記念撮影〈BUMP OF CHICKEN〉

 スーパーカブでロングツーリング──という、もしかしたらよくある話かもわからないが、その最中に逢坂おうさか一海は、京都のこくていに近い宿坊に泊まったことがある。


 一海は小樽からフェリーで敦賀まで出て、湖西の鯖街道を京都まで馳せてきたのだが、京都で札幌ナンバーは嫌でも目立ったようで、


「えらい遠くから来はりましたなぁ」


 などと声をかけられることがしきりであった。


 ともあれ市内を流しながら気になった観光地をめぐり、宿坊に着いたのは夕方である。


 基本的に宿坊は素泊まりだが朝飯だけは出る。


 夕飯は各自が持参するのがルールで、一海は錦市場で買った惣菜をいくつか宿泊者が集まる食堂へ持って、ルール通り食堂の隅の机に惣菜を広げて食べ始めた。



 食堂では全国各地から来た旅人が集まって一堂に食事をするのだから、おかずの交換会ぐらいはよくある話で、旅慣れていた一海は、小樽のセイコーマートで大量に買った夕張メロン味のキャラメルを、交換のついでに配った。


「あんたは食べないの?」


「帰ればいくらでも買えるから」


 一海にすれば夕張メロン味なるものは地元の夏の味で、別に急いで買わなければ困るものでもない。


「やっぱり北海道行ってツーリングしたいなぁ」


 スーパーカブに限らずライダーたちにすれば、北海道は聖地であるらしい。



 そのとき。


「あの…交換しませんか?」


 珍しく女の声がした。


 向き直ると、クッキリとした顔立ちの茶髪の女性がたたずんでいる。


 オレンジのシャツ姿で、手にはお菓子らしき箱の入った、小さなレジ袋を提げている。


「全然、大丈夫ですよ」


 一海は基本的に頭ごなしに断わったり、不愉快にさせるような物言いはほとんどしない。


 すると茶髪の彼女は緊張をほどいたのか、


「ありがとうございます」


 初めて笑顔になった。


 例のメロン味のキャラメルの一箱と交換で来たのは、御幣餅味のスナック菓子と、鮮やかな黄色の御守であった。



 彼女はみずからを関根かすみ、と名乗った。


「バイクって楽しいですよね」


 聞けば免許を取得してまだ間がないらしく、今回バイクで初めて遠出したらしかった。


「あおられるんじゃないかってのが、いちばん怖かったです」


 かすみは屈託なくコロコロ笑う。


 ちなみに御守はかすみの地元の東京の神社のそれらしく、


「何の目的もなく買ったんですけど、確か札幌でしたよね?」


 自己紹介で聞いて、くれる気持ちになったらしかった。


 スーパーカブのロングツーリングで女性というのはかなり珍しい。


 それだけに他のライダーやバックパッカーで色めき立ったなかには、平然とナンパをしてくる者もなくはなかったが、一海は一顧だにせず、


 ──そんな浅はかな愚をしてどうするのか。


 といったような顔で、むしろどこか突き放したような目をしていたらしかった。


 かすみはそんな一海が、気になったらしい。




 何日か京都の宿坊で過ごした一海は、すっかりかすみのことなど頭から抜けていた。


 翌日には新たな目的地に向かっていたからである。


 奈良まで足でも伸ばしてみるつもりになり、宇治から奈良へ入ると、春日大社の近くにあった駐輪場にツーリング仕様のスーパーカブを停めて、玉砂利の参詣道を歩いた。


 すると。


「一海さん…ですよね?」


 振り向くと、かすみがヘルメットを片手に駆け寄ってきた。


「こんなところでまた会うなんて思わなかった」


 聞けば例の京都の宿坊でナンパしてきたのがいたので、奈良のバックパッカー用の宿に今はいるとの由であった。


「一海さんは、宿は決まってるんですか?」


「今日来たばっかりで…まだ実は決めてなくて」


「…じゃあ、私と同じところにしませんか? …知ってる顔がいるだけでこっちも安心だし」


 かすみは少しだけいたずらっぽく、舌を出して照れ笑いを浮かべた。


 かすみのバックパッカーの宿は、郡山の城跡の近くの町家をリノベーションした和モダン風の普請で、かすみがリトルカブに乗っていることも、このとき初めて知った。


「リトルカブって取り回しが楽だから、女子に人気があるんですよね」


