影は潮に紛れて風に伝う(14)
動物を引き連れた少女が立ち去った後も、幸善はしばらく島の天井へと続く壁の前に立っていた。仙気を体内で移動させながら、拳を握ったり開いたりして、壁を殴る準備だけ済ませる。
その上で幸善はそれを壁に向かって振るうべきかどうか、さっきの少女の言葉を思い浮かべながら悩んでいた。
少女の言葉を正確に理解できたわけではないが、壊すと危ないというようなニュアンスの言葉であることは分かった。
殴ることではなく、壊すことが危険と言っていたので、幸善が殴れば壊れる壁であることは間違いないのだろう。あまりの強度から拳が壊れるという意味なら、拳という単語を聞き取れるはずだ。
つまり、問題となるのは壊した後に何が起きるかだ。壁が崩れることで、連鎖的に天井まで崩壊する可能性や、もっと単純にキッドが激怒し、幸善を攻撃してくる可能性も考えられるが、具体的にどれが正解かは分からない。
危険という言葉の向いている範囲も分からない。少女は他人事のように言っていたので、その対象が幸善だけに限定されるように聞こえるが、実際は少女から見た時の村人も、その他人事に含まれている可能性がある。
壁の向こう側の調査は居場所の特定や帰国の可能性を生み出すのに必要だとは思うのだが、それも無鉄砲に進めるだけでは難しいようだ。
幸善は冷静に考えた上で、少女の忠告を一度聞くべきだと判断し、準備するだけした拳を収めることにした。
自分だけが危険なら、一縷の可能性に託すのも悪くはないが、村人が巻き込まれる可能性があるのなら、それを強行するほどに幸善は独善的ではない。
「帰るか……」
少女のことは気になるが、行き先が分からない以上、探すことは難しい。森の中にいると断定し、歩き回っていたら、いつかは逢えるかもしれないが、その前に幸善が力尽きる可能性もある。
キッドが幸善を連れてきた以上、何かしらの手段を以てキッドが接触してくる可能性は高いはずだ。それを期待せずに情報を得られるのなら、それが一番だったのだが、それもキッドの島というアウェイである以上、難しいらしい。
村でキッドの訪問を待つしかないか。幸善は諦めと嫌気を溜め息として吐き出し、仙気を移動させた足で地面を力強く蹴った。ここに至った時と同じように駆け出し、幸善は村に猛スピードで戻り始める。
夕食の時間まではまだ余裕があるのだが、ウィームがもしも幸善を探し始めたら、幸善が村の近くにいないと分かってしまう。下手な騒ぎは避けたいし、ウィームにいらぬ心配もかけたくない。
ウィームが慌てる前に村の近くまで帰る。それだけを考え、幸善は足を動かし続けた。
そして、行きでそうなったように、村の近くの森の中で幸善は足を絡まらせて、地面に転がった。土に頬を擦りつけながら、肺の中の空気を必死になって入れ替える。
しばらくして、呼吸が少しずつ落ちつきを見せ始めたら、ぐったりと伸しかかる疲労感に白旗を上げるように、幸善は大の字で森の中に寝転がった。
具体的な場所は分からないが、行きのことを考えると、既に村のかなり近くに到達しているはずだ。ここなら、ウィームが仮に探し始めても、騒ぎになる前に姿を現せるだろう。
そう思っていたら、近くの茂みが揺れて、そこからひょっこりと一人の少女が顔を出した。ウィームだ。
「いた……」
そう小さく呟き、ウィームは幸善の隣まで歩いてくる。幸善はその姿に軽く手を上げて、苦しそうな表情を無理矢理歪めた笑みを浮かべる。
「やあ……」
「だいじょうぶ……?」
「まあ、ギリギリ」
疲労の限界に到達し、立ち上がることもままならない幸善の様子に、ウィームは心底不思議そうな顔をしていたが、幸善が村から離れたこと自体はばれなかったようだ。
そのことに軽く安堵しながら、幸善は疲れ切った身体に鞭を打って、身を起こした。
「もう晩ご飯?」
幸善の問いにウィームは小さくかぶりを振った。
「だいじょうぶとおもって……」
「ああ、様子を見に来てくれたのか。ありがとう」
幸善が礼を言うと、ウィームは少し恥ずかしそうに俯いた。その様子を見るだけで急いで良かったと幸善は思う。
後少しでも遅れていたら、今頃ウィームは不安に思って騒ぎ始めていたかもしれない。そういう蟠りはできるだけ残したくない。
「そろそろ、帰ろうか。ちょっと聞きたいこともできたし」
ゆっくりと立ち上がる幸善を見ながら、ウィームは小首を傾げていた。
キッドを待つことが最善かもしれないが、集められる情報を集めるに越したことはない。壁に向かったことで分かった気になることを少しは調べよう。
そう思って幸善はほんの少しの期待を込めた目をウィームに向けるが、ウィームは怪訝げに見返してくるばかりだった。
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