希望の星は大海に落ちる(9)

 体内を循環する血液は、心臓から出発する。動脈を通って、手や足の指先にまで到達してから、今度は静脈を通って、再び心臓に帰ってくる。

 その循環する血液が鼓動によって、心臓から動脈に押し出された瞬間を始まり、再び静脈から心臓に戻ってきた瞬間を終わりとして、その始まりを通過した血液が、正しく終わりに到達したことを確認することは不可能だ。

 それは流れる水を追いかけることに等しく、人間の所業では当然ない。


 しかし、ポールは笑顔で言った。


「そういう流れの一部を捉えることが仙気の把握だよ」


 体内を循環する仙気が、体内のどの部位に、どれほどの量で存在しているか。これまでの幸善が考えたこともないことを、ポールは知る必要があると言っているのだ。


「ちょっと待ってください。これまで仙気の流れ自体は仙技を使う上で感じ取ってきました。それではダメなんですか?」

「ダメというか、それは正確にはできてないからね」

「できてない?」

「川が流れていることは、その川を見たら誰でも分かるよね?君の把握はそこ止まりなんだよ。でも、今求めているのは、その先の把握なんだよ」

「流れていることが分かるだけだとダメなんですか?」

「必要なのは流れていることが分かるんじゃなくて、何が流れているか分かることなんだよ。川が流れているという情報が欲しいんじゃなくて、どれだけの温度の水が、どれだけの温度で、どれだけの量が流れているのかとか、そういう詳細な情報を知る必要があるんだよ」


 ポールは伸ばした人差し指を幸善の額につけて、さっきそこにできた傷痕をなぞる。僅かな痛みが額に走り、幸善は少しだけ表情を歪める。


「例えば、この傷。君の傷から、どれだけの血が流れたか、君は分かる?」

「流れた血って……」


 幸善は返答に困り果て、咄嗟に手に持っていたポールのハンカチを差し出した。そこには拭き取った幸善の血がついてある。


「これくらいですか?」

「では、その血は君の身体を流れる血液の何パーセント?」

「そ、そんなの分かりませんよ」

「だよね。だけど、君がこれからする仙気の把握は、そういう数字を感覚的に理解することなんだよ。どれだけの仙気が自分の身体の中に存在しているのか。どれだけの割合で仙気を消費しているのか。そういう数値をより正確に把握することが大切なんだ」

「そんなこと可能なんですか?」

「かなり難しいよ。というか、これが正確にできる仙人って奇隠でも限られているしね。特級仙人はできるんだけど、それ以外の仙人だと指折りで数えられるくらいしかいないんじゃないかな?」


 つまり、幸善が求められているほどの正確さで仙気を把握できる仙人は、現状奇隠に二十人ほどしかいないということだ。


 三頭仙を含めても二十二人。世界中の仙人がどれだけいるか分からないが、人型と比べた時に圧倒的に多いことは確かなはずなので、人型と同じくらいしかいないということが、その難易度の高さを証明している。


「ちょうど日本にも一人いたはずだよ。確か得意な仙技があまり戦闘向きじゃないこともあってか、今は二級止まりのはずだけど」

「そんなにできる人が少ないことを俺はやる必要があるんですか?」

「そのクオリティーに到達できるかは微妙だけど、それに近しいくらいにはなれると思うよ。何せ、君の場合はその条件が限定的だからね」

「条件?限定的?」


 ここまで求められることの難易度がひたすらに上がっていたのだが、その一言はその難易度を急停止させるに相応しく、幸善は首を傾げると同時に希望を懐いた。


「君の場合は常時仙気を把握する必要はないんだよ。把握する瞬間は限定的。だけでいいんだよ」

「妖気に触れている瞬間?どういうことですか?」

「妖気に触れて、仙術を使っている瞬間。その瞬間、実際の君は妖気を用いて、仙術の基礎を作っていると思うんだよ。外側を仙気でラッピングした実質的な妖術だね。ただそれだと、元々の妖気の少なさもあって、あまり強くないんだよ。はっきり言ってしまうと弱い」

「心に来るので、そこまではっきり言わないでください」

「だけど、それは妖気を使っているからだから、その際にちゃんと仙気を使えるようになればいい。その部分を置き換えることができればいいんだけど、ここで一つの問題が生じる」

「問題?」

「君が仙術に使っているものが妖気だとしたら、君がその際に感じ取っている気も妖気である可能性が高い。そうなると、その際の仙気はどこにある?」


 幸善はノワールに触れて、自分が風を起こしている時の感覚を思い出した。その時の感覚に違和感を覚えたことは、これまで一度もない。


 それは単純に感覚が一つだけだったからだ。他の感覚を覚えた記憶は一度もない。


「どこにあるんですかね?」


 一つしか感覚がない以上、それが仙気ではないとしたら、幸善の中で行方不明になっていることになる。捜索願を出す以外に対処法が思い浮かばない。


「それを知るために、仙気の把握を極める必要があるんだよ。通常時の仙気をより深く把握できたら、その瞬間の仙気の居場所も分かるようになる。そうしたら、君の仙術はようやく仙術として完成する……かもしれない」

「そこは曖昧なんですね」

「まあ、その辺りは君次第だしね。その手助けくらいはするつもりだけど、どうする?やる?」


 やるかやらないかなど愚問だった。人型と渡り合える力が手に入るのなら、それを断る理由はない。


 それに三頭仙の一人から、直々に教わる機会も普通はないはずだ。寧ろ、断る方がおかしいとも言えるくらいだ。


「もちろん、やります」


 力強く幸善が返事をし、ポールが笑顔で頷いた。


 その時になって、ようやく本部内に鳴り響いていた警報が止んだ。それに気づいたポールが平然とした様子で顔を上げ、「やっと静かになったね」と幸善に微笑みかけてくる。


 その表情を見ながら幸善は、もしかしたら師事する相手を間違えたかもしれない、と早速後悔していた。

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