鯱は毒と一緒に風を食う(3)

 鷹人間の作り出した通路に侵入し、頼堂幸善は排水溝を流れる水の気分を味わうことになった。


 飛び込んだ通路内で鷹人間と絡み合い、戦車ザ・チャリオットに蹴飛ばされ、通路内の妖気には中てられ、半ば前後不覚になりながら、幸善は鷹人間にしがみついた。


 妖気との反応が起きたのは、その時だった。パンク・ド・キッドの島でそうだったように、幸善が鷹人間に掴みかかった直後、幸善と鷹人間の間に風が吹き抜けた。


 唐突な風だ。起こした当人ですら、耐えられないものだった。

 片足を失っていた鷹人間は通路の壁に倒れかかるように体勢を崩し、幸善も通路の中に転がり込んだ。


 恐らく、鷹人間が転んだことで通路の維持に割く神経が逸れ、そこに幸善の転倒による衝撃が加わったことが原因だろう。


 倒れ込んだ途端、幸善の乗っていた通路の一部が崩れ、幸善の身体は滑り込むようにその穴に入り込んだ。


 開かれた入口以外は目に見えない通路だが、実体は現実と繋がっていて、中から破れれば外側に放り出されることはキッドの島で確認済みだ。

 通路の底が抜けたからと言って、良く分からない異次元空間に飛ばされることはない。その部分の不安はなかった。


 ただ問題はその通路に穴が開いた場所だった。


 通路の底に開いた穴に落下し、咄嗟に視線を下げた先で幸善が見たものは、遥か下に広がる大地だった。


 咄嗟に高さも分からないくらいの高さだ。幸善は下を見た瞬間に青褪め、頭の上に『死』の一字を思い浮かべた。


 終わった。当然のように思いながらも、空中を泳ぐように身体を動かし、何とか落下から逃れようとする。


 だが、いくら仙人でも重力に逆らうことは不可能だ。幸善の身体は次第に大地へと近づいていき、幸善の死は現実のものになろうとしていた。


「助……!?」


 最後の最後で耐え切れなかったように、幸善が情けない声を上げようとした直前、幸善は着地する先にあった木に衝突した。枝葉に身体をぶつけながら、幸善は更に落下を続ける。


 全身に細かい切り傷と打撲の痛みを覚えながら、幸善は枝葉の先にある地面に身体を打ちつけた。受け身の一つも取れなかったが、幸いにも枝葉が衝撃を和らげてくれたようだ。

 想定していた即死は避けられ、幸善は重い意識の中で周囲に目を向けた。


 そこまでは覚えていた。そこから先の記憶はなかったが、話に聞く限りは幸善の発見された場所は木の近くではないらしい。

 どうやら、そこから幸善は助けを呼ぼうと歩き始め、その途中で力尽きたようだ。


 気づいた時には見慣れない部屋の中にいて、幸善はそこで訪ねてきた人物に自分の名前を告げ、今はそこから移動した先の施設にいた。病院ではないが、与えられた部屋は病室のようだ。


 英語の分からない幸善には話のほとんどが分からなかったが、アメリカ、本部、キッドの島と英語の多い環境に身を置き続けたからか、多少は何を言っているか分かる部分も増えてきていた。


 そこから察するに、この場所はこの国にある奇隠の支部のようだ。幸善の聞き間違いでなければC支部らしい。


 幸善の名乗った名前から日本に当たるか何かして、何やかんや調べた結果、奇隠に繋がったのだろう。

 ここが何という国なのか未だに分からないが、奇隠という覚えのある環境に出逢えたことは幸いと言えた。


 そこまでが少し前のこと。今はそのC支部の病室の一つで、逢うことになった誰かを待っている最中なのだが、幸善の病室の外には謎のギャラリーが発生していた。


 何が見たくて、この病室の前に来ているのか分からないが、その視線に晒された側としては、客寄せパンダになった気分だ。これが本当にパンダの気分なら、動物園で無邪気に「可愛い」と言えなくなるくらいにはパンダに同情する。


 あまり見ないで、どこかに行ってもらいたいが、その意思を伝えるためには幸善の英語力が足りない。ここで語学力の壁にぶつかるのかと思ったが、客寄せパンダ回避のために英語を学ぼうという気持ちにもなれないところも大きい。


 どちらにしても、今からでは間に合わないので、気にしないようにするしかないと思いながら、病室の外のギャラリーを過剰に意識し、何とも言えない気分を継続させていたら、部屋の外から女性の声が聞こえてきた。


 言葉が分からない上に少し遠く、ちゃんと聞こえない部分も多いので、何を言っているかは分からないが、感情的には怒っているように聞こえる。

 そう思っていたら、病室の外のギャラリーが蜘蛛の子を散らすように消え始め、途端に辺りは静かになった。


 どうしたのだろうかと思っていたら、病室の中に一人の女性が入ってくる。女性は自分より十歳以上は年上の女性を引き連れ、ぽかんと見つめる幸善を見据えてきた。


「お前が頼堂幸善か?」


 そのように声をかけられ、幸善はぽかんとした顔のまま、僅かに首を傾げる。

 女性が言葉を発してから幸善の頭が翻訳を完了するまで、速度制限のかかったスマホくらいの遅さを有し、幸善が「イエス」と答える頃には、相手の女性の方が幸善よりも深く首を傾げていた。

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