鯱は毒と一緒に風を食う(10)
道中、前方を確認できるのかと疑問に思うほど、リングは廊下を見つめたまま歩いていた。
その後ろをついて歩きながら、幸善はどこに向かっているのだろうかと当然の疑問を懐き始める。
アイランドが言っていたことから察するに、幸善から話を聞くための部屋か、幸善に与えられた部屋に向かっているはずだ。
そこまでは分かるのだが、そのどちらに向かっているかは全く分からない。現状ノーヒントだ。
リングについても気になることは多いが、質問を投げかけても良いものなのかと幸善は疑問に思う。
さっきからのリングの様子を見ていたら、幸善が質問した瞬間に逃げ出さないかと、珍しい小動物と触れ合う時に思うような心配が湧いてきてしまう。
驚かれるくらいで済むならいいのだが、逃げ出された日には良く分からない施設の中で、幸善は一人ぼっちになってしまう。迷子どころか、野垂れ死にすらあり得る状況だ。
そうならないように質問するかどうか考えつつも、このまま歩いていても大丈夫なのかという不安にも襲われ、幸善はリングに声をかけてみることにした。
取り敢えず、目的地くらいは把握したい。
「これはどこに向かっているの?」
「はああい!?……ぁい……」
身体をビクンと震わせながら、盛大に声を出したかと思うと、途端に萎れたように身体を縮ませて、リングは消え入りそうな声で返事してきた。
ただし、質問は答えを求めるもので返事を求めるものではない。返答としてはおかしい。
リングの突然の反応に幸善も驚いてしまったが、会話の不成立さに我に返って、再度の質問を試みてみる。
「これはどこに向かっているの?」
「はああい!?……ぁい……」
同じ質問を投げかけてみたら、再放送かと思うほどに同じリアクションが返ってきた。
流石に今度は幸善も驚かない。それどころか、あまりにさっきと同じリアクションに、じわじわとした笑いに襲われる。幸善の質問で作動する玩具を前にした気分だ。
もう一度、質問してみたら同じリアクションをするのだろうか、と悪い考えが頭を過ってしまうが、流石に何度も驚かせることは可哀相だ。
ここはちゃんとリングと向き合うことを考えて、驚かせないように質問する方法を見つけるべきだろう。
そう思った幸善がリングの驚きの原因を考察してみることにした。
リングのリアクションが同じだったように、幸善の質問の内容も仕方も同じだった。驚きの理由はそこにあるのかもしれないと考え、幸善は音量に着目してみる。
もしかしたら、リングの驚きの理由は幸善の声の大きさにあるのかもしれない。もう少しボリュームを抑えることができれば、リングの驚きも緩和されるかもしれない。
そう考えついた幸善がリングの耳元に口を近づけ、そこで囁くように声をかけた。
「どこに向かっているの……?」
「はああい!?……ぁい……」
やはり、リアクションは同じものだった。
というか、流石に耳元で声をかけられたら、幸善でも驚く。これで驚かずにいる方が無理というものだ。今回ばかりはリングのリアクションが正常と言えるだろう。
もう少し、ちゃんと驚かせない方向で考えようと思ってみるが、そう考えてみたら、やはり二度続けた声かけが正解のように思えてくる。一番普通で、一番驚く要素が少ないだろう。
だが、その方法でリングは同じ驚き方を見せた。そう考えたら、もう打つ手がないようにも思えてくる。
リングを驚かせないように声をかけることは、卵を割らないで中身を取り出すようなものなのではないか。そのような気さえしてくる。
「あの……」
「はああい!?」
そのように考え込んでいたら、不意にリングから声をかけられ、今度は幸善の方が大袈裟なリアクションを取ってしまった。その反応にリングも釣られ、身体をビクンと大きく震わせている。
「頼堂さんの……部屋です……」
幸善ではなく床を見つめたままだが、こちらに意識を向けている意思を示すように、頭を幸善の方に向けながら、リングは進行方向を指差した。
どうやら、さっきから幸善の質問している向かう先の答えらしい。
「あ……ああ、そうなんだ。言ってた滞在中に使ってもいいっていう部屋?」
幸善がそう聞くと、一瞬、頭が落ちるのかと不安になる動きで、リングが首肯した。
今の質問に驚く様子を見せなかったということは、幸善の声に驚いたとか、そういうことではなく、単純に質問されると思っていない時に質問されたことに驚いたみたいだ。誰もいないと思っていたところに人が立っていただけで驚くようなものだろう。
リングはそういう驚きに対する免疫が人よりも少ないらしい。
ただ会話自体を蔑ろにするつもりがないことは今の返答から分かった。驚きをそれなりに消化できたら答え自体は返してくれるみたいだ。
それなら、と思った幸善は他にも気になっていたことを聞いてみることにした。
「リングさんはどこで日本語を?」
「はああい!?……ぁい……」
諸々の期待通りにリングはさっきまでと同じリアクションを見せ、幸善は堪え切れない笑いを口の端から漏らした。
目的地まではまだあるだろう。多少、時間がかかっても問題はない。
幸善は笑いを浮かべたまま、リングに同じ質問をもう一度、投げかける。
これで二回目だ。リングの反応は言うまでもないことだった。
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