虎の目が光を失う(14)

 自身の右肩を押さえながら、恋路は憎らしそうに秋奈を睨みつけていた。気分が悪くなるほどの殺意だが、それに晒された秋奈は馬鹿の振りして首を傾げている。


 その仕草にも苛立ちを覚えているようだったが、その殺意に反して、恋路が動き出す気配はなかった。


 一応、加原や厄野の位置も確認していることから、秋奈ではなく二人に狙いを変えて、人質を作ってから秋奈に応戦することも考えたようだが、秋奈にその発想がないはずもなく、既にその動きは警戒されていることが秋奈の視線から分かっていた。


 恋路がそうするように秋奈も動き出す気配こそないが、意識の向け方は恋路の動きを完璧に塞ぐ形になっていて、そこに立っているだけで恋路は張りつけられたように動けなくなっている。


 その状況に苛立ちを隠すことなく歯を食い縛り、唇の端から血を流しながら、恋路は秋奈を睨みつけた。


「お前は絶対に許さない」

「そういう愛の告白?」


 首を傾げる秋奈に言葉を返すことなく、恋路は足を動かして、ザ・タイガーの身体の下に滑り込ませた。その動き出しに反応し、秋奈が刀を構えた直後、恋路は足を振り上げて、ザ・タイガーを秋奈の元に飛ばす。


 それに対して、秋奈は咄嗟に構えた刀を振ろうとしたが、その寸前で動きを止めて、刀を握っていない方の腕を振るった。そこから飛び出した仙気がザ・タイガーにぶつかり、ザ・タイガーの身体を秋奈の視界から移動させるように、その飛来する軌道を変えた。


 その移動するザ・タイガーの脇に隠れて、恋路は走り出していた。ザ・タイガーの存在は奇隠から見て謎でしかない。できるだけ身体を傷つけないように死体を持ち帰るだろうと判断したらしく、その判断は間違っていなかった。


 恋路が秋奈の脇に移動し、秋奈はザ・タイガーの下から恋路が抜け出した瞬間、手に持っていた刀を振るい始める。そこから仙気を飛ばし、恋路の身体を狙うが、既に速度に乗っている恋路を捉えることは難しかった。


 攻撃を考えているなら未だしも、恋路の動きは完全に逃げるための動きだ。その動きに対応する前に恋路は秋奈の視界から抜け出すように、別の路地に飛び込んでいた。


 秋奈は急いで追跡しようとするが、路地は短く、その路地を抜けた先は多くの通行人が見える。そこから恋路を見つけ出すことは難しかった。


「あらら、逃げられちゃった」


 残念そうには思えない軽い口調で秋奈が呟き、加原と厄野に目を向けた。恋路やザ・タイガーから直接的な攻撃を受ける機会こそ少なかったが、そうならないように消耗した仙気は多く、二人は既に満身創痍と言える状況だった。もう少し長引いていたら、攻撃を避けることもできなくなって、あっという間にミンチにされていたことだろう。


「二人は大丈夫?」

「大丈夫です。ありがとうございます、秋奈さん」


 手を振りながら声をかけてくる秋奈に手を振り返し、加原は何とか叫んで返答した。


「助かりましたね」


 倒れ込みながら厄野が呟き、加原は首肯する。来てくれた人物が秋奈でなければ、戦闘は未だ続いていたかもしれない。


「お前も来てくれて助かった。もう少しで足がなくなるところだった」

「ちょっと離れた隙に戦闘になっていて驚きましたよ」

「それは俺も同じだ。見つかった瞬間は死んだと思ったよ。少しでも長生きしようと抗っていたが、地面で虫が足掻くみたいなものだ。大した時間稼ぎになることもなく、利用されて殺されていたかもな」


 存在したかもしれない現在に思いを馳せ、加原は身震いした。厄野が来てくれなければ本当にどうなっていたか分からない。そう思いながら、さっき恋路が蹴り飛ばしたザ・タイガーの死体に目を向ける。


「どうだ?まだ酒に逃げるか?」


 加原の問いを聞いた厄野が倒れ込んだまま、しばらく黙っていた。


「お前がいたから俺は助かったし、お前がいたからあのトラを倒すことができた。それでも、お前はまだ自分が無力だと思うか?」


 再度、そのように問いかけると、地面に倒れ込んだままの厄野が小さく笑うような声が聞こえてきた。


「そうですね……まだ完全にとは言えませんが、自分にしかできないこともあるって、ようやく少し実感できました」

「そうか」

「それにこれ以上、先輩を連れ回すと、先輩の財布が空になりますからね」


 そう言われ、加原はさっき言ったことを思い出し、厄野が何で笑っているのか理解した。


「電気止められたら、お前の家に邪魔するから」

「いや、絶対に先輩の方が俺より稼いでいるでしょう?止められるなら、俺の方が先です」


 くだらないことをケタケタと笑いながら話し合い、加原は厄野と同じようにその場に倒れ込んだ。不思議そうに秋奈に覗き込まれるのは、その少し後のことである。

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