断じて行えば鬼神も之を避く(9)

 引き摺る痛みとは対照的に身体は軽やかに躍り出した。戦車の生み出した鬼火に反応して、ディールの身体は動き始めたかと思えば、無機質な床の上を滑るように移動して、戦車の懐まで踏み込んでいく。


 戦車が手の中に浮かぶ鬼火を解放する。懐まで踏み込もうとするディールに放たれるが、ディールは真正面から突っ込みながらも、その鬼火の軌道を敏感に見極めるだけの余裕があった。

 どこから湧いてきた余裕かは分からないが、ディールはその余裕さを頼りに、鬼火が届かないと思われる位置に足を運び、そこで拳を握る。


 鬼火がディールに触れることなく、ディールの肌の近くを飛んでいく。肌が焼けるのに十分な温度が置かれ、ディールの肌にまとわりつくように痛みが再燃するが、今のディールに痛み程度を気にする余裕はなかった。


 剥き出しの神経が抱えた敏感さと鈍感さを頼りに、ディールは戦車の動きの全てを見透かすように目を見開いて、拳を叩き込むための準備を始める。


 掌に指が減り込むほどに握り締め、足の指が悲鳴を上げるほどに体重をかけ、戦車の動きの全てを見透かすために目を見開く。戦車の身体に起こる脈動のような細かな変化からも、ディールの頭は次の動きを詳らかに予測するだけの余裕があった。


 拳を構えたディールの身体は思い描いた戦車の残像にけしかけられ、戦車の動き出しを待つことなく、先に動き始めていた。頭の中で思い描いた予想図を全て捨て去るような愚かな行為だが、今のディールには戦車の動きを待っていられるだけの余裕がなかった。


 ディールの動き出しに合わせて、戦車が迎撃のための鬼火を準備する。ディールの動きの変化に興味もないのか、戦車は眉一つ動かすことなく、ただ淡々とディールの動きを目で追っている。


 その鋭く、冷たい視線にディールは笑みを浮かべながら、飛んでくるであろう鬼火から逃れるように、右へ左へと動き始めた。前進しながら、細かにステップを踏む動きに、ここまでの攻撃でズタボロになったディールの身体は痛いほどに悲鳴を上げる。


 傷口から血が飛び散る。上がり切った息は酸素の取り込みを中断し、ディールの意識は朦朧とする。

 それが置かれた状況に対する心地良さを生み、ディールはアドレナリンに浸るような快感に溺れながら、戦車をまっすぐに見ていた。止めどない高揚感に包まれながら、ディールは自分と同じ場所に戦車を引き摺り込む方法を思い浮かべる。


 それから、すぐに回転しかけた頭を停止させ、拳を握り締めていた。下肢に力を込めて、鬼火に標的から逃れるように動き回りながら、ディールは思考が邪魔である事実を悟る。


 今のディールはあらゆる意味で限界が近かった。肉体的にも、精神的にも、リソースが限られている中で、得られる余裕は過剰なほどに必要なことに限定される。それ以外のいらないものには、割けるだけのメモリーがない。


 思考は僅かでも挟まれば、ディールがいらないほどに集中して割り出した予想も途切れ、放たれた鬼火に焙られる未来しかなくなる。握った拳を振るうチャンスも消えれば、戦車の裏側に潜む本当の顔を暴き出すことも不可能になる。


 それが勿体ないと思えば、自然と思考は頭の中から消え、ディールは気持ちいいままに動き、気持ちいいままに戦車の理性を叩き潰そうと考えていた。


 ディールの素早い動きに反応して、戦車が手の中の鬼火を解放した。鬼火はディールが避けるだけの距離もなく、回避し切れない場所を狙って飛んでくる。


 当たる。誰しもがそう思う中で、ディールは拳を構えて、迫る鬼火を見つめたまま、勢い良く振るっていた。


 次の瞬間、ディールの拳が無機質な床に叩きつけられ、そこから生まれた風が迫る鬼火を大きく煽っていた。鬼火は行き先を見失ったように軌道を変え、ディールに近づくことなく、天井へと飛んでいく。


「ほう?」


 感心するように呟く戦車の前で、ディールも感心したように飛んでいく鬼火を眺めていた。


「最初からこうすれば良かったのかぁ……?」


 そんなぽかんとした言葉を呟いてから、ディールは湧き上がってきた高揚感に自然と笑みを浮かべる。鬼火が機能しないと一部だけでも伝えられた。


 これは引き摺り込むチャンスだと、ディールは戦車に目を向けて、踏み込むための準備を整えるように重心を落とした。


 その直後、戦車を中心として、明かりが広がるように左右へ伸びた。眩過ぎて、何も見えなかった明かりだが、次第に目が慣れると、そこに浮かぶものがはっきりと見え、ディールはそれに気づいた。


 鬼火の列。それがディールに向けられ、待機している。そう思った時には、ディールの準備が完了してしまい、ディールは自身がそうしようと思ったまま、戦車に大きく踏み込んでいた。

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