役立たずの兜に花を供える(12)

 正に命からがらだった。偶然にも、クリスが一縷の油断を見せてくれる相手であったことから、厄野は切り札を切ることができ、それが一定の効果を示してくれた。


 元から仙気の総量が少ない厄野だ。厄野自身だと相手が誤認する仙気を残せば、それだけで仙気が枯渇する。そこから逃走するための仙気を賄うことは難しく、近くに人混みがなければ、厄野は逃げ出すことも叶わなかったはずだ。


 ありとあらゆる条件が厄野に味方してくれて、何とか逃げることができた。これも日頃の行いが良かったからか、単純に相手の運が悪かったのか。どちらにしても、自分の仕事からしたら、明らかなミスだったと厄野は反省する。


 ただ全てが悪かったわけではない。厄野が逃げたことでクリスは警戒を忘れていたようで、厄野は最初にしようとしたクリスの撮影を済ませることができた。

 11番目の男の関係者と思しき女性の写真だ。厄野の当初の目的は一部ながらも果たせたと言える。


 駅前の人混みから抜けて、厄野は撮り終えた写真を確認しながら、しばらく身体を休めていた。この写真をQ支部に報告し、鬼山に次の指示を仰ごう。


 そう考えてから、厄野は鈴木のことを思い出す。鈴木の尾行が本来の仕事だが、11番目の男の関係者と接触する瞬間を押さえ、その情報を得ることが目的なら、この写真で完遂したと言える。

 これ以上の尾行は不要だろうと考え、厄野は写真データをQ支部に送ってから、Q支部に自身も向かうために、駅前を離れることにする。


 しかし、多少の休憩で回復したとはいえ、辿りついたQ支部で報告を済ませるだけの体力が厄野には残されていなかった。


 Q支部で一晩を過ごし、十分に体力が回復してから、厄野はようやくに鬼山に起こった経緯を伝える。クリスに発見され、戦闘に発展したことは、明らかな厄野のミスだったが、それも包み隠さず全て話し、厄野は得たクリスの写真を鬼山に見せた。もちろん、クリスという名前は厄野も知らない。


「戦闘による被害は?」

「出ていないと思います。多分、奇隠に気づかれたくないのか、全体的に規模の小さな仙術しか使ってませんでしたから」

「何か裏で行動を始めているのか。一切目的が分からないから、明確な判断ができるわけではないが、もしかしたら、人型ほどに派手な動きがない以上、こちらの方が厄介な可能性はあるな」

「それで……あの……一級仙人にしてくれるという話なのですが……」


 たとえ強欲と蔑まれても、厄野は有耶無耶にされるくらいなら、自分から引き摺り出そうと思っていた。恐る恐るながらも、ゆっくりと手を上げて主張する厄野に、鬼山は小さな笑いを零す。


「覚えている。そんなに主張しなくても、奇隠は報酬を誤魔化すような組織じゃない。一定の成果は見えた。被害も出ていない。推薦しておこう」

「ありがとうございます!」


 厄野が大きく頭を下げて、小さくガッツポーズをした瞬間のことだ。鬼山の部屋の扉が数度ノックされ、慌ただしく白瀬しらせ按司あんじが入ってきた。


「どうした?」

「それが……」


 驚いた顔と声で鬼山が聞くと、白瀬は真剣な表情で少し言い淀んでから、厄野の顔を見てくる。


 その視線に厄野は自然と嫌な予感を覚え、すぐにその予感が間違いではないことが分かった。


「たった今、政府から連絡があったのですが、通報があり、遺体が発見されたそうです」

「通報?遺体?何のことだ?」

です」


 その一言に鬼山は思わず立ち上がり、厄野はぽかんと口を開いたまま、しばらく動けなくなった。


「事故か?事件か?」

「恐らく他殺だそうです。ただ殺害方法は分かっておらず、鈴木の交友関係を考えると、妖術や仙術の可能性も高いかと」

「妖怪か、もしくは11番目の男の関係者による口封じか……」


 引き攣った表情で考え込むように俯いてから、鬼山は厄野に目を向けてきた。


「厄野。昨日は戦闘の後、鈴木を確認しなかったんだな?」

「はい……もう良いと勝手に判断し、その場を去りました……」


 クリスに発見される可能性を考えると、鈴木を見に行くというリスクを厄野は負えなかった。仮に鈴木にクリスが接触する現場を再び目撃して、鈴木がクリスに始末される場面を目撃したとして、厄野に何かができるとは思えない。

 それでも、厄野は自分の失態であるという考えを拭え切れなかった。


「鈴木蕪人の遺体を確認しよう。仙医に連絡を。それから、厄野が撮った写真を奇隠全体に送ってくれ。もしも、鈴木を殺害した人物が妖怪や仙人に近しい存在なら、その女が犯人である可能性が一番高い」


 鬼山の指示を受け、白瀬はすぐに部屋を後にした。それを見送ってから、明らかに動揺する厄野に鬼山が目を向けてくる。


「厄野。鈴木のことだが……」

「はい……あの…すみません……」


 厄野は鬼山の言葉を最後まで聞くことなく、すぐに頭を下げると、鬼山の言葉から逃げるように部屋を後にした。


 鬼山も状況を聞いただけで、厄野にできたことがないとは分かっているはずだ。厄野が死ぬか、鈴木が死ぬかの選択肢しかなかったかもしれない状況で、鬼山が責めてくるはずはない。

 鬼山が言おうとした言葉はきっと優しい言葉のはずで、それが分かったから厄野は聞けなかった。


 厄野の頭の中では尾行した際に見た鈴木と一澄の顔が思い浮かび、その表情が消えてしまったことに厄野は言葉が出なかった。


 やはり、自分は無力だ。かつて味わった気持ちを、厄野は再び味わうことになった。

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