鯱は毒と一緒に風を食う(4)
意思疎通には時間を要したが、全く噛み合わないわけではなかった。最初の雰囲気から幸善の英語力を察してくれたのか、相手の女性はゆっくりとした聞きやすい口調で話してくれたので、翻訳に時間さえかければ意味を理解することは十分できた。
そこで分かったことの一つが目の前の女性の名前だ。彼女はリーン・アイランドと言うらしく、このC支部の支部長らしかった。
ただし、この支部長という部分だけは少し曖昧だ。C支部の偉い人という意味は汲み取れたのだが、それが支部長とイコールなのかは幸善の英語力では分からなかった。Q支部と比較し、該当する役職がそれしか思いつかなかったので、支部長と思うことにしたが、C支部特有の役職や幸善の知らない役職がある可能性もある。
それら自己紹介以外のアイランドの話は現状の説明が大半だった。
幸善が自身の名前を名乗ったことに加え、怪我の治療の過程で採取した仙気から幸善本人であることの確認が取れ、日本のQ支部には既に幸善の保護が伝わっているそうだ。Q支部からの返答はまだないそうだが、恐らく、迎えが来ると思われるらしい。
ただし、ここはイギリスだ。日本との距離を考えたら、どれだけ早くても数日は滞在することになりそうだと言われ、幸善は納得したように頷いた。
その間は日本への帰国途中に幸善が消えてから、イギリスで姿を現すまでの空白の期間の話を聞きたいそうで、そのために通訳を用意する予定らしい。通訳が来たら、しばらく滞在する間の身の回りのことも頼むように言われ、幸善は首肯した。
それから迎えが来るまで滞在する部屋も選んでいいと幸善は言われた。怪我自体の治療は終わっていて、後遺症のようなものも見られないことから、今いる病室以外に移動してもいいらしい。
それなら、と思い、幸善が他の部屋をお願いすると、アイランドは手配することを約束してくれた。
「それと最後に」
そう言いながら、アイランドは病室の外に目を向けた。さっきまで、そこにたくさんの人がいたが、今はアイランドの一言で綺麗に散っていったようだ。
「お前の話はこちらでも有名だ。興味本位で見に来る奴もいるだろう。そういう暇人には仕事を与えるがいい。大概のことには関われないくらい私は忙しいからな」
アイランドの言葉を日本語に変換し、その奥にある意味合いを察して、幸善は首肯した。何というか、蜘蛛の子を散らすようにギャラリーが消えた理由を理解できた気がする。
「では、部屋と通訳が用意できたら、また来る。それまではゆっくり休むがいい」
「ありがとうございます」
アイランドとアイランドが連れてきた女性が部屋から立ち去る姿を見送り、幸善は大きく溜め息を吐いた。学校のテストでも、ここまで本気で英語を理解しようとしたことはなかった。
それでも、しばらく周りに英語が溢れていた生活と、アイランドのゆっくりとした口調がなければ、話の四割も理解できなかったことだろう。
もう少し真面目に授業を受けるべきだった。自身の語学力の低さに、幸善は今更ながらに後悔し始める。
日本に帰ったら、軽い日常会話ができるくらいには英語を覚えよう。そう決意しながら、幸善が自身の眠っていたベッドに凭れかかった瞬間のことだ。
病室の外から不意に物音が聞こえ、幸善は動きを止めた。ゆっくりと首を動かし、病室の入口に目を向けてみると、そこで人影が僅かに動いている様子が確認できる。
誰かいる。そう思っても、流石に奇隠の支部の中に敵がいるという考えは湧かなかった。
恐らく、さっきのギャラリーの一部が戻ってきたのだろう。客寄せパンダの再演だ。
とはいえ、アイランドから許可を貰った後でもあるので、幸善は何か一言くらい言ってやろうと思い、ベッドから抜け出した。
死を意識するほどの高さから落下したはずだが、アイランドが言っていたように幸善の怪我は一通りの治療を終えているらしい。若干の痛みはあるが、立ったり歩いたりできないほどではない。
無意識の裡に仙気で身体を庇ったのか何なのか、幸善には無事だった理由が良く分からないが、無事であることを不審に思う必要もない。
ここは喜ぶところだと思うことにして、幸善は病室の外に向かって歩き出した。そこで今もこそこそと動いている人影に近づく。
「誰だ!?」
そのように声をかけながら病室の外を覗き込んだ瞬間、そこで僅かに動いていた人影の正体と目が合った。
それは幸善と同じくらいの年齢に見える三人の少年で、不意に病室から顔を出した幸善を驚いた顔で見ている。
「えっと……ごめんなさい……」
一人の少年が考えるまでもなく、幸善にも理解できる英語で謝罪の言葉を口にし、幸善は溜め息をつく。
その動きにも三人の少年は怯えるように僅かに身体を震わせ、幸善は本当の客寄せパンダになった気分だった。
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