断じて行えば鬼神も之を避く(14)

 身体を無理矢理引っ張り上げるように、ディールは跳ね起きたかと思えば、その勢いを殺すことなく、自身を叩きつけた戦車に飛びかかっていた。握った拳を突き出すように倒れ込み、戦車の身体に拳を叩きつけていく。


 しかし、その拳は殴ったと言うにはあまりに弱々しく、子供がじゃれるような勢いしか乗らなかった。


 拳から伝わる感触も、手の中に残る重さも、ディールが本気で振り回した拳の何十分の一もない。それほどまでに弱々しい拳で殴ったことを悟りながらも、ディールは湧き上がってくる笑みを止められなかった。


 ディールの放った痛みのない拳を受けて、戦車は顔色一つ変えることなく、ただ黙って重心を下げていた。踏ん張ったかと思えば、片足は掲げるように上げられ、そのことをディールが認識する前に、ディールの頭上に運ばれていく。


 瞬間、戦車の足が空間を裂くように振り下ろされた。凄まじい勢いで床に叩きつけられ、その勢いに相応しい衝撃をばら撒いていく。落下の勢いをそのまま受けた床は大きく凹み、壁に届くほどの亀裂が入っていた。


 ただの人間が食らえば、当然のように身体は粉砕し、人だったのかどうかも分からなくなるほどの威力だ。食らったのが仙気を操れる仙人だとしても、今の一撃を頭蓋が受け止められるはずもない。頭が割れることは確実だろう。


 それは当然のようにディールも例外ではなく、振り下ろされた戦車の足を身に受ければ、即死だった。


 だが、それはあくまで受けた場合の話である。掲げられた足を把握する暇もなく、凄まじい勢いで振り下ろされたディールだったが、その身体は迫る脅威を把握していたように動き出し、足に踏みつけられる直前、戦車の攻撃の下から這い出ていた。


 生まれた衝撃に身体を吹き飛ばされ、部屋の中を少し転がっていくが、足を受けるよりは圧倒的に少ない被害だ。戦車も今の一撃は躱されると思っていなかったのか、掲げた足の下に何もないことを確認し、不可解そうに首を傾げている。


「何故、避けられた?」


 疑問を口にする戦車がディールの方を向いた。そこで眼前に迫るディールの姿を目撃し、戦車の瞳が僅かに大きく開かれた。


 瞬間、ディールの拳が戦車の顔面に叩きつけられる。戦車の頭をまっすぐに貫く衝撃を受けて、戦車は僅かに後ろへと下がりながらも、そこで倒れることなく踏ん張る。


 油断していたとはいえ、今のディールの一撃はそれまでと比べても、あまりに弱々しいものだ。その程度の一撃で、今の戦車が倒れるはずもない。

 寧ろ、そこに迫ってきたのなら好都合と言わんばかりに拳を握り締めて、戦車はディールの頭に拳を叩きつけようとする。


 攻撃を振り抜いて、無防備なディールの顔面に対する、戦車の渾身の一撃だ。この距離で回避できるはずもなく、戦車の一切の傷の入らなかった部屋すら砕く拳を身に受けるしかない。


 そう戦車も考え、拳を振り抜く前で、ディールの身体は大きくぶれて、立っているとは言い難い姿勢のまま停止した。戦車の拳は想定外の動きに対応し切れず、ディールの身体に触れることのできないまま、拳を通過させる。


 回避できない距離のはずだった。そこでディールは戦車の想像以上の動きを見せて、拳を回避してみせた。その事実に戦車が驚きを見せる中、ディールは保ち切れなかった姿勢を崩すように倒れ込み、その反動のまま大きく足を掲げた。


 瞬間、ディールの足が戦車の身体に減り込むように降っていた。戦車の身体が僅かに沈み、ディールは満足そうに笑みを浮かべながら、転がるように戦車から離れていく。


 戦車はその場に膝を突きそうになりながら、ディールの動きが自身の想像を遥かに超えている事実に疑問を懐いていた。何があったと思いながら、戦車は拳を握り締めて、表情を厳しいものに変える。


 すぐさま身を起こし、こちらをじっと見つめてくる戦車に気づいて、ディールは満足そうな顔をする。戦車の素早い決断は無用な思考を放棄したことを意味している。

 それは正しく、今のディールが辿りついた境地であり、ディールが戦車と過ごしたいと思った時間を生む要素の一つだった。


 それでいい、と心の中で思いながら、ディールは虚ろな目を戦車に向ける。タイムリミットは近い。その前に最高の結末を迎えよう。

 そう考えながら、ディールは拳を握り締めて、力任せに踏み込んでいた。

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