虎の目が光を失う(8)

 氷の刀は刀と呼んでも差し支えないのか怪しく思うほどに歪な形だった。その刀を受け取った恋路は片腕を失っている。歪で大きな刀を片腕で振り上げた状態だ。その時点でバランスは悪かった。

 そこにダメ押しの一発が加われば、恋路の体勢が崩れることは想像に容易かった。


 だが、倒れた加原は当然、そこに攻撃することなどできない。仙気を飛ばすことくらいならできるかもしれないが、倒れた状態で狙いを定めることは不可能だ。偶然、恋路に当たることを祈るなど、ギャンブルにも程がある。


 たとえ、少しでも力を与えることができれば、恋路の体勢を崩すことができるとしても、加原にそれをすることはできない。

 恋路は刀を振り下ろし、加原の足は切断される。そこまでが必然的な未来に思われた。それは刀を振り下ろす恋路も、刀を受ける加原も共通の認識だ。


 しかし、刀を振り下ろした直後、恋路は大きく体勢を崩し、加原の足を狙っていた氷の刀を地面に強く叩きつけた。氷の一部が割れて、周囲に細かな破片をばら撒きながら、恋路は驚いた顔をしているが、その下に転がっているだけだった加原も同じ表情をしてしまう。


 恋路に何があったのか。その答えは考えるまでもなく、加原の前に姿を見せた。


「取り敢えず、逃げます」


 そう呟く声が聞こえてから、加原の身体は持ち上げられた。


 持ち上げた人物は言うまでもない。この状況の中に気づかれることなく入り込める唯一の存在。だ。


 厄野は倒れた加原を担ぐように持ち上げ、恋路やザ・タイガーから離れるように走り出した。加原は担がれた状態で背後を振り返り、そこに倒れ込んだ恋路の姿を見る。


 今はまだ追いかけてくる様子がないが、倒れた恋路が動き出すのに時間はかからないはずだ。加原と厄野を比べた時に移動する速度は加原の方が速い。

 その加原が恋路やザ・タイガーから逃れられなかった時点で、加原を担いだ状態の厄野が逃げられるはずもない。


「厄野。俺を下ろせ」

「え?いやいや、できませんよ。そんな状態で無防備な先輩を放置できるほどに俺は鬼じゃないですから」

「違う!このまま逃げても逃げられないから、戦えるようにするんだよ!」

「戦える?」

「氷を熱で解かす」


 加原の考えをようやく理解してくれたのか、厄野は道端に加原を下ろして、恋路達の様子を窺うように背後を見ていた。


「まだ全然見える距離にいますよ?どうしますか?」

「安心しろ。見えなくなっても、すぐに縮まる差だ」

「いや、全然、安心できないんですけど」


 そうこう言っている間に、立ち上がった恋路がザ・タイガーと一緒に走り出した。ほとんど跳躍に近い踏み込みで、恋路は加原達との距離を詰めてくる。ザ・タイガーに至っては動き出した直後に姿が消え、もうどこにいるかも分からない。


「来ますよ!」

「言う暇があったら身構えろ!」


 加原は全身に薄く仙気を移動させながら、注意するように叫んだ。


 その直後、加原の上にトラの顔が現れ、加原の背に向かって拳を握った。


「先輩!?」


 厄野が叫んだ瞬間、加原は全身を拘束していた氷を振り払い、身体を起こしながら腕を振るった。全身に動かすついでに溜めていた仙気が手から飛び出し、ザ・タイガーの上半身にぶつかって爆発する。


 しかし、それも予想していたようにザ・タイガーは体表を薄く氷で覆い、その一撃を防いでいた。


 その姿を見ながら、加原は引き攣った笑みを浮かべる。不意に思い出したのはザ・タイガーに関する報告だ。ザ・タイガーとの戦闘に関する情報は頭の中に入れていた。


「ああ、そうか。これは予習済みだったか」


 ザ・タイガーが大きく腕を振り上げ、手の中に巨大な刀を作り出した。さっき作った刀よりも歪な形で、刀身から考えると柄は折れそうなほどの短さになっている。

 それをザ・タイガーはほとんど重さに任せて、手から落とすように振り下ろした。加原は咄嗟に両手を上げて、その間に仙気を渡し、ロープのようにすることで何とか刃を受け止める。


「重っ!?」


 思わず声を漏らしながら、加原はこのままだと押し潰されると判断し、氷の刀を前方に落とすように受け流した。同時に自身は背後に跳躍し、体勢を立て直しながら、ザ・タイガーとの距離を開ける。


「先輩!」


 その姿に心配した様子で厄野が叫んでいたが、厄野も余裕がある状況ではなかった。ザ・タイガーに遅れることしばらく、ようやく加原達に追いついた恋路が厄野に接近し、厄野を狙って足を上げた。


「邪魔するなよ、透明人間」

「ちょっ……!?待ってくれ!?」


 恋路が軸足を綺麗に変えながら、回転するように二度、三度と蹴りを放った。空気そのものを切断するように鋭い音を鳴らしながら、自身の眼前を通過する足に怯え、顔を引き攣らせているが、何とか厄野はそれを躱している。戦闘向きの仙技ではなく、戦闘を避けているからこそ、逃げることや避けることは得意だった。


 厄野が恋路から離れるように逃げて、加原に近づいてきた。加原はザ・タイガーと向き合いつつも、厄野や恋路に意識を向ける。


「連絡を終わったのか?」

「ええ、もちろん。爆発を聞いて、慌てて駆けつけました」

「なら、無理をしないことが最適だな」


 加原と厄野は互いに恋路とザ・タイガーに目を向ける。時間稼ぎは新たなフェイズに移行した。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る