憧れよりも恋を重視する(24)

 渦良が薙刀で攻撃を防ぐために両手を上げた。それよりも速く、薫の拳は渦良の両腕の内側に入り込み、頬に鋭く突き刺さる。その衝撃に顔が大きく下がり、体勢は自然と崩れた。


 その間に薫は渦良の懐に入り込み、無防備になった腹を叩いた。その衝撃に渦良は膝を崩し、その場に倒れ込もうとする。

 その寸前、何とか薙刀を支えにして、倒れ込むことを堪えた渦良だったが、それだけで到底、勝ちに繋がる状況ではなかった。


 渦良の動きは明確に遅れ始めていた。それも渦良の感覚の外側で、渦良の認識から外れる形でのことだ。

 手足の痺れは分かる。力が入りにくいことも認識できている。それを考慮して動こうと頭は働いている。


 だが、一切の遅れが生じていない意識と、次第に遅れる身体との間には明確な齟齬があり、渦良はその差を正確に掴むことができていなかった。


 意識から数えて、自分の動きはどれだけ遅れているのか。相手の動きに合わせて、自分の動きはどれだけ遅れているのか。その情報があれば、動きを調整することもできるのだが、その部分を認識するには相手が聊か強過ぎた。


 差を計る余裕がない。その余裕を作りたいと頭は考えるが、そもそも、余裕を作る必要ができた理由が身体の遅れだ。余裕を作ろうにも、そこにはマイナスが発生していて、どれだけ頭が働いても、身体が状況を更に悪くする。

 余裕どころか、現状は少しずつ擦り減るだけだ。


 薙刀を支えに何とか立っている渦良が鼻を拭った。さっきの拳で鼻血が出ている。これを放置していたら呼吸の妨げになって、更に動きが鈍くなる。


 手で血を拭い、鼻で大きく息を吸い、そこで渦良は不意に鼻孔を擽る匂いに気づいた。とても不思議で奇妙な匂いだ。これまでに嗅いだことのない匂いだが、妙に気になる匂いでもある。


 それが拭った手から匂っていると感じ、渦良は自分の手を嗅いだ。何の匂いかと思ったが、そこを嗅いでも匂いは強くならない。


 それから、渦良は拭う際に手が頬を掠めたことを思い出した。自分の頬を触れてみて、その手を鼻の前に持っていく。


 そこで匂いが僅かに強くなったことを感じる。

 匂いの元はここか。そう思ってから、渦良は不意に気になることを思い出した。


 匂い。人型。そのような話をどこかで聞いた覚えがある。


 それは一体、どこだっただろうか。渦良が考えようとした時、渦良の前に薫が立った。


「待っ…今は…!?」


 そう言いながら、構えようとした薙刀ごと、薫は渦良の身体を蹴り飛ばした。


 渦良の身体は宙を舞い、廊下をゴロゴロと転がってから、近づいていた壁に背を打ちつける。痛みに加えて、前後左右が分からない転がり方をしたことから、渦良の目の前はチカチカと明滅する。


 明滅した視界の中では薫の居場所も分からない。どこから攻撃が来るのか、攻撃がそもそも来るのか、そこに薫がいるのかも分からないまま、渦良は本能的な恐怖から両手を上げる。手に持った薙刀で、そこから飛んでくるかもしれない攻撃を防ごうとした。


 その寸前、渦良の鼻孔を香りが擽り、渦良は自身の行動がワンテンポ遅かったことを悟った。


 直後、顔面に足が突き刺さり、渦良は後頭部を強く壁に打ちつけた。一瞬、目の前が真っ暗になり、吹き飛んだ意識が地面にぶつかる衝撃で引き戻される。


 その衝撃が起因となって、渦良はようやく記憶の奥底に仕舞っていた情報を引き出すことができた。

 匂い。人型。それらの情報を既に渦良は持っていた。


(そうか…三級の高校生に倒された人型…それがこいつか…)


 行方不明であったが、最近になって活動を再開したことが判明していた。それらの情報を途切れそうな意識の中で並べながら、渦良は朦朧とした頭で必死に考えようとした。


 情報によると人型の妖術は匂いであるはずだ。さっきから嗅いでいる匂いが妖術の元で、それを嗅いだからこそ、渦良の手足は自由を失ってしまった。


 そこまで理解できれば、その対策も普段なら思いつくのだろうが、今の渦良は死にかけている。攻撃はクリーンヒットし、意識は今にもなくなりそうだ。ここで意識を失えば、数秒後には止めを刺されていることも想像できる。


 未だに他の仙人が到着する気配はない。ここで死んだら、時間稼ぎとしても不十分だ。

 それだけは許されない。あまりにも格好が悪過ぎて、渦良は死後の世界でも死にたくなるほどだ。


 曇った視界の中で薫が足を上げる姿が見えた。サッカーボールのように頭を蹴り飛ばされることが分かり、渦良は咄嗟に腕を動かした。


 薫が足を振る直前に、渦良の薙刀がその足にぶつかり、薫は少し体勢を崩す。力の入った振りではないから、ダメージはないかもしれないが、片足で立っているところを重たい棒で叩かれたら体勢が崩れることは当たり前だ。

 薫は少しよろめきながら、面倒そうに渦良を睨みつけてきた。


「もう抵抗をやめろ。お前の死は確定した」


 薫はそう言いながら、渦良を再度、攻撃しようとしてきたが、渦良はそれを甘んじて受けるつもりはなかった。


 渦良は薙刀を両手で掴んで、無理矢理に持ち上げた。その唐突な刃の動きに、流石の薫も少し距離を取っている。

 その隙に渦良は薙刀を支えにして、ゆっくりと立ち上がる。


「何をそこまで無茶をする?もう勝つ見込みはないだろう?」


 薫は不思議そうにしていたが、その質問をしてくる薫の方こそ、渦良にとっては不思議で仕方なかった。


「無茶をする理由?そんなの日本人なら、大体同じ理由だろう?」


 渦良は立ち上がり、そこで薙刀を持ち上げた。意識は朦朧としているが、まだ下肢に力は入る。やれない状態ではないと判断し、渦良は力強く告げた。


「これが仕事だからだ」

「そんな理由で?」

「大切な理由だ」


 そう言いながら、渦良は大きく息を吸い込み、頬を膨らませた。

 渦良の頭は朦朧とし、正確に働いているわけではない。


 だが、それを理由に考えを放棄していて勝てる相手ではない。勝つことが目的ではないとしても、勝ちを求めずに戦って生き残れるほどに甘い相手でもない。


 それならば、何とか勝てる方法を今の状態で探さないといけない。その考えから、渦良が導き出した秘策がこれだった。


 相手の妖術の正体は分かっている。それに対応するためには簡単なことだ。


 。これで匂いを嗅ぐことはない。


「いや、馬鹿だろう…」


 その対応にすぐ気づいた薫が呆れた様子で呟いた。

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