許可も取らずに食って帰る(15)
「近づけないでください!」
不意に絶叫が耳を劈き、吹き飛んでいた意識が身体に着陸した。身体は無造作に地面に転がされ、硬い床に面した背中や腰が限界を迎えている。
バキバキと節々から音を立て、身体を無理矢理に解すように動かし、絶叫のする方に目を向けてみると、そこでは一つの虫かごを巡って、争いが行われている真っ最中だった。
それを見ながら、その争いを少し離れた位置から見ていた人物の隣に移動し、呆れた顔に合った呆れた声で、ぽつりと呟いた。
「何の騒ぎですか?」
「ああ、起きたんだね」
自身の隣に移動してきた相亀の顔を見て、冲方がそう呟いた。
一つの虫かごに関する争いを、遠巻きに見守っていたらしく、顔には苦笑が薄らと張りついている。
「あれは……」
そう言いながら、目を細めて虫かごを覗き込み、その中にいる緑色の物体を確認した。
「あのカエルですか?」
「そう。捕まえてQ支部に連れてきたんだけどね」
「それで牛梁さんが水月を揶揄っている……わけじゃないですよね?流石に」
虫かごを持っている人物は牛梁で、それを拒絶するように両手を突き出しながら、必死の形相で絶叫しているのは水月だった。
その関係性自体は納得のいくものだが、牛梁の性格を考えると、牛梁が水月をひたすらに揶揄っているとは考えづらい。
そこには何か理由があるはずだと相亀が思っていたら、相亀の問いに冲方が頷いた。
「実はね。今回の一件もあったから、あのカエルをQ支部に置くことになったんだよ」
「ああ、監視ですか?」
「そういうことだね。流石に農作物を荒らされて、それを放置するわけにもいかないからね」
「それで、もしかして、水月が世話を?」
それで水月が拒絶しているのかと相亀は考えたが、流石にそれほど鬼のような決定は下されなかったようだ。冲方はかぶりを振って、牛梁や水月とは違う方向に指を向けた。
そこには一人の女性が、さっきまでの冲方と同じように苦笑を浮かべて立っていた。
「彼女、
満木
二人の争いが起こったことに納得のいかない相亀が首を傾げると、冲方が再び顔に苦笑いを張りつけた。
「その予定なんだけどね。水月さんがQ支部にカエルがいる状態は耐えられないって言い出したんだよ。いつ遭遇するかも分からないからね。だから、今すぐに逃がしたいって」
「逃がしたいって……流石に無茶でしょう?そうしたら、また作物に被害が出るかもしれないっていうQ支部の判断でしょう?」
「そう。もちろん、無理なんだけどね。水月さんは納得しなかったんだよ。だから、一つだけ案を出したんだ」
「案?」
冲方が指を立て、閃いたと言わんばかりに言い出す姿を見て、相亀はその時も同じように言い出し、この状況を招いたのだろうと想像がついた。自然と苦笑が浮かんでくる。
「水月さんが人里離れた場所に逃がしてくるなら、交渉してくるよって」
「鬼ですね……」
カエル嫌いの水月にカエルを任せるなど、真面に目的が果たせるとは思えない組み合わせだ。いつぞやのように絶叫して終わることは目に見えている。
だが、苦笑する相亀とは裏腹に冲方は神妙な面持ちでかぶりを振った。
「鬼じゃないよ。自分の我が儘を言っているんだから、それをこなすのは自分しかいないんだよ。それができないのなら、水月さんは受け入れるしかない。それが当たり前だよ」
「まあ、それはそうかもしれないですけど……それでできた状況がこれですか?」
相亀が水月と牛梁のやり取りを指差すと、流石に思うところがあったのか、冲方の表情に再び苦々しいものが浮かんできた。
「近づけないでください!牛梁さんにお願いします!」
「いや、水月が言い出したことだろう?俺は別にこいつをQ支部に置いても構わない」
「良くそんなことが言えますね!?死人が出ますよ!?」
「大袈裟だろう……」
必死の形相で訴えかける水月とは対照的に牛梁は困惑し切っているようだ。
既に苦笑から笑いの成分が零れ落ち、表情には見るからに伝わる苦々しさしか残っていない。どう対応したらいいのか、既に判断ができなくなっている頃だろう。
「止めないんですか?」
相亀が冲方に聞いてみると、冲方は小さく微笑むばかりで何も言わなかった。
表情だけで十分な回答はされているが、それに対してはろくでなしとしか言いようがない。
「じゃあ、代わりに行ってきますよ」
覚醒早々、カエルの行方を定める裁判に参加することになり、何という目覚めだと思ったが、この状況が長く続くことにも耐えられそうにない。
これも仕方ないかと思い、二人に近づいた相亀を発見し、水月が顔を輝かせた。猛烈に嫌な予感がする。
「相亀君が起きたので、相亀君に行ってもらいます!」
「いや、何でそうなるんだよ?」
「ほら、相亀君は後半寝てただけだし」
「原因はお前だろうが!?」
参戦早々、水月との言い争いが開始され、真面に止める様子がなくなった相亀を見て、遠巻きに見ているだけの冲方は苦笑を浮かべた。
騒がしいことだが、こういう時に丸く収めそうな人物はこの場にいない。
そう思っていたら、冲方のスマホが震え、着信を知らせてきた。ポケットから取り出し、送られてきた文章に目を通し、途端に冲方の表情が明るくなる。
「みんな!」
不意に冲方が声をあげ、言い争っていた相亀達の動きがピタリと止まった。三人の顔が冲方に向き、冲方はその三人に見せつけるようにスマホを向ける。
「朗報だよ」
「朗報?」
「カエルを置かないことに決まったんですか?」
「いや、そうじゃなくて、決まったって」
「何が?」
「頼堂君の帰国日が」
冲方のその一言に三人は顔を見合わせ、しばらく黙ってから、全員が示し合わせたように声を揃えた。
『今はそれどころじゃない!』
その一言に冲方は唖然とし、依然として言い争いが続けられるのだった。
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