希望の星は大海に落ちる(10)
隔離壁に進路を阻まれた人型の前に立ち、オーガは退屈そうに欠伸をした。人型は隔離壁を破るために頑張っていたようで、巨大なソーセージのように変化し、地面にだらりと伸びた片腕は、その先端を赤く染めていた。
プラナリアのような再生能力を見た時は、自身の退屈さを解消してくれるかもしれないと期待したオーガだったが、その淡い期待もオーガの仙術との最悪な相性が打ち砕いてしまった。目の前の人型がさっきの人型と同一個体である以上、変化がそこに生まれるとも思えない。
三頭仙という立場になって数十年。宇宙という未知なる場所に踏み出す時は、この先がどうなるのかと年甲斐もなく、胸を躍らせていたが、いざ宇宙に出てみると、そこは退屈の塊でしかなかった。
地球にいた頃なら起きた妖怪による日常の変化も、ここでは夢物語だ。人型との遭遇だけでも、本来なら喜ぶべきことなのかもしれない。
ただ何もないと期待は膨らんでしまうもので、その期待が大きければ大きいほど、その期待に応えてくれないと分かった時の落差も激しい。
もう少し手応えのある相手なら、もう少しくらいは遊べたのだが、目の前の人型はそれこそ肉塊としてしか見ることができない。偶然、人の形でそこに立っているが、五百グラムくらいの豚肉の塊でも同じ物に感じていただろう。
巨大なソーセージではなく、腕の形を保っていたはずの片腕が、小さく波打ってから膨れ上がった。オーブンで焼かれるパンのようだ。
腕はどんどんと膨らみ、ドラム缶ほどの大きさになってから、オーガに向けるように持ち上げられる。その先端が爆ぜるように伸びて、申し訳程度についていた手が、ネジのように回転しながら尖った。
狙いは正確にオーガの心臓のようだった。ただの肉塊で知能はないのかと思ったが、人間の急所は把握しているらしい。
感心しながら、オーガは自身の胸部を貫く腕を、じっと観察していた。回転する手はそのままドリルのように、オーガの胸部の肉を抉る予定だったようだ。残念なことに抉る肉はそこになく、炎に変化したオーガの胸部を通っただけだ。
それだけでなく、炎は人型の肉は焼き、通過した人型の腕は全て等しく、黒く焦げた状態になっている。巨大なソーセージが炭になってしまっている。
人型は慌てて片腕を戻していたが、燃えた炭は流石に戻せないようだ。肉としての機能を失った腕の先端が、オーガの背後に取り残されている。
それでも、人型は諦めることなく、オーガに攻撃しようとしていた。今度は赤く染まった腕を伸ばし、左右からオーガの身体を挟み込もうとしているようだ。
それもオーガからすると、特に問題のない攻撃なのだが、全ての攻撃を許していると無駄に時間がかかる。それも退屈な時間だ。
オーガは右手を上げ、でこぴんするように中指を弾いた。その動きに合わせて、オーガの指から一本の線が飛び出し、オーガの指と人型の身体を糸電話のように繋ぐ。
次の瞬間、人型の身体が内側から爆ぜるように燃え始めた。腹の底に油を注がれ、そこにマッチを落とされたような発火の仕方だ。人型は叫び声を上げる暇もなく、身体の内側から溢れる炎で、全身を炭へと変えていた。
人型は残り一体いるはずだが、それもこれまでの二体から予想するに、暇潰しにもならないはずだ。退屈は掻き消えそうにない。
はあと大きな溜め息と一緒に口から炎の波を漏らしてから、オーガはその波に乗って、通路を移動し始めた。身体の半分以上を炎に変え、オーガは通路の壁面を軽く焦がしながら、目的の人型がいる場所に向かっていく。
そこから一分ほど後。オーガは目的の隔離壁に全身を打ちつけ、自身の身体や口から漏らした炎の波で、隔離壁の表面を黒く染めた。あくまで移動用なので、そこまでの威力はない。隔離壁は燃えたわけではなく、表面が煤で汚れただけのはずだ。
しかし、それを洗う必要があるだろうと考えたら、その役目を押しつけられそうだと思い、オーガは再び溜め息をついた。
そこでちょうど隔離壁が開いた。オーガをその内側に入れるためだったが、その時にオーガの溜め息が合わさってしまい、口から漏れた炎が一気に隔離壁の内側に流れ込んだ。
「あ」
思わず声を漏らし、その様子をじっと見ていたオーガの前で、ゆっくりと隔離壁が開き切ると、そこにいた人型が仁王立ちのまま、全身を黒く染めていた。瞬間的に焼かれ、悶えることもできなかったようだ。
終わってしまった。凄まじい徒労感に襲われ、オーガが再度溜め息をつきかけたところで、鳴り響いていた警報が止まった。その変化に気を取られ、思わず視線を上げたことで、オーガはこれ以上の被害を増やすことなく、退屈なまま事態は解決した。
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