恋人は寝刃を合わす(26)

 金属一色の無機質な部屋の中で、外に繋がらない窓が三つ、壁に張りつけられていた。窓の向こうには景色が見え、そこには映らないはずの外の景色が浮かんでいる。


 一つは拠点の周辺、もう一つは拠点の内部、そして、最後の一つは今から少し前の拠点の周辺の光景だ。


 そこには拠点から現れた新造妖怪と戦う多数の仙人が映し出され、その光景を目にした人型のNo.9、隠者ザ・ハーミットは振り返って、部屋の一角に座る愚者ザ・フールを見やった。


「始まったよ」

「ああ、みたいだね。意外と早かったな。もう少しかかると思っていたけれど」


 外の音に耳を傾けるように首を傾げながら、愚者は興味深そうに呟く。その様子を見ながら、隠者は窓の方に視線を戻す。


「これから、どうするの? どう動けばいい? 僕らは何をすればいい?」


 隠者が自身の近くに立つ赤いワンピースを着た黒髪の女性を示しつつ、愚者に質問を投げかける。


 新造妖怪の放出を含めて、事態は一気に動き出した。奇隠がそうであるように、人型からしても、今回の出来事が正念場だ。ここの結果次第で、人型の掲げる目標に近づけるか、もしくは二度と近づけないほどに離れるか、未来が決定される。


 人型は一体も欠けることなく、事態に当たらなければならない。人型は一体も欠けることなく、全力を尽くさなければならない。


 そのためにも、自分達の取らなければいけない行動の選択は十分に吟味しなければいけない。隠者も自身の行動の全てを愚者に託し、愚者の考え通りに動くつもりだった。


 それは隠者と行動を共にし、隠者の意思に従う形で動いてきた、隠者の傍に立つ女性、人型のNo.2、女教皇ザ・ハイ・プリーステスも同じことで、隠者の問いかけに口を挟むことなく、愚者からの返答を待っている様子だった。


「大丈夫だよ。まだ気にしないでいいから。まだ動かない。ちゃんとタイミングを見定める必要がある」

「それはNo.0も?」


 隠者の問いかけに愚者は小さく笑みを浮かべ、首肯した。


「取り敢えず、耳持ちを確保するまでは動かないつもりだよ」

「それがもし失敗したら?」

「その時は僕が出るよ。耳持ち以外を消せば、流石に簡単でしょう?」


 あっけらかんと答える愚者の様子を目にして、隠者は小さく首肯しながら、窓へと視線を移した。隠者の胸の内に空っ風が吹き込んで、隠者は寂しさを覚える。


 愚者は変わってしまった。日に日に形を変えて、気づいた時には歪になっていた。そのことに気づいた時には、もうその形を元には戻せない領域にあった。


 少なくとも、昔の愚者なら、どれほどの目標があったとしても、仲間を犠牲にする道は選ばなかった。誰かが欠けてしまえば、それだけで涙を流せる心があった。


 それが今はその気持ちを失い、両目は何も映さないほどに曇ってしまった。今の愚者の目には、妄信した目標しか映っていない。そこにどれだけの言葉を投げかけても、きっと愚者は戻ってこないだろう。


 願わくは、あの頃の愚者が戻って欲しい、と思う気持ちもあるにはあったが、それを押しつけるほどの強引さや主張の強さは隠者にないものだった。


「そう言えば、No.20はどうしたの?」


 遅れて愚者が招集し、少し前にこの拠点を訪れた人型のNo.20、審判ジャッジメントに関して、隠者も把握していなかった。


 他の人型が反対したように、審判は鎖に大人しく繋がれているとは思えない性格をしている。妖術も若干の限定性は伴うが、基本的には絶大な威力を有したものだ。


 下手をすれば、自分達すら殺されかねない。その危機感が冗談ではない行動を見せる審判が大人しくいる様子を隠者はイメージできていなかった。


 他の人型はそれぞれの目的を有し、それぞれの配置を与えられているはずだが、審判はどこで何を目的に動いているのだろうかと、隠者は何度か考えては答えの見つからなさに思考を終わらせることが多かった。


 窓で覗こうかとも思ったが、下手に刺激して背後を取られたくもないと思い、それも結果的にはやらなかった。

 そのことをふと思い出し、ここで聞いておこうと思った隠者に対して、愚者はあっけらかんと言ってのける。


「ああ、No.20なら、今はにしているよ」

「自由?」

「うん、自由。拠点にいろとも言っていないし、何もするなとも言っていない。気の向くままに、したいことをすればいいと伝えているよ」

「そんな言い方をしたら……」


 本当に何をし始めるか分からない。自分達もそうだが、愚者が回収を考えている耳持ちでさえ、簡単に殺害するだろう。


「だから、早く行かせたんだよ。耳持ちを絶対に連れて帰るように命令してね」


 当然のように答える愚者を前にして、隠者は唖然としていた。ゆっくりと開きかけていた口を閉じて、視線を窓の方に戻す。


「そう」


 素っ気ない返事を口にしながら、隠者は窓の向こうに広がる景色をまっすぐに眺め始める。その横顔を女教皇がじっと見つめていることに、この時の隠者は気づかなかった。

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