希望の星は大海に落ちる(17)

 白いミミズは親指の皮を突き破り、滑り込むように幸善の体内に入ってきた。指先から足の甲、足首の内側に向かって、這うように移動する感覚が襲ってくる。


 もちろん、全ては幸善の神経が生み出した幻覚だ。親指の皮を突き破る感覚はあったが、実際に親指の皮が突き破られたわけではなく、皮を突き破られた痛みもない。


 そもそも、幸善は目を瞑っている。何も見えていないのだから、ミミズの色が白であることも、そもそもミミズであることも、本来なら分かるはずがない。


 しかし、幸善は感覚の全てが白いミミズによって引き起こされたものであると信じて疑わなかった。足先から体内に入り込み、今はふくらはぎの内側を上っていると、確信すら懐いていた。


 白いミミズはふくらはぎから太腿に移り、腹部に移動していく際に、一匹から数匹に分裂した。植物が根を張るように枝分かれしてから、その根元を分断し、一個体として動き始める。

 下肢部から胴部、胸部と移動し、白いミミズは幸善の内臓の一つ一つにまとわりつくように、幸善の身体の内側を念入りに周回してから、頸部、果ては頭部に進んでいく。


 しかし、そこに至る前、白いミミズの一匹が幸善の心臓付近に到達し、幸善の心臓を撫でるように絡まった。身体の内側の最も敏感な部分を、不躾に触っていく感覚だ。


 幸善は耐え難い不快感に襲われ、反射的に瞼を開いた。後頭部を殴り飛ばされたように身体をくの字に曲げて、込み上がってきた気持ち悪さを無理矢理に手で押さえ込もうとする。


「大丈夫かい?」


 ひたすらに目を瞑っていた幸善が唐突に目を見開き、身体の内側から込み上がってくる気持ち悪さと戦い始めて、ポールは目を丸くしていた。幸善は真面な返答をすることもできないまま、口から何も溢れ出さないように、一切の隙間を作ることなく、右手を唇に押し当てる。


 そのまま、しばらく経過し、幸善はようやく落ちついてきたタイミングで、ゆっくりと右手を離した。


「どうしたの?」

「良く分かりません。何かが入ってきた感覚があって、それが全身を上っていったかと思ったら、物凄く気持ち悪くなって……異物感って言うんですかね?」

「異物感?」


 ポールは幸善の言葉を不思議そうに聞きながら、幸善の全身を舐めるように眺めていた。


「当たり前のことを聞くけど、仙技は使えるよね?」

「当たり前ですね。ここに来る時も、新しいことを練習しましたよ」

「だよね。なら、その時に感じる仙気の感覚とは違った?」

「仙気ですか?そうですね……かなり違いましたね。仙気の時と感じ方も違いましたし」

「ちなみにどんな感じで?」

「仙気は風が吹いて流れるように感じていたんですけど、今の感覚は何かが這っているような感覚でした。イメージは白いミミズです」

「何でミミズ?何で白?」

「さあ?」


 夢の中に現れたからとかしか言いようのない質問をされ、首を傾げる幸善の前で、ポールはしばらく考え込んでいる様子だった。


「もしかしたら、ようやく仙気を認識できたのかもしれないね」

「どういうことですか?」

「これまで君が仙気として感じていたものは、やはり本質的には妖気に近しいものだったんだよ。だけど、そっちに身体も精神も慣れてしまうと、今度は正しい仙気が異物のように感じてしまう。その摩擦が不快感を生んでいるのかもしれない」

「つまり、これが本当の俺の仙気の感覚ってことですか?」

「そういうこと。チャンネルが内側の存在しない部分に向いたみたいだね。ここまで来たら、仙気の把握までは後少しだし、それに仙気自体が正しく分かるようになったら、君がこれまでに感じていた壁のいくつかがなくなるかもしれない」

「壁?」

「例えば、掛け算や割り算を覚えようとしても、足し算や引き算を正しく覚えていないと、その二つは壁になるよね?その時に足し算や引き算を正しく覚えていると思い込んでいたら、その壁の原因も分からない。だけど、その前提が違っていると分かったら、そこから覚え直すことで、次の壁はなくなる。君もそういう何かがあるかもしれない」


 前提として幸善は仙気を妖気として認識していた。その感覚の差異が生み出してしまった壁があるかもしれないと言われ、幸善は日本で行っていた特訓のいくつかを思い出した。


 妖怪との接触による仙術の会得。その影に隠れてしまっているが、幸善は同等の他の仙人と比べて、足りない部分がいくつかある。その足りない部分が仙気の感覚を正しく覚えることで解決するかもしれない。

 その可能性が生まれ、幸善は静かに笑みを浮かべた。


「ところで気分の悪さはどう?」


 そう言われ、幸善は自分の身体に触れた。ここ数日、鋭敏過ぎた感覚が落ちつき、幸善の感じていた感じ得ない感覚の全てが綺麗になくなっている。


「あれ?消えてる?というか、あまり変な部分を感じなくなっている?」

「おめでとう」


 ポールの一言を聞き、幸善はゆっくりと背後に倒れ込んだ。背中を柔らかく床にぶつけ、その反動で天井に上っていく。

 その身体をポールが受け止めて、幸善に大丈夫かと聞こうとした直前、幸善から静かな寝息が聞こえていることに気づいた。


「面白いね、君は」


 そう呟いてから、ポールは幸善を任せるために御柱を呼び出した。

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