熊は風の始まりを語る(25)
テディの語る愚者の物語は現在に繋がる形で一応の完結を迎えた。
だが、それはあくまで愚者の物語で、愚者の知り得ない情報は一切含まれていない。特に愚者が拘束された二年間は完全に外部からシャットアウトされ、外で起きた出来事を愚者は何も知らない。
その一端を聞き、今に繋がる絶望を懐いた愚者だが、それはあくまで一端であり、愚者が未だに知らない事実が存在していた。
「それが久遠に子供がいたという事実だ」
「それがこの子?」
「亡くなる数ヶ月前に出産したそうだ。元気な女の子だったそうだ」
渡された写真に写る赤子は眠っているように見えた。ちょうど眠っている時に撮ったのではなく、眠っている時くらいしか写真が撮れないほどに元気だったらしい。
「だけど、子供がいたという事実を愚者が知らなくて良かったのかもしれない。もし知ったら、その恨みはこの子に……」
そう呟きながら、幸善は手元の写真に目を落とした。そこに写っているのは久遠の子供と、その子供を抱いた久遠の両親の三人だ。
そこに幸善は疑問を懐いた。
「何で、リズベット家の人間が写ってないんだ?」
久遠がリズベット家に招かれた理由は、アンドリューとの間に子供を作るためだった。その念願の子供が誕生したのだから、リズベット家の人間の方がこの子と一緒に写真を撮りたいくらいのはずだ。
そのはずなのに、写真に写っているのはリズベット家の人間ではなく、遠く離れた久遠の故郷に住む久遠の両親だけだ。
そう思ったことで疑問が更に重なった。
「というか、何で久遠って人の親と子供が写真を撮れてるんだ?故郷って日本だよな?日本から久遠のところに渡ったってことか?」
「いや、その逆だ。久遠の子供が日本に送られたんだ」
「どうして?リズベット家が望んでいた子供だろう?」
「いいや、リズベット家はその子の養育を放棄したんだ。それどころか、その子を処分しようとした」
「処分?どういう意味だよ?」
「そのままの意味だ。殺そうとしたんだ」
誕生した子供を殺そうとした。その常軌を逸した行動に幸善は絶句し、意味の分からない怒りに襲われかけた。
それが吹き出さなかったのは、その状況があまりに理解できなかったからだ。そこに何かがあると幸善は本能的に理解した。
「どうして、そうなったんだ?リズベット家にとって念願の子だったんだよな?」
「本来はそうだろう。ただそれは久遠の孕んだ子供がアンドリュー・リズベットの子供だった場合だ」
「はあ?どういう…」
そう聞き返しながら、幸善はそこに存在する可能性に気づいてしまった。その可能性なら、リズベット家が子供を受け入れないことも、その子供を処分しようとすることにも説明がつく。
「まさか、この子の親って?」
そう聞き返した幸善にテディはゆっくりと頷いた。
「その子はNo.0と久遠の間にできた子だ」
その一言を聞き、幸善の視線は自然と手元の写真に向いていた。
人間と人型の間に生まれた子。今では考えられない存在がそこに確かに写っていて、幸善は何とも言えない気持ちになる。
「リズベット家にとって、その子は化け物の子だ。アンドリュー・リズベットは酷く毛嫌いし、率先して処分しようとしていた。だが、久遠はそれを当然許さなかった。二人の関係は悪化し、このままだと久遠がリズベット家から去りかねないと判断したルージュ・リズベットが久遠に一つの条件を出した」
「それがこれ?」
「そうだ。子供を日本に逃がす代わりに、リズベット家に残る。それが条件だった」
「それを久遠って人は受け入れたのか」
「そうだ。No.0との大切な子供を確実に生き残らせることができる。それを受け入れない理由がなかった。久遠の両親も、久遠が嫌いで送り出したわけではない。最愛の我が子が産んだ最愛の孫なら、引き取らない理由もない」
アンドリューの目を盗み、久遠の子はこっそりと日本に送られることになった。奇しくも、流行り病が広がったのはその直後のことで、その子は久遠の両親からすると、久遠が最後に遺した宝物となったそうだ。
「この子はその後、どうなったんだ?」
「皇紀
「ということは元気に育てられたのか」
「ああ、無事に大きくなり、結婚し、子供も産んだ。No.0の孫だな」
一時は処分されかけた子供が無事に大きくなり、久遠と同じように子供を産むまでになったと聞き、幸善は安堵したように小さく笑みを浮かべた。
「そして、その孫も大きくなり、これまた久遠や千歳と同じように女の子を産んだそうだ。千歳にとっての孫だ。その子には千歳が名前をつけたらしい」
そうして、テディが次に呟いた言葉を聞き、安堵していた幸善は表情を止めた。
それから、この話を聞き出したそもそものきっかけを再び思い出した。
「その名前は
そう聞くテディの前で、幸善は驚きを顔に浮かべ、ゆっくりとテディを見つめるように顔を上げた。
「俺の…母親の名前だ……」
その呟きに対して、テディは首肯した。
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