希望の星は大海に落ちる(8)

 天敵に狙われた小動物のように、小さく震える幸善の前で、ポールはその数秒が嘘だったかのように笑みを浮かべた。


「仙気を肉体に還元するとね。純粋に仙術が強くなるんだよ。ほら、ただのパンチでも、腕を振るだけより身体から振った方が強くなるでしょう?そういう感じ」

「あ……ああ、はい……」

「ん?どうしたの?」

「いや……その、何か……すみません……若作りとか言って……」

「あっ、そこに触れる?スルーしたのに?死にたがりだね?」


 今度は笑みを浮かべたまま、表情に影を差したポールを見て、幸善は反射的に距離を取り、額を地面に擦りつけていた。あまりの速度で信じられないくらいに額が熱くなっているが、それを気にする余裕もない。


「すみませんでした!」


 床を割る勢いで全力の謝罪を口にすると、幸善の頭の先から、ポールのくつくつとした笑い声が聞こえてきた。


「そこまで怯えなくても大丈夫だよ。半分冗談だから」

「半分は本気なんですよね?」

「一応、言っておくと、この見た目は仙気との親和とか、そういうものは関係ないからね。今頃頑張っているもう一人は、年相応の見た目をしているし。これは個人的な研究結果」

「どういう研究なんですか?」

「それは秘密。だって、これはだからね。人には死んでも教えるつもりがないよ」


 ポールの表面的な若さは、聞いた実年齢と比べると、二十年から三十年くらいは差があるはずだ。仮に若さを生み出すことが研究の目的なら、それは見る限り、成功しているように見える。


 それでも、失敗していると本人が言うからには、若さ以外のものを求めた研究だったか、若さに隠れて明らかな欠陥がそこに存在しているかのどちらかだ。そのどちらにしても、死んでも言わないと明言するくらいのことなのだから、ポールの抱えている秘密は大きいことなのかもしれない。


 それが何であるのか気にならないと言えば嘘になるが、今の本題はそこではなかった。


「それよりも話を戻していい?」

「ああ、はい。すみません」


 土下座を中断し、幸善が再びポールとの距離を詰めると、ポールは懐から一枚のハンカチを取り出して、幸善に渡してきた。額を指差して、短く一言、「血」と伝えてくれる。


 どうやら、摩擦で信じられないほどの熱を生み出した額は、しっかりと怪我をしていたらしい。渡されたハンカチで額を拭いてみると、ハンカチがじんわりと赤く染まっている。


「じゃあ、話の続きだけどね。肉体まで仙気が染み渡った状態……仮にびしょ濡れ状態と言おうか」

「嫌な表現ですね……」

「その状態になるとね。仙術の単純な精度が上がって、威力も増すんだよ。全身を隈なく使えるからね。それに加えて、仙術の影響が身体全体に及ぶわけ。その結果、肉体を仙術の特性に合わせて変化することもできるようになる。それが君の見た仙術の本質だね」


 幸善の仙術とポールの仙術が明確に違っていた理由は分かった。その差を埋めるために必要なことも話からは想像がつく。


 しかし、その差は絶望的に開いているように思え、幸善は今の話を聞いたから、どうできるのかと疑問に思った。ようやくフルマラソンのスタートに立ったのに、今ゴールしようとしている選手に追いつけと言われた気分だ。今から何かをやろうとしても、その差が埋まることはない。


「聞いたところでどうすればいいんだろうって思っている感じだね?」


 自覚はなかったが、幸善の考えは全て表情に出ていたようだ。ポールの指摘を受け、幸善は気まずそうに首肯した。


「何か、自分と生きている世界が違うというか、追いつく気がしないというか」

「そんなことはないよ。君にはがあるからね」

「明確に足りていない物?」

「君の仙術は未完成だって言ったよね?あれは何故か。君のこれまでの仙術を使った状況や、その条件から考えてみるに、君の仙術は現状があるんだよ」

「どういう意味ですか?」

「君の仙術は表面的に仙気を覆っているから仙術に見えているけど、その本質はがあるんだよ」


 仙術ではなく、妖術。ポールのとんでも説に幸善は目をぱちくりさせ、その意味するところを考えた。

 頭の中で仙術と妖術を別の言葉に置き換え、遠回しにポールが表現しようとした言葉を想像し、幸善は表情を曇らせる。


「それって、俺は仙人ではなく、妖怪って言いたいんですか?確かに妖気は混ざってましたし、別に妖怪が悪いものだとは思ってませんよ。ただ仙人だと思っている相手に仙人ではないということはないんじゃないですか?それも仙人のトップが」


 静かに激昂した幸善の言葉を聞き、流石のポールも動揺したのか、焦った顔でかぶりを振っていた。


「そういう意味じゃないよ。君の使っている仙術は、外側を仙気で覆っているけど、内側はほとんどが妖気でできているかもしれないって言いたかったんだよ」

「妖気でできてる?」


 幸善の頭の中を、海苔で包まれたおにぎりが転がっていった。見た目的には海苔しか見えないが、おにぎりであるからして本体は米だ。そういう感じで、幸善の仙術は本体が妖気の妖術である可能性があるということらしい。


「妖怪に触れるという条件から考えるに、妖気と接触し、君の中の妖気が膨らむことで、その妖術が使えている可能性があるんだよ。君の身体を通るから、仙気を外側に覆って、仙術のようになるんだけど、力自体は妖術なんだ」

「え?それじゃあ、未完成も何も最初から仙術が使えてないってことですか?」

「本質的にはそうかもしれないね。だけど、そこの定義は曖昧だから。仙人が仙気も消費している時点で、仙術と言っていいかもしれないよ。ただ問題は妖気が力の本質である部分だよ。それだとダメなんだ」

「ダメと言うのは、どういう意味で?」

「強さ的に、だね。君の妖気はこうして面と向かって、私が全力で探っても見つからないくらいに微量なものだ。それこそ、検査でもしない限りは発見されない。それがどれだけ妖術の形を作っても、その力には限界がある。君はあくまで仙人だからね。仙気を使わないと」


 さっきの勘違いの対比からか、ポールに仙人であると明言されたことが嬉しく、幸善は一瞬、頬を赤らめた。何とも気恥ずかしいが、悪くない気持ちだ。


「ただし、今は仙気がうまく使えてない状態だ。ラッピングするだけだし、それも意識的にしているわけじゃないから無駄が多い。そこで君には、ここでそれを使いこなすための特訓をしてもらいたいんだよ」

「それでこの場所ですか。どういう特訓をするんですか?」

だよ」

「へい?」


 ポールの口から飛び出た内容が、あまりに簡単そうなもので、幸善は面食らって変な声を漏らした。

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