帰る彼と話したい(2)

 扉をノックする少し前から、部屋に接近してくることが分かるほどの騒がしさだった。とんとんと扉をノックする音にも話し声が被って、扉を開ける前から楽しそうな雰囲気が部屋の中に伝わってくる。


 その雰囲気に少し安堵しながら、ノックに答えるように言葉を返した。

 その声を聞いたらしく、ゆっくりと扉が開いて、途端に静かになった美藤びとうしずくが顔を覗かせた。


沙雪さゆきちゃん?元気?」


 そう声をかけながら、美藤がゆっくりと部屋の中に入ってくると、その後ろから浅河あさかわ仁海ひとみ皐月さつき凛子りんこが続いて顔を覗かせる。


「様子はどう?」


 美藤に続いて病室に入ってきた浅河が聞いてくる。その心配した様子の声に安心させようと、元気さをアピールするために身体を動かそうとしたが、そこで有間ありま沙雪は痛みに顔を歪めることになった。


「沙雪ちゃん!?」


 途端に美藤の心配した声が響き、有間は苦笑いしか浮かばなかった。


「まだ痛みが残っているだけで、基本的には大丈夫。もうここも出られるって言われたから」


 そのように言って示す部屋は、Q支部の中にある病室だ。大部屋であり、他にもベッドが並んでいるのだが、現在は有間だけがその部屋の中に入院している状態だった。


「ところでみんなは?」


 有間が頭を指差しながら聞くと、浅河と皐月が自分の頭に触れた。そこには真新しい包帯が巻かれている。


「私は大丈夫。一発だったから」


 いつもの調子で皐月が答えた。皐月は頭をぶつけ、その衝撃で意識を失っていたのだが、脳に問題は見られなかったそうで、頭の傷だけが残った状態だそうだ。


 その隣で浅河は少し言いづらそうに包帯を撫でた。


「私はまあ……ちょっと傷が残るかもしれないとは言われたけど、基本的には大丈夫だって」

「傷って、顔に?」

「まあ、髪で隠れるから、残っても問題ないよ。決まったわけじゃないしね」


 浅河は気丈に笑っているが、顔に傷が残るということが簡単に受け入れられるものとも思えない。有間は心中を察したが、それを追及するのも辛いことだろうと思い、あまり言葉をかけられなかった。


「雫は?」


 浅河が空気を察したのか、話題を転換するように美藤を見た。

 美藤は少し顔を歪めながら、自分の背中を軽く摩っている。


「ちょっと背中にまだ痣が残ってるって。名誉の負傷だよ」


 背中の痛みに襲われ、少しだけ苦しそうにはしているが、怪我自体は回復傾向にあるようで、美藤は朗らかに説明した。


 全員が意識不明の状態で運び込まれた時は、どのようになるかと思ったが、終わってみると怪我自体はあまり深刻なものではなかった。直接的なダメージに繋がる攻撃が少なかったのが幸いしたのかもしれない。

 四人が戦ったザ・タイガーに逃げられたことは心残りだが、誰一人欠けることがなかったのは喜ばしいことだった。


「だけど、沙雪ちゃんはもうちょっと長くなるかもしれないって思ってたから、もう出られるんだね?」


 少し驚いた口調で浅河がそう呟いた。


 運び込まれた時点の状態が一番深刻だったのは、ザ・タイガーの攻撃をもろに受けた有間であることは間違いなかったのだが、その有間も最も深刻だったのは出血量くらいで、怪我の深さ自体は意外と想定よりも浅いものだった。

 輸血で血液さえ元に戻れば、怪我の治療は意外にも集中的に治療が必要なものではないそうだ。


「沙雪ちゃんが退院したら、仕事も再開だね。今度は激しくない奴がいいな」

「同感。戦闘は私達の性に合ってないよ」

「逃げ出したペットを捕まえるくらいの気楽さが一番」


 もう戦いは懲り懲りだと言わんばかりに消極的な三人を見て、有間は苦笑しか浮かばなかったが、その気持ち自体は同感だった。


 戦わなければいけない時に戦うつもりではいるが、それを望んでいるわけではない。何もないのなら、何もないに越したことはない。


「ていうか、何か寒いと思ったら、凛子、扉を閉めてないね」


 不意に入口に目を向けた浅河が全開の扉に気づき、最後に入ってきた皐月を見た。皐月は黙ったまま、手をゆっくりと上げて、見せつける形でピースサインを作る。


「いや、何がピース?閉めてきてよ」

「換気は?」

「閉めてても、ちゃんとされてるから」


 浅河が扉の反対側の壁を指差し、そこにある通気口を示した。

 地下にあるQ支部は一つも例外なく、全ての部屋に換気のための設備がつけられている。この病室の中でのそれが指差した通気口だ。


「知ってる」


 そう言って、抵抗を諦めた様子の皐月が扉に近づいていった。


 何となく、有間達も皐月の行動パターンを把握しているので分かることだが、扉を閉めなかった理由は換気ではなく、単純に面倒だったからだろう。今も言われたから仕方なく、と背中に書いて見えるくらいだ。


 皐月が扉の前に立ち、閉める様子をギリギリまで見守り、三人が扉から目を逸らした直後のことだ。


「あ」


 不意に皐月が声を漏らし、全員の視線が皐月に集まった。

 見ると、皐月は扉から半分身を乗り出し、廊下を覗き込むように見ている。


「どうしたの?」


 美藤が聞くと、皐月は廊下の先を指差し、不思議そうに小首を傾げた。


「多分、水月さんが通り過ぎた」

「何、多分って?」

「持ち物は水月さんの物に見えたけど、ちゃんと顔が見えなかったから」

「ああ、後ろ姿だけ見えた的な?」

「ううん、違う」

「え?どういうこと?」


 皐月に倣うように、美藤と浅河も首を傾げた直後、部屋の中に向いた皐月が言い出した。


だったから」

「完全防備?」


 不思議そうに呟いて、顔を見合わせた美藤に釣られ、有間もゆっくりと首を傾げる。


「どういうこと?」


 全員が思った疑問をそのまま浅河は口にしたが、皐月はかぶりを振って、「分からない」と答えるだけだった。

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