虎の目が光を失う(9)
ザ・タイガーの動き出しは相も変わらず見えなかった。気づいた時には加原の眼前で拳を構えていて、それを認識した時には避けるしか選択肢が残されていなかった。
元々、加原の一撃が機能するとは思っていないので、攻撃する意思自体が希薄ではあるのだが、この速度を見せられると、その希薄な意思すらも弱々しいものになってしまう。
あの速度に対応しながら、攻撃することも考えるには、それ相応の経験値が必要だ。厄野よりは慣れていると言えるが、他の仙人と比べた時に戦闘での経験が少ない方に分類される加原では、ザ・タイガーの動きを追いながら攻撃することは不可能に思えた。
やはり、ザ・タイガーを倒すことは現実的ではない。ザ・タイガーでそれなら、人型である恋路は言うまでもない。
そう思いながら、ザ・タイガーの振り下ろした拳を躱し、加原はザ・タイガーと距離を取ろうとした。
しかし、そこで加原の想定外の出来事が起きた。ザ・タイガーの振り下ろした拳が地面にぶつかった直後、そこを始点として地面から氷柱が勢い良く飛び出し、逃げる加原を追うように迫ってきた。
「マジかよ……!?」
加原は咄嗟に片手を振るって、地面にパスするように仙気を投げる。もちろん、その軽い投擲の仙気で氷柱が壊れることはないが、そこで起きた爆発は加原にも影響を与える。
何とか氷柱の軌道から逃れ、加原はほっと胸を撫で下ろしながら、氷柱の脇に着地した。
その対応の隣で、厄野は恋路に距離を詰められていた。ザ・タイガーと比べると、十分に目で追える速度だが、比較対象を仙人に変えると、かなり速い方に分類される恋路の動きだ。厄野は視覚で捉えることが精一杯で、攻撃する余裕などあるはずもなく、ひたすらに恋路の攻撃を回避していた。
厄野にとって幸いだったのが、恋路の片腕がなくなっていることだ。それによって攻撃手段が少し減り、戦闘に慣れていない厄野でも、ある程度は攻撃を読むことができていた。
いくら速度が速くても、目で捉えられる動きで、ある程度の推測ができるなら、回避することは難しくない。
問題は攻撃できないことと、厄野でも仙気を動かせないほどに隙がないことだ。自身の仙気を読み取る余裕はあるが、それを回避のための肉体強化に回すと、他の部分に意識を割くことは難しかった。
もしも、もう少し意識を割くことができれば、恋路の動きはもう少し妨害することもできるかもしれないが、それもこの状況からは難しい。
恋路の回転するように放たれる蹴りを躱しながら、厄野は攻撃が止む瞬間を待っていた。
しかし、厄野の動きから余裕が消え始めても、恋路の動きに大きな変化は生まれなかった。元より、厄野の余裕は回避に重きを置いた余裕だ。恋路の攻撃が絶対に当たらないように避けているだけで、それが難しくなったら、次第に攻撃は厄野の身体に接近してくる。
その事態の変化も合わさって、厄野の余裕は完全に消え去っていた。
当たったら死ぬ。そう思えば思うほどに、恋路の動きは鋭く、重く、厄野にとって恐怖の塊として映ってしまう。
その時、厄野の足が軽く絡まった。恐怖と疲れが厄野の足を襲い、厄野の足から動きを一瞬だけだが奪ってしまったようだ。
その軽い絡まりが原因で厄野の動きは明確に遅れ、厄野は自身の頭部に迫る恋路の足を見やった。サッカーボールのように頭が蹴り飛ばされる。その未来を想像したら、どうなるかは容易に理解できる。
死ぬ。そう直感的に悟った厄野が表情を引き攣らせた。
その瞬間、恋路の動きが停止し、厄野から離れるように身体を回転させた。その動きに合わせて足が振られ、誰もいない空間に向かって蹴りを放つ。
その蹴りに合わせるように、どこからか氷の塊が飛んできた。
「こっちに飛ばすな」
恋路が牽制するようにザ・タイガーを睨みつけ、その光景に厄野が面食らっていると、首根っこを何かに掴まれて、厄野の身体が宙に浮く。そのまま引っ張られ、どこかに連れていかれると思ったら、その先で加原が厄野の身体を受け止めた。
「せ、先輩……?す、すみません」
「いや、いい。それよりも少し耳を貸せるか?」
「どうしたんですか?」
「ちょうど今、いいことを思いついた」
そう呟いた加原が小さく笑い、怒った様子でザ・タイガーを睨む恋路を見ていた。
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