憎悪は愛によって土に還る(14)

 カエルの着地は空気を塗り替えた。それまでの怒りや悲しみを交えた雰囲気はどこかに消え、相亀はきょとんとした顔で目の前のカエルを見やる。


 着地と同時にカエルが鳴いたことで、泣いていた穂村もカエルの存在に気づいたようだ。涙を止めて、濡れた目を拭いながら、そこにいるカエルを不思議そうに見ている。


「どうして、ここにカエル?」


 声となって出た穂村の疑問に相亀も同意するように首肯しながら、目の前のカエルを観察していた。見る分には何の変哲もないカエルだが、何の変哲もないカエルがショッピングモールの中にいることは基本的にない。


 それが紛れ込んだのはどうしてかと思ったのも束の間、ゆっくりとカエルに意識を向けたことで、相亀はそこに漂う違和感に気づいた。

 その違和感は何度も味わったことのあるもので、もっと言ってしまえば、さっきまでも感じていたものだ。


「妖気……?」


 違和感の正体を口にし、目の前のカエルの正体を悟ったことで、相亀の中で忘れかけていた記憶が蘇った。ほんの少し前にQ支部で起きた、ちょっとした騒動の記憶だ。


「お前……もしかして、Q支部から逃げたカエルか……?」


 相亀が確認するように聞くと、それを肯定と取っていいのか、偶然そうしただけなのかは分からないが、目の前のカエルが「ゲコッ」と鳴き声を上げた。


 ほんの少し前のことだ。一匹のカエルの妖怪がQ支部で保護された。相亀達が捕獲したもので、それ以前にも接触のあった妖怪だ。その妖怪にはアッシュと名づけられ、Q支部の中で飼育されることが決まった。


 しかし、そのアッシュはQ支部からの逃走を図った。こう言ってしまえば、アッシュが逃げ出したように聞こえるが、実際のところは違う。


 アッシュを捕獲した一人で、大のカエル嫌いである水月がアッシュをQ支部から追い出そうとしたのだ。

 そのために部屋からアッシュを出し、Q支部の外に連れていこうとしたが失敗。アッシュはQ支部の中を逃げ回り、最終的に行方が分からなくなっていた。


 Q支部の中に未だにいるのか、外に逃げてしまったのか分からない状況だったが、もしも、あのアッシュがQ支部の外に出ていたら、その後は自由気ままに行動していたことだろう。

 このショッピングモールの中に食べ物を求めてやってきても不思議ではない。


 あの一件を考えると、アッシュが見つかったことは朗報と言うべきことだったが、今はアッシュの発見はどうでも良かった。

 ショッピングモールの中でザ・フライが暴れている状況だ。ザ・フライを倒す手段がなければ被害が広がってしまう。


 相亀に取れる手段は自己犠牲によって成り立つものだけだが、それは穂村の言葉で本当にいいのかと疑い始めてしまった。

 この状況でさっきまでと同じ行動を取れるとは流石に思えない。


 アッシュに感けている時間はない。ザ・フライに対抗する手段を急いで考えないと。


 そのように相亀が意識をカエルから離し、ザ・フライのことを考えようとした直前、ザ・フライが階段を覗き込むように頭を出した。首は監視カメラのように回転し、相亀を見やったところでピタリと止まる。


 相亀一人なら、ひたすらに殴られるだけで済んだだろう。

 だが、今は隣に穂村がいる状況だ。穂村を巻き込むわけにはいかない。穂村の身代わりになっても、ザ・フライの攻撃が相亀の耐久力を超えた瞬間、その意味がなくなる。


 先手必勝。正確に言えば、後手に回れない。それだけの意思で相亀はザ・フライとの距離を詰めて、穂村を後ろに押しながら、ザ・フライに拳を叩き込んだ。

 万全とは言えないながらも、さっきまでと比べたら、悪くない一撃だった。これを当て続けたら、ザ・フライの土の鎧も砕けそうだ。


 しかし、ザ・フライにも時間を与えてしまったことは事実だった。


 それを証明するように、相亀の拳がぶつかったものはザ・フライの身体でも、その身体にまとった土の鎧でもなく、肩から伸びた土による腕だった。それも通常の形ではなく、相亀の拳に合わせて伸び切った形だ。


 その光景だけで相亀は察した。

 ザ・フライは土を制御できるようになってきている。


 さっきまで土による腕で繰り出される一撃が安かったのは、その一撃が肩を振って放たれたものだからだ。腕に力を入れられない関係上、腕を振り切る動きができずに威力が落ちていた。


 だが、今は土の腕そのものを動かすことができるようになった。その状態で放たれる一撃はさっきまでの比ではない。


 足以外に有効的な武器を手に入れられた。思わず表情を強張らせた相亀の前で、ザ・フライがもう片方の土の腕を伸ばした。


 相亀の背後に穂村がいる状況だ。その威力は分からないが、相亀はその拳から逃げることができない。殴るために振り切った右手を戻す時間はない。左腕一本でその拳を受け止めるしかない。

 覚悟を決めた相亀がガードを上げて、ザ・フライの一撃を待とうとした。


 その時のことだ。相亀の視界の端から何かが伸びて、ザ・フライの土の腕に絡まった。それはザ・フライにとっても予想外だったらしく、ザ・フライは伸ばしかけた土の腕を驚いたように見てから、そこに絡まった何かがどこから伸びているのか確認するように視線を動かす。

 その動きに合わせて、相亀もザ・フライと同じ方向に視線を向け、ザ・フライの土の腕に何が絡まったのか確認した。


 それはアッシュの伸ばしただった。


「お前、何して……」


 相亀が驚きをそのまま言葉にしようとした瞬間、アッシュの舌が縮まり、ザ・フライの土の腕を締めつけた。土の腕と言っても、その硬度は相亀の打撃を通さないほどだ。簡単に崩れるものではない。


 そのはずだが、その舌の締めつけに耐えられなかったように、ザ・フライの土の腕が一瞬で四散した。相亀の目の前で腕を作っていた土が飛び散っていく。


「え……?」


 今度は驚きを言葉でもない声として漏らした直後、その光景に満足したようにアッシュが「ゲコッ」と鳴き声を上げた。

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