、これ」

 あげる、といって渡されたそれは、有名な睡眠導入剤だ。

「いや、それ効かなかったんだ」

「ん、ああ、いやいや違う。これ、名前入ってないでしょ」

 言われて観察すると、確かに本来薬の名前が入っているところに何も書かれていなかった。

「え、なんかやばいやつなの」

「だったらどうする」

 引っ込めてもいいけどさ、と軽く仕草をしてみせる。

「いや、なんなのこれ」

「うーん、夢かな」

「夢」

 思わずオウム返しにしてしまう。

「そ。いい夢が見られる薬」

「やっぱやばいやつなんじゃないの」

「じゃあ、いらないということで」

 少しだけ悩むが、結論はもう最初から決まっているようなものだ。

「そうは言ってない。買えばいいの」

「いや、最初はお試し」

 何ならここの支払い持ったげてもいいよ、ときた。

「もう何か、怪しい要素しかないじゃん。アウトレイジかよ」

「でも」

 にや、と向こうは意地の悪い笑みを浮かべる。

「もらうけどさあ」

 目の前の薬を自分のかばんに仕舞う。

 あと、支払いは別にいい。おこづかいわりとあるし。

「まあ、安心して。体に害があるっていう話は今のとこ聞いてない。ただ、夢見が良くなる睡眠導入剤だよ」

「信じろっていうの」

「信じるしかないんでしょ」

 それは、そうだけど。


 寝る準備を一通りしてから、ちゃんとぬるくしたミネラルウォーターで錠剤を流し込む。一錠。布団へ。

 たった一週間なのに、なんだかひどく久しぶりに横になった気がする。

 いやでも、そうか。一度も寝てないんだもんな、そりゃ一日が長い。そんなことをつらつら考えていたら、ふっと意識がかき消えた。


 知らない町の中にいる。

 その辺に自分と同じくらいの歳ごろの人間が歩いている。それ以外の年齢、というか世代は一切見かけない。

 変な町だ。たぶん、絶対、これは夢だ。

「いらっしゃい」

 出迎えてくれたのはかくら。

「おじゃまします」

 邪魔なんかじゃないよ、と珍しく真面目そうな顔で返事をする。

「ここは、あなたの町でもあるんだから」

「あ、そう」

 それはそれで、いやだな、という気持ちがうっすらあったりする。

 案内してくれようとするかくらに断りを入れて、ひとりで町を散策してみる。

 月の上に立っているのかというぐらい体が軽くて、夢の中であるということを感じさせる。それ以外は特に不思議なことも起こらず、それがかえって不気味に思えた。

 なんか、もっと夢の中らしい不条理なこととか起きたりしないの。

 ただでさえわたしはずるをして夢の世界に来ているのだ。そう思うとなんだか申し訳なく、肩身が狭いような気がしてきた。基本的に小心者なのだ。

 いや、そうとも限らないのかもしれない。

 かくらが出迎えてくれたのだ、きっと彼女も同じ薬を飲んでここに来ているのだろう。ということは、ここにいる全員が、あるいは多数が、少数であったとしても自分達以外にそういう人間がいるということだ。

 こういうことばかり考えているから眠れないのだと思う。

 どうやったらこの世界から戻れるんだろう、寝ればいいのか、眠れなかったらどうするのか、薬が切れたら勝手に目が覚めるのか。

 ぼんやり、考え事ばかりをしながら町を歩く。もう一つの町。何も変わらなくて、だからこそ変な町。

「空見てみ」

 いつの間にかかくらが隣に居た。

「ちょっと見づらいかもだけど、星が流れてるんだよ」

 目をこらす。うっすらと、空の一枚裏にあるような存在感の流れ星がすっ、すと流れている。

「起きたくなったら、あれにお願いするんだよ」

「そんなばかな」

「じゃ、試してみなよ」

「いや、まだ起きたくないし」

「ち、引っかからなかったか」

「引っかける以前の問題だと思うけど」

 相変わらずその辺をうろうろしているのは自分と同じくらいの世代の人間だけ。

「で、この町では何ができるの」

「何もできないね」

「まじで」

「まじまじ」

 そんなことを言ってまた現実に追い返そうっていうんじゃないだろうか、と一瞬だけ思ったけど、確かにその辺のひともぼんやり歩いている。ネトゲのロビーでももう少し活気があると思う。

「じゃあなんでみんなここに居るの」

「起きてみればわかる、かな」

「かくらはわたしに起きてほしいの」

「どうだろ、どっちでもいいけど」

 適当。

「でも、誰もいない町にひとりなのも寂しいんじゃない」

「えっ」

「やっぱり気付いてなかったか」

 あたりを見回す。確かに人がいる。見間違いじゃない。

「逆、逆。起きたらきっとわかるよ」

 でもたしか。

「それじゃあ、わたしが喫茶店でコーヒーを頼んだのは」

「虚空に向かって頼んでただけだけど」

 寝ぼけてたんでしょ、とばっさり。

「あなたに与えられた選択肢はふたつ」

 いきなり、審判にでもなったみたいにかくらが言う。

「ひとつ、このまま目覚めて誰も居ない町をいつまでもさまよう」

 今度は呼びに行かないからね、と一言添えられる。

「ふたつ、これから試練に挑戦するために新しい町に行く」

「どういうこと」

「ここはチュートリアル・マップだから。次から本格的に始まるんだよ」

「何が」

「ゲームみたいなもんかな」

 風雲たけし城みたいな。

 いやそれは知らんけど。

「勝つとどうなるの」

「それはわたしもわかんないけど。でも、何かご褒美が出るんじゃない」

「誰から」

「かみさま、かなあ」

 ぼんやりしてるなあ。

 かみさま、か。

「それじゃ、負けると罰が与えられるわけ」

「知らない」

 はっきりしてほしい。

 それでも気付いたらその辺にいたひと達は消えていて、試練に向かったんだよって言われて、わたしは困惑する。

 まあ、ずっと困ってはいるんだけど。

「天国に行けるかもしれないよ」

「地獄に落とされるかもしれないじゃない」

「じゃあ、現世でひとりふらついてくる」

「それもちょっと」

 これが誰かの夢だったらいいのに。

 わたしじゃなくてさ。

 それだけぼそっと呟いて、わたしは次のワールドとやらに向かった。


「いってらっしゃい」

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