花の枯れる未来を断つ(15)
クリスにとって辛い選択となった。迫る透明な板を避けること自体は難しくなかったが、避けるためには左手の中の種を犠牲にする必要があった。
種の生成を中断し、左手を回避行動に割く。これで透明な板自体は回避できるが、左手で生み出す種を間に合わせることは不可能だ。
クリスの数少ない勝ち筋がそれで途絶えることになる。
だが、どれだけ勝ちと繋がっていたとしても、自身の肉体と天秤にかけることは不可能だ。考えるまでもなく、肉体の無事を優先する。
透明な板がクリスの肉体を消滅させようとしているのか、植物がそうなったように枯死させようとしているのか判別できないが、どちらにしても死ぬ未来が確定しているなら、クリスは左手の中の種を犠牲にし、手元から植物を生やした。
植物はクリスの身体を押しのけるように生育し、クリスの身体は強制的に動かされた。
とはいえ、クリスの身体を完全に動かすほどの力が植物にはない。ゆっくりと生育させればあるかもしれないが、咄嗟に生み出す植物にそこまでの期待はできない。
ただクリスの目的は植物に身体を移動させることではなく、咄嗟の回避の補助だった。迫るアザラシ人間から逃れるように足を動かし、その動きに幅を与えるために植物を利用した。
仙術使いではあるが、仙人ではないクリスだ。アザラシ人間の動きに完璧に対応し、そこから逃れることは難しい。
だが、そこに植物の力が加われば、何とか現実的な領域に引き込むことができた。
クリスの花の影響を半分ながらも受け、アザラシ人間の移動が無理矢理なものになったところも幸いだった。
アザラシ人間はクリスに迫りながらも、軌道に変化を与えることができないように見えた。
クリスはアザラシ人間が辿りつく先から、植物の補助を受けて離脱する。
アザラシ人間の作り出した透明な板が到着したのは、その直後のことだった。元から不安定な体勢のまま、クリスに接近しようとしたためか、アザラシ人間は辿りついた廊下を盛大に転がり、その場所から避けたクリスや檜枝を驚かせた。
とはいえ、形勢に変化はなかった。
常に致命的な一撃を生み出すアザラシ人間に対して、クリスは最も勝利に近かった妖気を糧に生育する植物の種を失った。
植物を成長させ、物理的に攻撃することはできるが、クリスの仙術はそういう使い方を想定していない。鍛え方次第では効率的にダメージを与える方法があるのかもしれないが、今のクリスはそれだけの方法を知らない。
恐らく、どれだけ攻撃を加えても、アザラシ人間の一撃に敵うことはないだろう。
クリスの仙術の本質部分である花による影響は効果が曖昧だった。さっき生やしたものもそうだが、それ以外もアザラシ人間に想定通りの効き方をするかは分からない。
中には想定以上の効き方をする花も当然あるだろう。それは分かるのだが、それを引くまで戦闘が継続するのか、クリスが無事でいるかは微妙なラインだ。
やはり、勝ちを選び取るのではなく、この場合は敗北を消すことが大切だ。それも最も忌み嫌うべき敗死の可能性を消そう。
クリスはそのように考え、アザラシ人間から距離を取るために立ち上がった。
今のところ、クリスの植物が効果を見せた場面は少ないが、アザラシ人間に全く効果がないわけではないはずだ。さっきの花もそうだが、その前の植物も透明な板を作り出し、アザラシ人間がわざわざ消し去ったのは、それが有効に機能する証と言える。
クリスの生み出す植物がアザラシ人間の命を奪う可能性は少ないかもしれないが、アザラシ人間の自由を奪う可能性は十分にあるはずだ。
一度、体勢を整えて、十二分に仙術を使える状態を作り出せば、アザラシ人間の嫌う仙術の使い方も可能だろう。
そうなれば、後は稼げるだけ時間を稼いで、奇隠の仙人にアザラシ人間の身柄を任せるだけだ。自身も逃げられるかは分からないが、敗死するよりはマシだと言える。
クリスは檜枝の家の外まで移動し、そこで植物を成長させるのに相応しい土から、アザラシ人間に対抗できる植物を作り出そうとした。
しかし、その動きは緩慢だったようだ。クリスが思っているよりも、アザラシ人間は早く動き出し、クリスが思っているよりも、的確な一撃を放っていた。
それにクリスが気づいたのは、クリスの耳に檜枝の叫び声が届いたからだ。
「危ない!」
何度目かの救いの言葉を聞き、クリスはゆっくりと振り返った。
呆けていたわけでも、諦めていたわけでもなく、この時のクリスはただアザラシ人間が動き出しているとは微塵も思っていなかったのだ。
それは振り返った先で、自身に向かってくる透明な板を目撃しても同じことだった。
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