鯱は毒と一緒に風を食う(11)

 本人の口から聞くまでもなく分かっていたことだが、リングは昔から内気な子であるらしい。人と話すどころか、ただ顔を見ることも苦手で、常に俯いて暮らしていたそうだ。


 とはいえ、何か暗い理由があるわけではないらしい。いじめに遭ったわけでもなく、いじめに遭うほどの人間関係も、これまでに構築してきたことはないそうだ。


 その代わり、リングの興味は人と逢わない方向に伸びていた。主に部屋の中に居座ったリングの自我はインターネットに触れたことで、爆発的な広がりを見せるようになった。


 ネットの世界なら人と話すことも、目を見ることもない。リングの世界は現実に拡張することなく、ネットの世界で形成されていった。


 その過程で出逢ったものが日本文化だったそうだ。


 良く聞くアニメや漫画とか、そういう文化ではなく、日本のネット文化の方に触れ、リングは興味を持ったらしい。リングは自宅から一歩も出ることなく、ネットの世界の日本を訪れ、そこで日本という国をネットの側から見ることになった。


「日本語は……そこで覚えました……」


 C支部の廊下を歩きながら、ぽつぽつとリングは自分の身の上話を話してくれた。日本語をどこで覚えたのかという幸善の質問に対する返答だ。


 ゆっくりではあったが、廊下を歩く足取りと同じように、確実に進む話を聞き終え、幸善は聞いている最中から感じていたことを疑問に思う。


「その話を聞くに、リングさんって結構若い?」


 リングの話には幸善の記憶にもあることが添えられていた。話の本筋ではなかったから、深く触れられることはなかったが、それが顔を出したタイミングとリングの話の雰囲気から察するに、リングは最大でも幸善よりニ、三歳くらいしか離れていないだろう。

 そう思っていたら、リングが僅かに頭をこちらに向け、首肯した。


「今年で……十七…です……」

「あ、同い年だ」


 大変失礼な話だが、幸善はその時になって、リングが自分と同じ年齢であることに気がついた。今の今までリングが自分より十個くらい年上の気持ちだった。


 途端にリングとの距離が近くなり、幸善は気まずさから愛想笑いを浮かべる。

 幸善の反応に対して、リングは反応の一つも見せないから、何を思っているのかも分からない。


「あの……」


 不意に声を出しながら、リングが幸善の前で唐突に立ち止まった。失言の後のことだ。怒られても仕方ないと幸善は思っていたが、リングの目的は別にあったようだ。


「ここ……です……」


 そう消え入るように呟きながら、リングは自分の隣を指差した。

 そこには扉が一つあって、その扉を見た幸善は察する。


 どうやら、ここが目的地のようだ。


「ちょっと……待ってください……」


 そう言ってから、リングは何か懐をガサゴソと漁り始めた。何をしているのかと思いながら、幸善が見守っていたら、慌てた手つきでリングが懐から何かを取り出してくる。


「これが……部屋の鍵です……」


 リングが幸善に見せてくれたものはカードだった。さっきリングが指差した部屋に入るためのカードキーということだろう。

 その取り出したカードキーを扉の脇に設置された機械に近づけ、リングは案内した部屋の扉を開いた。幸善がその中を覗き込んでみると、ベッドやテーブルが見て取れる。


 レイアウトや物の多さに差はあるが、それと似た部屋を幸善はQ支部で見た覚えがあった。

 恐らく、ここはC支部に住まう仙人に与えられる部屋だ。綺麗さから察するに空き部屋なのだろう。


 その中に踏み込むリングに続いて、幸善も部屋の中に足を踏み入れた。


「ここが……用意した部屋です……」

「ここを自由に使ってもいいってこと?」


 幸善の質問にリングはこくりと頷き、俯いた姿勢のまま、幸善にさっきのカードキーを渡してきた。

 礼を言って、そのカードキーを受け取ったことで、幸善はC支部に滞在する間の住まいを手に入れたことになる。


「あの……それから……」


 幸善が改めて部屋の中を見回していたら、リングが恐る恐る声を出した。幸善がリングを見やると、リングは手に持っていたバインダーを顔の前に当て、幸善との間に物理的な壁を作り出している。


「えっと……どうしたの?」


 幸善がバインダーの向こう側を覗こうと首を伸ばすと、リングはその動きに合わせて、バインダーを頭の周りで動かしながら、幸善にバインダーに挟んだ紙を見せてくる。


「その……お話を…聞いてもよろしいですか……?」


 幸善はバインダーの向こう側を覗くことをやめて、そこに挟まれた紙に目を落とした。


 そこに書かれた文字は全て英語であり、内容はほとんど理解できなかったが、アイランドの話を思い出し、何の話を聞きたいのかは察することができた。


「ああ、あれか。姿を消してから、何があったのかっていう話?」


 幸善がそう質問すると、バインダーの向こう側で頭が動くのが見えた。多分、頷いたのだろう。


「分かった。いいよ」


 幸善がそう答えると、リングはバインダーの向こう側に頭を隠したまま、部屋の中を見回すように首を回転させた。やがて、部屋の中に置かれたテーブルを発見し、その方向に指を向ける。


「では…そちらでお願いします……」


 そう言い、幸善をそこに置かれた椅子の一つに誘導した。

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