役立たずの兜に花を供える(10)

 少なくとも、刃物のように壁面や床すら切断する花びらを生み出した段階で、クリスは厄野に止めを刺すつもりだったに違いない。それを動けなくなった厄野の上に落とし、厄野を殺したつもりだったのだろう。


 しかし、そうなることはなく、厄野は花びらが襲う直前に、クリスの前まで踏み込んでいた。


 ここまでの植物の攻撃から考えるに、クリス本体は攻撃手段を持っていない可能性が高い。戦闘用の仙技がいくら苦手でも、最低限の仙技が使える厄野なら、十分に攻撃手段を持っていると言える。

 この距離なら、厄野が有利である。その判断は間違いではなく、接近した厄野に怯えるように、クリスは慌てて距離を取っていた。


 厄野は躱されながらも、拳を一発振るい、自身から離れたクリスを見送る。

 追撃は得策ではない。厄野は自身の内側を覗きながら、そのように判断した。


 冷静さを保つ厄野とは対照的に、クリスは少し動揺が表情に見えていた。壁一面の花で厄野の自由を奪ったはずだが、再び動き出したことにクリスは驚いているようだ。


「どうして、動けるのかしら?」


 動揺を取り繕うように聞いているが、声は僅かに震えている。


 その質問を厄野は理解できなかったので、厄野が答えることはなかったが、その秘密は難しいものではなかった。


 そもそも、厄野には他の仙人にはないがある。


 それが仙気のだ。厄野は全身を流れる仙気の全てを把握し、その総量を数字に置き換えることができるのだ。


 これは通常、多くの仙人が目標とするが、辿りつけない領域であり、同じく仙気の完全把握を可能とする序列持ちナンバーズでも、その総量を数字に置き換えられるほど、認識できている仙人は少ない。


 その代わり、厄野は仙気の総量が一般的な仙人よりも少なく、数字に置き換えると桁が一つ変わってくるほどの差があった。

 そのため、仙気を実戦で用いようとすると、常にガス欠の危険性があったのだが、厄野はそれを防ぐために、自身の仙気を完全に把握する力を利用することにした。


 例えば、一般的な仙技で消費される仙気の量が千だとしたら、一般的な仙人が仙気を意識する最小単位は行って数百程度だ。


 それを厄野は一桁まで突き詰めて、仙気の全てを管理することにしたのだ。


 そのためには仙気の完全把握の他、繊細な仙気の操作技術が必要となるのだが、厄野は仙気の総量の少なさを補うために、それを完遂した。


 その結果、生み出された仙技の一つが、全身から無意識の裡に漏れ出す仙気を、意識的に抑えるという仙技だ。これを利用することで、仙気を感じ取れる存在の感知から外れることができ、仙気を感じ取れない一般人でも、厄野が近くにいないと存在を意識できないほどに、影を薄くすることができる。


 これは現在、厄野が尾行の際に用いている仙技で、クリスもこの仙技の所為で、厄野の存在に気づけなかったほどだ。あまりに近づき過ぎたことで、存在しないはずの空間を発見され、そこに厄野が存在していることを逆に認識されなければ、こうして戦闘になることさえなかっただろう。


 そして、ほんの少し前。厄野は花によって惑わされ、方向感覚を完全に失いながらも、花が自身の仙気を吸い取っている可能性を危惧し、自身の内側の仙気を確認しようとした。


 その時に厄野は自身の内側の仙気は問題なく、全て認識できることに気がついた。


 つまり、前後不覚になっているのは外側に対してだけで、内側に対しては一切惑うことがなかったのだ。


 それは厄野の武器である仙気の完全把握と、繊細な仙気の操作技術が現在も死んでいないことを意味していた。


 そのことに気づいた瞬間、厄野は残された仙気を移動させ、自身の感覚器官を保護させるという行動に出た。視覚や嗅覚、聴覚などの影響を受けそうな部分は全て、仙気で覆って外部からの影響を受けづらくした。


 これによって、厄野はさっきまで認識できなかった周囲の認識が、完璧に回復したわけではないが、ある程度はできるようになっていた。


 そのことを知らないクリスは少し考え、答えを導き出すことを諦めたようだった。厄野との間に開いた距離を詰めることなく、苦々しい顔をしたまま、指を鳴らす。

 その音が路地裏中に響き渡り、壁一面の花が一斉に花びらを巻き込んだ。綺麗に咲いていた花々は全て蕾に戻ってしまうが、その先端には本来存在しない隙間が空いている。


 その光景を見た厄野は嫌な予感に襲われた。これまでの傾向的に、こういう時は悪いことが起きるものだ。

 その前に決着をつけるべきか。そう判断した厄野がクリスに向かって踏み込もうとする。


 その直前、クリスが小さく笑みを浮かべた。


「何をしたか分からないけど、もう終わらせるわ」


 その呟きと共にクリスは再び指を鳴らした。


 その瞬間、壁一面の蕾から種が弾丸のように射出され、今にも踏み込もうとしていた厄野の身体を貫いた。

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