帰る彼と話したい(1)

 頼堂らいどう幸善ゆきよしの周辺調査。それに加え、椋居むくい千種ちくさの怪我もあった。椋居は未だ退院できず、ようやくリハビリが始まったらしい。椋居が怪我で入院してからは、羽計はばかり緋伊香ひいかも学校に来る回数が目に見えて減っていた。


 それらのことが重なって、相亀あいがめ弦次げんじは自身の教室よりも、幸善の教室を訪れることが多くなっていた。東雲しののめ美子みこ我妻あづまけい久世くぜ界人かいとと話し、他のクラスメイトの様子を窺い、何か変わった様子がないかと疑いを持つ。

 現時点で、特に怪しいと思う部分は見つからないが、人型ヒトガタがその中に潜んでいる可能性が消えたわけではない。調査は依然として続ける必要があった。


 しかし、その日は珍しく、相亀が幸善の教室を訪れる前に、相亀の教室に東雲達が顔を見せた。特に東雲の表情はキラキラと輝いており、その表情を見ただけで、相亀は東雲達が訪ねてきた理由を察した。


「あ、相亀君!」


 東雲が相亀を発見し、大きく手招きを始めた。休み時間の喧騒も貫く声を上げ、相亀だけでなく、その近くにいたクラスメイトも東雲を見ている。


 そこまで声を出さずともいいだろう。そう思いながら立ち上がり、相亀は教室の出入口を塞ぐように、大きくぶんぶんと手を振るう東雲に近づいていった。


「何の用だ?」


 呆れを隠すことなく声をかけると、東雲がその態度を気にすることもなく、キラキラと輝いた表情のまま、相亀に質問してきた。


「相亀君は聞いた?」

「頼堂の帰ってくる日が決まったことか?」


 そう言った途端、それまで目をキラキラと輝かせていた東雲の動きが止まり、笑顔で口を開いたまま固まった。声を出す瞬間を切り抜き、石像にした物が置かれているのかと思うほどの固まりようだ。


「え?知ってたの?」


 しばらくして、ようやく思考が追いついたらしく、固まっていた東雲が動き出し、開口一番でそう言った。


「ああ、もう聞いた」


 そう言った瞬間、東雲はそれまでの楽しそうな顔つきが一変し、途端に残念そうに項垂れていた。


「何だぁ……もう知ってたのか……」

「ほらね。だから、言ったでしょう?」


 東雲の背後で久世が納得したように呟いている。

 何を期待して相亀に言いに来たのか分からないが、幸善が帰ってくること自体は三人共、既に聞いているようだ。


 相亀に話すために目をキラキラと輝かせていた東雲も、それに苦言を言っていたらしい久世も、いつもと一切表情の変わらない我妻も、全員が幸善の帰国に対して、何か必要以上のリアクションを取っているようには見えない。


 やはり、この中には人型がいないのではないか。そう考えて、その可能性を未だに潰せていないことに、相亀は少し表情を曇らせた。


 幸善がもうすぐ帰ってくる。そうなったら、このことを話さないはずがない。

 相亀は話さなくても、水月みなづき悠花ゆうかは幸善にも伝えるはずだ。それで何を思うか、何をしようとするのか、相亀が頭を悩ませるまでもなく、容易に想像のつくことだ。


 幸善はあまりに優しい。それは甘さと吐き捨てることのできる優しさだ。

 それがあるからこそ、相亀は幸善と相容れないと思ってしまう。優しさも必要だとは思うが、それにも線引きは必要だ。


 必要以上の甘さは毒になる。自分か他人かは関係なく、誰かの命を途端に奪う猛毒だ。


 それがこの場所を掻き乱す前に、もう少し目星をつけておきたかった。相亀は億劫な気持ちを誤魔化すように、頭をぽりぽりと掻いた。


 相亀には他にもやらなければいけないことがある。それもあって、全部に意識を割くことは難しい。

 幸いなことに、ラウド・ディールとの特訓はしばらくないのだが、それもディールの気紛れに助けられているだけで、いつ再開すると言い出すか分かったものではない。


 これから、どうするべきなのか。溜め息をつきかけた相亀の隣で、不意に東雲が呟いた。


「あれ?どうしたの?」


 その一言に相亀は深く考え込んでいたことを不思議に思われたのかと思い、何でもないと答えようと東雲を見たが、東雲の視線は相亀ではなく、東雲の背後に立つ久世に向いていた。


「え?僕?」

「今、何か……いや、気の所為かな?」

「そうだと思うよ。何もないからね」


 そう言って久世が微笑み、それよりも、と声を出しながら、相亀に目を向けてきた。


「相亀君は彼が帰ってきて本当に良かったね。また楽しく話せるよ」


 そんなことは微塵も願っていないと知りながら、平然とそう言ってのける久世を見て、相亀は顔を引き攣らせる以外に反応が取れなかった。

 帰ってくる幸善と話したいことなど微塵もない。少なくとも、今は話したくないことの方が多いくらいだ。


 強いて言うのなら――そう考えた直後、何故かは分からないが、相亀の頭の中でカエルが跳ねた。

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