緑の街〈Bank Band〉
世の中のイメージでいうところのスーパーカブというものは、おじさん臭く汗臭く、おまけに泥除けがダサい──というのである。
ところが、である。
上原カナが見かけたのは、グリーンも鮮やかにカスタマイズされた、およそスーパーカブらしからぬカスタムカブであった。
カナにすればそれは新鮮な驚きであったようで、
「スーパーカブって、あんなに垢抜けた感じに変わるものなんだねぇ」
まるでイメージチェンジして興味を惹かれるようになる、恋の始まりのようにも近い、不思議な感覚をおぼえた。
それは泥除けとカナが呼ぶレッグカバーが小さくカットされたもので、フロントフェンダーも純正品ではなく、クロムメッキも眩しいスチール製であり、さらにはサイドバッグまで備え付けられてある。
ちょっとしたイタリアかフランスのバイクのような雰囲気すらあって、それが停まっていたのは、カナがよく行くアンティークジュエリーの雑貨屋の隣にある、小さなカフェの店先であった。
雑貨屋のオーナーである中須ことりによると、
──常連の矢澤さんのバイク。
との由であるらしかったのであるが、それ以上のことはわからない…との話であった。
しばらくして。
スマートフォンをどこか置き忘れたらしいカナがあちこち訊き回っていたとき、
「どうしました?」
と様子を見ていたのか尋ねてきた、和柄のスカジャンを羽織った男がカフェの前にいた。
「…実はスマホをなくしたらしくて」
「一緒に探してあげますよ」
その和柄のスカジャンも一緒になって探していたところ、アンティークのジュエリーショップから少し歩いた駐車場の車の下に、スマートフォンはあった。
「何かのはずみで転がったんですかね?」
近くから拾ってきた木の枝を、和柄のスカジャンは器用に引っ掛けて、スマートフォンは無事にカナのもとへ帰ってきた。
「ありがとうございます」
「じゃあ自分はこれで」
和柄のスカジャンはそのまま、カナの礼も受けずに帰って行ってしまった。
何日かしてカフェの店先でばったり再会したのだが、そのときに和柄のスカジャンのバイクが例のカスタムカブであることがわかった。
降りようとしていたところであったからである。
「常連の矢澤さんって…」
カナも和柄のスカジャンも驚いたようであったが、
「まだお礼をしていなかったので」
カナは一緒にカフェへ入った。
カフェの内部は、アメリカの古びた雑貨やらネオンサインが飾り付けられた調度で、
「あ、自分はコーヒー」
「じゃあ、私はクリームソーダ」
こういうときには無難なクリームソーダをカナは頼む。
和柄のスカジャンはみずからを矢澤
カフェのオーナーとは大学時代の仲間で、
「それでこいつがカフェ出すって話になったから、少しだけ出資して、でもそのぶんサービスしてもらったりもしてて」
それでよく来ているのだというのである。
カナが何気なくクリームソーダを飲んでいると、
「女子ってやっぱり、甘いものが絵になるなぁ」
一慶は小さく言った。
話しぶりから一慶には恋人はいなさそうであったが、別にカナを口説こうといったそぶりもなかった。
「うーん、恋愛はもういいかなって」
何か懲りたような、何か諦めたような醒めた言い方を一慶はしていた。
カナはそこだけが引っかかったが、深く追及するまでもないと思ったのか、気づいたら雨も降り始めていたのもあって、長く引き止めるようなことはしなかった。
そうした淡々とした関係が続いたあと、カナは一慶から頼まれごとをされた。
「姪っ子の誕生日のプレゼントを買うんだけど、女の子の好みが分からなくて」
聞けば一慶は男兄弟しかいなかったらしい。
「それで、カナさんの意見が聞きたくて」
歳は一慶のほうがひと回りほど上のはずだが、なぜかカナをさん付けで呼ぶ。
そうしたいきさつでカナは一慶の買い物に付き合ったのであったが、その帰路に小さいながら事件はあった。
「一慶…新しい彼女?」
見たこともないような息を呑むほどの美女から声をかけられたのである。
「…おしあわせにね」
「もういい加減、振り回さんといてくれんか」
一慶の地金なのか、方言らしきイントネーションが出た。
「…うん、悪かったよね」
そう言って彼女は立ち去ったのであるが、
「ごめん…カナさんごめん」
穏やかさや平静さは失われて、どこか動揺を隠せないままの一慶の姿があった。
何日か過ぎた日曜日、お詫びにと一慶はカナをツーリングデートに誘った。
「海のそばに、レンガづくりのカフェがある」
というので、一慶の後のピリオンシートに乗せてもらい、例のカスタムカブで海岸を目指した。
海までは三十分もかからなかった。
「着いたよ。ここ、パンケーキ美味いんだ」
一慶はよく一人でカフェ巡りをしているらしい。
「この前は変なことに巻き込んでしまって…あいつ、ことあるごとにかき回すんだよなぁ」
苦笑いを浮かべながら、一慶は美女が元の彼女であること、彼女の裏切りで別れたこと、たまにそばにあらわれてはかき乱されて今は恋愛を諦めたこと──など、ところどころ笑いを交えながら明るく話した。
しかし。
一慶が明るく語れば語るほど、カナは内心一慶が深く傷ついていて、それでもカナに気を遣って、楽しませようとしていることが、手に取るようにわかってしまうのである。
「…あの、一慶さん」
「あ、何か予定があるなら送るよ」
「そうじゃなくて」
「一慶さんって、優しいんだなって」
「?」
一慶はことさらにキョトンとした顔をした。
カナはカップをソーサーに静かに置いた。
「でもね一慶さん、彼女を大切にしようとすればするほど、自分を否定してしまうのは、何か違う気がする」
一慶は目を伏せた。
「否定はしないけど、それは一慶さんらしくないような気がする」
一慶は、うなだれたまま小さく声を発した。
「そうなんかなぁ…アカンのとちゃうのかなぁ」
おそらく抑え込んできたものかもしれない関西弁が、ポロッとこぼれた。
「関西弁は怖いって言われたから東京弁に直して、なるだけ優しくしようとしてきたけど…何があかんかったんか分からへんくてやね…」
それまで何があったのかはわからなかったが、とにかく必死に彼女に合わせて生きてきたことだけは、カナにも察せられた。
「…私ね、飾らない人がいいなって思う。だから、一慶さんも無理をしないほうがいいのかなって」
しばらく考え込んでいたが、
「…ありがと、カナさん」
普段の穏やかな一慶の笑顔に戻っていた。
晴れた朝、カナは一慶にツーリングデートをせがんだ。
一慶は断らなかった。
「カナさんが希望するなら」
「一慶さんは?」
「まぁ自分も、カナさんなら一緒にツーリングしたいなって」
「やっと素直になったね」
このあとどんな展開になるのかまでは天の配剤で互いにわからないままではあったが、それでも今の段階では悪い方向には進まないような気だけは、カナも一慶もしていたらしい。
スロットルを開いて、タンデムのカスタムカブはカナがリクエストした海岸の方へ消えていった。
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