憧れよりも恋を重視する(11)

 身長は百六十センチにも満たない。体型からして小柄と言える見た目に、ピッタリと合わさった黒のスーツ。頭髪と口の上に乗った髭は白く染まっている。顔には深く皺が刻み込まれ、笑うとそれらが模様のような凹凸を作り出した。


 優しい老爺。相亀達から見たその人物の第一印象はそれだった。


 門を潜り、辿りついた屋敷の扉の前に立った時のことだ。その扉が自動で開き始め、その向こうに立っていた人物がその人物だった。

 そこに羽計がいると思い込んでいた相亀達は一様に驚き、その人物が誰であるのかと首を捻ることになった。


「こんにちは、羽村はねむらさん」


 一人だけその人物が誰であるのか知っている様子の椋居が会釈し、それに答えるように羽村と呼ばれた老爺も頭を下げてきた。


「お待ちしておりました」


 そのように相亀達に声をかけてくるが、羽村という老爺が何者であるのか、相亀達の中で未だに解決していない。

 周囲の視線を感じ取り、代表する形で相亀が椋居の服を引っ張り、羽村という老爺に聞こえないように囁いた。


「あの人は誰だよ?羽計の家族か?」

「違うよ。羽村さん。緋伊香の家の執事だよ」

「執事!?」


 咄嗟に叫んでしまった相亀の声を聞き、その後ろにいた五人も驚いた顔で、羽村という老爺を見ていた。


 いろいろと言いたいことはあるのだが、まず執事という概念がこの世界に実在していると、相亀は思っていなかった。侍とか忍者とか、そういう昔は存在していたかもしれないが、今は存在しないものの一つの中に執事があると思い込んでいた。


「え?本物?」

「逆に偽物って何?」


 驚きのあまり失礼な態度を繰り返す相亀だったが、そのことを怒るでもなく、軽く微笑みを見せて、羽村という老爺は再び頭を下げてくる。


「自己紹介をしていませんでしたね。この家で執事をさせていただいております。羽村天助てんすけと言います。気軽に羽村とお呼びください」


 そう口にしてから、再び顔を上げた羽村天助を見て、相亀達は関節を繋がれたように、同時に会釈をしていた。そういう芸を見せているようだ。

 その姿に羽村は軽く微笑み、家の中を手で示してきた。


「では、お嬢様がお待ちしておりますので、ご案内します」

「ど、どうも…」


 羽村の後ろをすぐについて歩いていく椋居を追いかけ、相亀が屋敷の中に踏み込んでいくと、他の五人も決心がついたのか、その後ろにつく形で屋敷の中に入っていく。

 そこは外観から想像していたように、フィクションの中でしか見たことのない豪華さを誇っており、そこに踏み込んだ相亀達は唖然とした表情で固まった。


「何か図書館みたい」

「いや、ショッピングモールじゃないか?」


 吹き抜けになった玄関の様子を見て、的外れな感想が口から漏れ出している。冷静になると、とても恥ずかしいと思う感想だが、この時は椋居以外の六人全員が驚きに襲われ、我を失っている状態なので、そのことに誰も気づかない。


「お嬢様はお部屋でお待ちですので、そちらにご案内します」

「ああ、いいよ。俺が分かるから連れていくよ」

「いや、ですが、それでは私がお嬢様に怒られてしまいますので」

「緋伊香には俺が言っとくからさ。任せてよ」

「そうですか…では、坊ちゃん、申し訳ありませんがお願いいたします」

「ああ、うん」


 その会話を繰り広げ、羽村は椋居に軽く会釈をしてから、屋敷の奥に去っていったのだが、その中に含まれた気になる言葉を相亀は聞き逃さなかった。


「え?お前、坊ちゃんって呼ばれてるの?」

「ああ、うん。気が早いよね」

「気が早いっていうか、え?どういう状況?」


 現実離れした状況に相亀の理解力が完全に落ち始めていた。もう椋居がどういう立場の人間なのかも分からない。知らない間に大富豪になっていたのかもしれないと思ったら、そのような気もしてくる。


 相亀が混乱している隣では、水月と穂村が屋敷の中を見回して、不思議そうな顔をしていた。


「この家って、羽計さんとさっきの羽村さんしかいないの?」

「いや、今日は緋伊香のお母さんもいるらしいよ。後は業者とかがいるかもね」

「業者?棚卸とかしてるのか?」

「いや、清掃業者。この広さだと掃除が難しいだろう?」


 当たり前のように言う椋居の言葉に相亀は首を傾げた。確かに言っていること自体は当たり前のことなのかもしれないが、前提条件が当たり前ではないこと過ぎて、相亀の頭では正しい判断が下せない。


「その羽計さんのお母さんってどんな人なの?厳しかったりする?」

「何か怯えてない?」


 恐る恐る聞く東雲に椋居が不思議そうに聞いているが、この屋敷を見ていたら誰もがそうなると相亀は思った。堂々としている椋居の方がこの状況ではおかしいはずだ。


 しかし、そこで椋居が唐突に相亀達の考えを吹き飛ばす一言を口にした。


「厳しかったりするわけないよ。だって、あの緋伊香の母親だよ?」


 そう言われ、羽計に逢ったことのある水月と穂村を除く四人が羽計の姿を思い出した。


 その途端、その四人が揃って溜め息をつき、そのことに水月と穂村が驚いた顔をしている。


 何となく、自分達とかけ離れた世界に、自分達の想像も及ばない厳しさがあるかもしれないと考えていたのだが、そこで出来上がった人物が羽計であることを考えると、そんなことがあるはずもなかった。


 いらない偏見を持っていたと相亀は恥ずかしさすら覚えるが、水月と穂村は四人の気持ちが分からないようで、怪訝げに聞いてくる。


「何で落ちついたの?」

「いや、思い出したんだよ。そもそも答えが目の前にあったことに」


 そう言ってから、相亀が椋居に目を向けた。最後の確認をするように全員が考えていたことを代表して口にする。


「羽計の母親は厳しい人ではないってことだよな?」

「当たり前だろう?緋伊香に似た雰囲気の人だよ」


 その一言に安心した顔を見せる東雲達の隣で、相亀は一人だけ笑顔のまま固まっていた。それに気づいた椋居が顔の前で手を振り始める。


「どうした?弦次?聞こえるか?」

「……るのか?」

「え?」

「羽計に…似てるのか?」

「ああ、親子だなって思うよ」


 微笑ましそうに笑う椋居の前で、相亀はダラダラと大粒の汗を掻き始めていた。


 羽計の母親は羽計と似ている。それはそれで地獄かもしれない。普段の羽計の振る舞いを思い出し、相亀はそのように危機感を覚えていた。

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