「でもつま先が…ちょっとね」


 今度カットレッグシールドにカスタマイズしようかな──というようなことをかすみは述べた。


 かすみが先に電話で話をつけてあったからか、宿では気を利かせたものか、かすみの向かい側の部屋を用意してくれてあった。


「それじゃあかすみさん、また」


 一海は部屋で荷物を解くと、着替えたあと荷物を整理したり本を片付けたりしていたが、しばらくしてノックの音がした。


「入るね」


 見るとかすみは普段着のシャツに着替えていた。


「…そのロゴ、有名な大学のだよね」


 一海のポロシャツのロゴを見て、かすみは言った。


「あー、これね。イトコが家に置いてって、いらないからあげるって言われてさ」


 違う大学なのに、と一海はオチまでつけた。




 かすみはコロコロ笑いながら、


「一海さんみたいな男子だと、モテるんだろうなぁ」


「いや、そうでもないよ。振られたばっかりだし」


 気持ちをリセットしたくて、ロングツーリングに出たようなところはあったらしい。


「そういうかすみさんも綺麗だから、彼氏さんいるんでしょ?」


「うぅん、今はいない」


 かすみは彼氏に浮気されたこと、その現場に出くわしたこと、さらにはその浮気相手が後輩の男子で、


「彼ね、実は女子より男子のほうが好きなんだって言ってさ…そんな大事なこと、早く言ってほしいよね」


 かすみの眼が潤んでいるような気がした。


「うーん…でも、東京に帰ったら新しい出会いがあるかも知れないし」


「だけど、ツーリングしてて思ったのは、男ってすぐナンパみたいに近寄ってくるのばっかりなんだって」


 一海は言葉に詰まった。


「でも一海さんだけは違って、こっちが声をかけるまで、なんにもしてこなかったし」


 それは単に関心が薄いだけのような気も、一海はしなくはなかったが、こんなところで喧嘩をするのもつまらないと思ったのか、反論はしなかった。


「だから新しい彼氏は、例えば一海さんみたいに何にもしてこない人がいい」


 思わず一海は苦笑いをした。


「…本なんて積んでるんだ?」


 かすみの視界の先には、サドルバッグから出して無造作に積まれた本がある。


「フェリーだと長いから、普段読まなさそうなものだけ積んだ」


 というそれには、池波正太郎やら海音寺潮五郎の本やらが並んでいる。


「歴史物なら娯楽って割り切って読めるし、それに誰かにあげたりしても困らないし」


 そういうと、一海は一冊のエッセイ本をかすみに渡した。


「これ、女性が読んでも面白いから」


 食べ物にまつわるエッセイで、


「ただし、夜中に読むとお腹空いてエライことになるから気をつけて」


 一海は失敗談を交え、かすみを笑わせた。



 何日か一緒にかすみと斑鳩の寺をめぐったり、桜井まで足を伸ばして山中にあった尼寺へ精進料理を食べに行ったり、ちょっとしたデートのようなことをして一海は過ごしたが、かすみが明日東京へ帰るという夜、部屋にかすみが来た。


「いろいろありがとう。楽しかったよ」


「こっちこそ、楽しく旅をさせてもらってありがとう」


 すっかり打ち解けたかすみは、


「連絡先交換しよ?」


 というので互いの連絡先を教えあった。


「今度、北海道行ったらよろしくね」


「こっちも東京行くときには連絡するよ」


 そうして翌日、東京へ戻るかすみを一海は見送った。



 以下、余話となる。


 かすみが東京へ戻ったあとすぐ新しい彼氏ができたので、一海にこのことを話すと、


「新婚旅行は北海道で決まりだな」


 冗談めかしながらも祝福し、それからかすみの紹介で知り合った女性と一海は交際することとなった。


 その後、それぞれ別々に結婚し、互いに家庭を築くに至ったのであるが、年賀状やフルーツを贈り合ったり、互いに家族を連れて遊びにゆくなどの間柄となって、現在に至る。


「あのとき、スーパーカブで旅しなかったら、違った展開になったかも知れないなぁ」


 かすみから送られてきた葡萄や梨を頬張りながら、一海はふと思うところがあるらしい。


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