熊は風の始まりを語る(26)
愚者と久遠の間に生まれた子、千歳。その血筋が幸善の母、千幸に繋がると説明され、その意味を理解するまで、幸善はしばらく時間がかかった。
ゆっくりと視線を自身の手に移し、その手首から血管まで想像した幸善が、ようやく実感の伴った声を漏らす。
「だから、俺の中に妖気が……?」
人間と人型の間に子供が生まれたと言っても、そこに外見的特徴があるわけではない。生まれてくる子供はあくまで人間であり、その証明は既にされている。
だが、完璧に同じであるという保証もない。そこに変化が存在していても不思議ではなく、その変化が幸善には妖気という形で現れた。
テディが首肯すると、幸善は納得して、再び自分の手を見た。そこに人型の血が流れていると言われても、あまりその実感は生まれない。
「人型と人間の間に生まれた子は他に例がない。そこに何かしらの変化があるのか分からなかったが、ようやく現れた変化が耳持ちという点だろうな」
「妖怪の声が聞こえるのも、体内に妖気があるのも、愚者のお陰なのか…もしかして、妖気に触れたら仙術を使えることも?」
「その影響かもしれないな」
これまで敵対していた相手のお陰で、その敵対していた相手と戦うことができた。その複雑な事実に本来なら複雑な気持ちを懐くのかもしれないが、幸善は少し違っていた。
幸善は見つめていた手をゆっくりと握り、覚悟を決めるように顔を上げる。
「なら、やっぱり、今のままだといけないよな…」
「何か思うところがあるようだが、そろそろ時間のようだ」
その声に幸善はテディが部屋の入口を見つめていることに気づいた。その視線を追いかけるように振り返ってみると、タイミング良く、扉がノックされる。
「来たようだ」
「来たって?」
そう聞き返してから、この部屋まで案内してくれたポールが去り際に言っていたことを思い出した。
「あっ、次の案内役」
「そうだ。必要な知識は揃ったはずだ。次に逢うべき相手と逢って、そいつと話してあげてくれ」
「次に逢うべき相手…?」
誰のことだろうかと考える幸善の前でテディが声を出し、その声に反応する形で扉が開かれた。
「今の声は許可でいいのだろうか?」
そう言いながら、扉を開いた男と目が合い、幸善は少し驚いた。
「日本人?」
その言葉は明らかに日本語であるだけでなく、そこに立っていた人物は見るからに日本人だった。ポールのように日本語が堪能な外国人というわけではないようだ。
「ああ、君が頼堂幸善君?もう大丈夫?」
入ってきた男が恐る恐る聞く声を聞きながら、幸善がちらりとテディに目を向けると、テディは首肯するように頭を動かした。それを見た男も許可と判断したらしく、扉を大きく開いて、幸善に手招きしてくる。
「もういいなら、行こうか。君を待っている人がいるから」
「あ、はい」
幸善は立ち上がり、その場から去る前に振り返って、テディを見た。
回り道が多い話かと思ったが、その話は全て幸善に繋がっていた。その重要で貴重な話をしてくれたことに感謝を込めて、幸善はゆっくりと頭を下げる。
「ありがとう」
「お前は変わっているな」
最後に呆れたように呟くテディの声を聞き、小さく笑ってから、幸善はその部屋を後にした。廊下で待っていた男と合流し、男は幸善の案内を始める。
「それじゃあ、行こうか」
そう言って歩き出した男を追いかける形で、幸善は再び本部の廊下を歩き出したのだが、一つだけどうしても気になっていることがあった。
「本部にも日本人がいるんですね?」
「ああ、少ないけどね。ほら、序列持ちにもいるくらいだから」
そう言いながら、男は頻繁にチラチラと幸善の顔を見てきた。幸善も男の顔を見ていたのだから、御相子と言えるのだが、それにしてもその回数が多い。
「えっと…俺の顔に何かついてますか?」
「ああ、いや、ごめん。言ったように日本人が少ないから、ちょっと懐かしくて。それに君の話は弟から聞いていたし」
「弟?」
不思議そうに首を傾げる幸善を見て、男も不思議そうな顔で立ち止まった。
「あれ?顔を見てきているから、気づいているのかなって思っていたけど、そういうことじゃなかったの?」
「いや、本部にいる日本人が珍しかったから見ていただけで、そういう意図では……」
そう答えながら、幸善は男が誰の兄弟であるのか、似ている人物を思い出そうとしてみたが、これと言って正解と思える人物は思い浮かばなかった。言われてみたら似ているかもしれない程度なら何人かいるが、顔を見て分かるほどに似ている人は一人も思いつかない。
「それなら、名乗ってなかったし、名乗っておこうか」
結局、誰の兄弟であるのか幸善が答えを出せないでいると、その答えを示すように男が自分の胸に手を当てた。
「俺の名前は
その自己紹介を聞き、幸善はしばらく固まった。茜とは誰かと本当に数秒考え、頭の中であの凶悪な顔が思い浮かんで、口をあんぐりと開けた。
「え!?牛梁さんのお兄さん!?」
そう叫びながら、幸善は改めて目の前の男の顔を見て、明らかに失礼ながらも思わずにいられなかった。
(全然似てない!)
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