虎の目が光を失う(15)

 我妻あづまけいと久世を引き連れ、東雲しののめ美子みこが教室に姿を現した。その時点で相亀あいがめ弦次げんじは東雲が何を言い出すか察することができた。


 相亀の前に立った東雲が隠し切れない笑みを浮かべている。その表情が何よりの答えだ。きっと東雲はポーカーが強くないと思いながら、相亀は口を開くことなく待った。


「相亀君に朗報です!」


 高らかに宣言し、相亀は一瞬、首を傾げそうになる。相亀の思っていることなら、少なくとも、『朗報』という言葉はつかないはずだ。強いて言えば、『速報』が適切である。


「幸善君の帰国日が決定しました!」


 しかし、次に来た言葉は相亀の想定通りのものだった。それを朗報と相亀も捉えていると思う辺りに抗議したい気持ちはあったが、面倒な上に東雲が聞くとは思えない。


 相亀は喉元まで出てきた言葉を無理矢理に飲み込み、東雲に言ってやることにした。こちらも東雲の持ち込んだ話題に用意していた返答がある。


「知ってる」


 相亀が素っ気ない態度で答えると、東雲はきょとんとした顔で固まった。


「あ、れ?そうなんだ……?もう聞いてた?」

「ああ。多分、同じタイミングで知ったと思うぞ」


 実際は奇隠の関係から相亀の方が連絡は早かったのだが、東雲が聞いているタイミングで相亀の耳に入っていてもおかしくないことは確かだった。


 仮に奇隠の関係がなくても、既に知っていることは間違いないだろう。それをいかにも知らないだろうという風に語り出すのは、東雲の早とちりが出た形だ。


 ちらりと視線を隣に向けると、我妻はいつもの調子だが、久世は苦笑を浮かべていた。同じことを思っていたなら止めればいいと思いながらも、久世が止めるとは思えない。


「ま、まあ、知ってるならいいとして、ついに幸善君が帰ってくるね」


 東雲はいかにも嬉しそうに語っているが、相亀は幸善の帰国にそこまでの熱がない。幸善が帰ってくるという話題よりも、今年も梅雨が来たとか、もうすぐ台風が来るとか、そういう話題の方が盛り上がれるくらいだ。

 強いて気になることを挙げるとしたら、相亀にも思いつくことが一つだけある。


「土産を忘れてないといいな」

「そこ?幸善君が帰ってきて良かったとかないの?」

「東雲はそうかもしれないが、俺は特に……」

「い、いや!?別に私だけじゃないと思うよ!?ねえ!?」


 相亀の指摘に東雲は少し慌てた様子を見せ、我妻と久世に話題を振っていた。


「無事に帰ってくるならいい」

「やっぱり、彼がいないと揶揄い足りなくて、退屈な時間も多いしね」

「こっちもこっちで、ちょっと違う雰囲気だが?」


 相亀だけがずれているわけではなく、全員の温度感が微妙に違うことを指摘すると、東雲は少し不満そうに頬を膨らませていた。何を不服に思っているのか想像に容易いが、東雲と同じ熱量を相亀達に要求するのは酷というものだ。

 東雲の様子に久世が笑いながら宥めて、何とか機嫌を直そうとしているが、相亀は特に取り繕うつもりがなかった。


 幸善の帰国に対して、相亀はまだ解消できてない問題を抱えていて、それをどうするか悩んでいる最中だ。東雲の機嫌を直す必要がないと思っているというよりは、東雲の機嫌を直す余裕がないと言える。


 幸善に伝えるのかどうか。その部分も含めて、ちゃんと答えを出しておく必要があると思いながら、我妻も加わった三人の会話を眺めていると、不意に相亀のスマホが着信を告げた。


 何気なく、通知を確認してみると、それは奇隠からの連絡のようだ。急な仕事の話だとしたら、ここで確認しないわけにもいかない。相亀はスマホを操作して、奇隠から届いた連絡に目を通した。


 そこで、しばらく相亀は固まることになった。数回、届いた文面を読んでみるが、一切の解釈の余地もなく、届いた文面は最初に思った通りの内容だ。


 状況などの詳細な情報も入っているが、それらを割愛して、必要な情報だけを切り抜くと、要するにと書かれていた。


 相亀は何度もその文面に目を通し、それが間違いではないことを確認したが、どれだけ読んでも、それ以上の内容は頭に入ってこない。


「あれ?どうかした?」


 不意に久世に声をかけられ、相亀はスマホから顔を上げた。少し考えてから、かぶりを振って、「何でもない」と答える。奇隠からの連絡は常に最速だ。まだ三人に話すことはできない。


「そう?なら、いいけど」


 少し不思議そうにしながらも、納得したように呟く久世を見てから、相亀は再度、スマホに目を落とした。この少しの時間が経過しても、届いた文面は変化することなく、そこに存在している。


 それを確認してから、再び顔を上げて、相亀は東雲達の顔を見た。三人は相亀に届いた一報を知ることなく、幸善が帰ってくることを嬉しそうに話している。

 その光景を見ながら、相亀の心の中では行き場のないもやもやとした感情が渦巻いていた。

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