鯱は毒と一緒に風を食う(9)
呼び出された病室で幸善はしこたま小言を言われ続けた。
C支部の仙人だったら、アイランドも明確に怒っていたところなのだろうが、幸善には遠慮するところもあるのだろう。
婉曲な言い方ばかりで怒られ、幸善は小言の大半を小言であることしか理解できなかった。言葉の壁に救われた瞬間である。
散々、小言を言われ続け、聞く側も言う側も嫌気が差してきたタイミングで、病室の外から不意に女性の声が聞こえてきた。
「あの……」
恐る恐るという言葉がこれほど似合う様子もないほどに、ゆっくりと警戒するような素振りで、一人の少女が病室を覗き込んでくる。
「あの……あの……」
幸善以上に英語の知識がなくても、少女が真面に言葉を口にできていないことは分かった。おどおどとした様子で視線をゆっくりと床に下げている。
その様子に幸善はピンク達を思い出した。幸善はまた怖がられているらしい。
最初はそう思ったのだが、そういうことでもないようだった。それが分かったのは、アイランドが少女に声をかけたからだ。
「来たか。入ってこい」
「……!?……あの……」
少女はゆっくりとした足取りで病室の外から部屋の中に入ってこようとしていた。その間も視線は上がることなく、幸善どころかアイランドも見ることはない。
どうやら、少女は幸善を怖がっているわけではないらしい。その様子を見ていたら、そのことが幸善にも分かった。
「彼女は?」
幸善がアイランドに目を向けると、アイランドはやや不安そうに少女を見ながら、少女の紹介を始めてくれた。
「彼女はティーク・リング。通訳として呼んだんだが……」
アイランドの言葉の中に通訳という意味が含まれていることを聞き取り、幸善は紹介されたティーク・リングに目を向ける。
少女は顔の半分を隠すのではないかと思うほどに大きな眼鏡をかけ、その眼鏡を何度も指で押し上げながら、俯きがちに幸善を見ていた。今にも逃げ出しそうな及び腰に見える視線だ。
その上目遣いと言えなくもない視線と幸善の目が合った直後、リングは逃げるように顔を下に向けた。通訳と言われたが、幸善の不安は増すばかりである。
「えーと……初めまして?」
不安げに幸善が声をかけてみると、俯いた体勢のまま、一切幸善に目を向けることなく、リングが消え入りそうな声を出してくる。
「初めまして……ティーク・リングです……」
それはギリギリ聞き取れるくらいの音量だったが、幸善が違和感を覚えないほどの綺麗な日本語だった。
「おお!ちゃんと日本語だ!」
幸善が喜びから思わず声を上げると、リングの身体がビクンと震えて、幸善から逃げるように一歩後ろに下がってしまった。
その様子を不安そうに見ながら、アイランドが残りの説明を幸善にしてくる。
「この後のこととか、約束していた部屋のことは彼女に伝えてある。後は彼女から聞くといい。母国語の方が聞きやすいだろう」
アイランドの最後の一言に苦笑しながら、幸善はアイランドに礼を伝えていた。説明を終えたアイランドは幸善とリングだけを残し、部屋から出て行ってしまう。
残された幸善は未だ俯いたままのリングを見つめ、どのように声をかければいいのか困り始める。綺麗な赤毛と眼鏡は見えるが、未だリングの顔をはっきり見てすらいない。
「これから、どうすればいいのかな?君に聞けばいいんだよね?」
英語ではなく、日本語で話しかけても大丈夫なのだろうという確認も兼ねて、幸善は試しにそのように声をかけてみた。
リングは俯いたまま顔を上げることはないが、うんうんと頷くように頭を動かし始めたので、言葉が伝わっていることは確かなようだ。
「えーと……それなら、どうすれば?」
幸善がリングの動きに困惑しながら聞くと、リングは俯いた姿勢のまま、ゆっくりと手を上げて、自分の背後を指差した。病室の出入り口がそこにはある。
「ついてきて…ください……案内…します……」
消え入りそうな声ながらも、はっきりと幸善に伝わる日本語を口にして、リングが幸善に背を向けてくる。
本当に通訳として大丈夫なのかと不安に思う気持ちは強かったが、アイランドの振る舞いを見るに間違った人選をする人物とは思えない。
きっと大丈夫なのだろう。そう信じることにして、幸善はリングの後ろをついて、病室を後にした。
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