White First Love〈小宮有紗〉


 目が冴えてしまった深夜二時、カスタムカブを駈って高台まで転がすと、行き交う車や夜景を見て、小一時間ほどぼんやりしているうちに、次第に闇に包まれていた空が明るみを取り戻してくる。


 高台からははるかに海が見渡せて、南大也だいやは気持ちが鎮まると、そのまま帰宅するか仕事へ向かうか──というのが気分転換になっていた。


 その日もそのまま帰るつもりであったのだが、このときはどうして来たのか分からなかったが、ポツンと女が佇んでいて、


「…どうも」


 と会釈をしたが、何とも要領を得ない。


「…Do you speak english?」


 見た目からアジア系の外国人であることは察せられた。


「What happened?」


 少しだけ英語の話せた大也は訊いてみた。


 要約すると、彼女は夜景を見に来たのだが、唯一の足である自転車を盗まれてしまい、日本語もままならなかったために、途方に暮れていたらしかった。



 彼女はみずからをルビーと名乗った。


 あとから知ったがフィリピン系の子で、日本語学校に通いながら藤沢の居酒屋で働いている…とルビーは片言の日本語で語った。


「…うちは大也だから、うちらジュエリーみたいやな」


 こうしたときに大也は、地金の播州弁が出る。


 少しいかつい顔の日本人がダイヤという名前であったことに少しく興味を持ったらしいルビーは、大也のカスタムカブを指さしながら、


「Is it your bike?」


 と訊いた。


「…送ったるわ」


 置いていくのも気が引けたものらしい。



 ルビーは茅ヶ崎の駅のそばに家があるらしかったが、多くは語らない。


 それでも茅ヶ崎駅の北口まで送れば帰れるらしかったので、大也は駅の北口のそばのコンビニまで送ると、彼女が角を曲がって消えるのを見届けてからスロットルを開いた。


 ルビーと会うようになった大也は、茅ヶ崎駅で待ち合わせてルビーを後ろへ乗せると、誰もいない時期外れの柳島の海岸や相模川の河川敷で二人でぼんやりと英語でしゃべったり、少し足を伸ばして鎌倉でデートをしたりしたのであるが、


「…ありがと」


 と訥々とした感謝を述べるのだが、あまり語ろうとしないところをみると、ルビーは人見知りをする気性のようであった。



 それでも一度だけルビーが、日本の伝統的な場所に行きたいと言ったので、鎌倉の鶴岡八幡宮へカスタムカブでツーリングをしたことがあった。


 海岸通を江ノ島から抜けると、腰越で電車と並走するように走り、昼下がりの八幡宮へと来る頃には道も少し混んでいた。


 駐車場に停めたあと能舞台のあたりまで歩くと、白無垢に綿帽子の花嫁と朱傘の列に遭遇した。


 大也は何度か見て慣れていたがルビーは初めて見たらしく、


「That is?」


「Bride procession」


 花嫁だと説明をすると、ルビーは石段の先の社殿に白無垢が消えてゆくまで目をそらさずに凝視していた。


 石段の上の本殿で参拝だけすると、大也とルビーは糸巻の形をした縁結びの御守をお揃いで買った。


 別にルビーとは何の恋情もなかったのだが、少しは日本らしい物がいいだろう──といったような単純な思いつきに近いところであったのは、いつわらざるものであったかも分からない。



 そのあと少しはルビーとツーリングでデートを楽しんだりした。


 帰りに茅ヶ崎駅に着くと、


「…ありがと」


 たどたどしい日本語のあと、ルビーは大也にふんわりとキスをした。


「…You're kind」


 ルビーは好意を懐き始めていたのかも知れない。


 それからもたびたび休みになると逢っていた二人は、


「ワタシはアイシテマス」


 片言の告白をされたあと、ときどき身体を合わせたりする関係になった。


「これは…一応、恋愛なんかなぁ」


 などと大也はもやもやした感もなくはなかったのではあるが、それでもルビーの想いに応えようとは思っていたらしく、一緒にいられる限りは二人で過ごした。



 そうした付き合いが続いたのだが、大也が一週間ばかり出張をして戻ってくると、ルビーと連絡がつかなくなった。


 急に連絡がつかなくなったので心配もしたが、茅ヶ崎駅に行って待ってみてもルビーらしき人を見つけることは出来ず、そのうち仕事も忙しくなって、自然に消滅するようなかたちで別れたような恰好になっていた。


 それが。


 何ヶ月か過ぎた頃、何気なく入った出先の定食屋の備え付けの新聞のちいさな記事で、ルビーの写真を見つけた。


「不法入国移民、強制送還へ」


 という記事であった。



 記事にはルビーが日本語学校に行けず、まるで奴隷のように働かされていたこと、ビザが切れても帰国のための資金すらなかったことなどが書かれてあり、


「それでも日本人は優しかった」


 と、移送される前に記者に語った言葉が残されていた。


 ときおり見せるルビーの笑顔や寂しげな表情が大也は思い出されて、ぼんやりしながら運ばれてきた定食を食べたのだが、残酷な事実が分かった散々な日であったにも関わらず、定食は美味かった。



 休みが来ると、大也はいつものようにカスタムカブを繰り駆って、ルビーのいない柳島の浜まで転がした。


 季節外れで誰もいないのは変わらなかったが、隣にルビーがいないぶん、余計に大也はもの寂しかったようで、しばらく座って海を眺めていた。


 やがて。


 名前のわからない一羽の小鳥が、目線の先の流木にとまった。


 しばらく鳴きもせず首だけを動かして小鳥はとまっていたが、そのうち雲の裂け目から光芒がさしてくると、導かれるように小鳥は去っていった。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る