虎の目が光を失う(7)

 一瞬、何が起きたのか理解できなかった。気づけば加原は天を仰ぎ、背中を強い衝撃が襲ってきた。ボールのように身体をバウンドさせながら、加原は足を振り上げた恋路の姿を仰ぎ見る。


 土煙の奥で光る何かを発見し、それが何かと考えようと思った時のことだった。猫の目のように光を反射して煌めく瞳だと、加原の脳が光の正体を理解した時には、加原の身体を原付くらいの衝撃が襲っていた。


 そのまま今の状態になっていて、加原の頭は混乱に襲われていたが、それもすぐに襲ってきた痛みが掻き消した。恋路の姿と背中に伝う痛みが加われば、嫌でも理解することはできる。


 自分は蹴り飛ばされた。そう分かった時には、恋路が再び足を構えて、加原の身体を狙っていた。


 踵落とし。体勢から察するに次の攻撃はそれだが、地面にバウンドして、無防備に全身を晒している加原に防ぐ手段はなく、このままだと直撃することは間違いない。恋路の膂力の強さは体感しているので、次の一撃がどれくらいの威力を持つのか、想像することは容易だ。


 死ぬ。脳や脊髄が指令を出すまでもなく、本能的に直感した恐怖が加原の全身を震えさせた。


 気づいたら、加原は手に仙気を移動させ、地面に向かって振るっていた。地面に触れるまでの時間はなかったが、手に移動させた仙気が地面との間で膨らみ、ちょうど浮かんでいた加原の身体がスライドして移動する。


 その直後、恋路の踵が加原のいた空中を通過して、地面に勢い良くぶつかった。地面はアスファルトのはずだが、卵の殻のように割れて、恋路の足は地面に突き刺さっている。


 もしも、直撃していたら肋骨は折れ、内臓の一つや二つは潰れていたかもしれない。そうなったら、仙人でも助かるわけがない。


 ほっとした加原が胸を撫で下ろしたのも束の間、加原に休息の時間は与えられることなく、逃げた先には氷の塊を持ったザ・タイガーが現れた。両手で抱えるように氷の塊を持ち、それを加原の上に落とすように両腕を振り被っている。


 死ぬ――かどうかは分からないが、あのサイズの氷の塊を受けて、完璧に無事であるはずはない。怪我を負って動きが鈍くなることは明白で、そうなった時に速度自慢の二人を相手にすることが難しいことくらい馬鹿でも分かる話だ。


 さっきは恋路の動きから時間的に不十分だと判断し、仙気を利用することにしたが、今回は時間的にも問題ないだろうと考え、加原は地面に手を触れる。その手を軸に身体を回転させ、振り落とされた氷の塊に向かって、加原は足を振り上げた。


 加原の足と氷の塊がぶつかり、氷の表面は凹むように割れていた。予想よりも容易に割れたと思いながら、加原はそのまま足を最後まで振り切って、氷を細かく砕いていく。

 加原の周囲を氷の破片が散らばって、きらきらとした煌めきに囲われながら、不意に加原は当然の疑問に襲われる。


 簡単に砕けてしまったが、加原を攻撃するために振り下ろされた氷なら、この硬度はあり得ない。加原にぶつかっても、十分な致命傷を与えることはできないはずだ。


 それ以外に用途がある。そのことに気づいた時には遅く、加原の視界の氷の破片が伸長し、周囲の氷と星座のように繋がり始めた。


 加原は咄嗟に氷の隙間から逃げようとするが、その逃げ道を塞ぐように氷が繋がり、それを切ろうと腕を振るっても、その氷は一切簡単に砕けてくれない。加原は一度、拘束されているので、その氷の硬さは既に理解していた。どれだけ攻撃しても砕ける硬度ではないことくらい分かっている。


 それなら、もう一度、熱を与えることで解かすことができるのではないか。加原がそう思って仙気を移動させるよりも早く、氷の檻は完成を迎えていた。それらの氷は伸び切ったゴムが元に戻ろうとするように縮んで、加原の身体を一気に締めつけてきた。上半身だけでなく、下半身にまで絡まって、加原は真面に立つこともできなくなる。


 地面に転がって、その衝撃に顔を歪めていたら、いつの間にか、加原のすぐ傍に恋路が立っていることに気づいた。


「最初からこうすれば良かった。無駄に時間を食った」


 冷めた口調でそう口にしながら、恋路が加原の脇腹を狙って足を振るった。爪先で脇腹に突き刺さり、加原は一瞬、呼吸ができなくなるほどの痛みに襲われる。


「まあ、いいか。でかいの作れ」


 恋路が一瞥することもなく、ザ・タイガーに命令すると、ザ・タイガーは腕の中に巨大な氷の刃を作り出した。辛うじて持ち手はあるが、刀と表現できるか分からないほどに刃の部分が大きくて歪な形だ。


「子供の絵みたいな刀だな。出来が悪いにも程がある。だが、まあ、切れれば何でもいいか」


 恋路はザ・タイガーから氷の刀を受け取り、それを大きく振り上げた。刃の向かう先には加原の足が無防備に転がっている。加原の足は金属製ではないので、それが振り下ろされたらどうなるかは明白だ。


 加原が思わず引き攣った笑みを浮かべる。それが合図になったように、恋路は一瞬の躊躇いもなく、氷の刀を一気に振り下ろした。

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