星は遠くで輝いている(7)
盛大に掲げられたグラスがぶつかり、控えめに甲高い音を鳴らした。店内に軽く響き渡った音に反応し、鈴木と福郎が幸善達の座るテーブルに目を向けてくる。
幸善の見送り会は東雲の乾杯の音頭から始まっていた。掲げられたグラスには、各々頼んだソフトドリンクが入っていて、幸善はグラスを下げるとそれを一口啜った。
ようやく見送り会が始まったわけなのだが、既に幸善の口内は乾燥し、一口のコーラが適度な刺激と一緒に潤いを与えてくれていた。
口内が乾燥した理由は語るまでもない。幸善と相亀の周囲に漂う不穏さが感じ取れれば、すぐに分かることだ。
「何か食べ物も頼もうよ」
東雲が愛香と一緒にメニューを見始めた。比較的大人しい愛香とは対照的に、東雲は姦しさの塊とも言え、幸善の目の前で並んだ二人から店内のざわつきの全てが発生しているように感じられる。
その間も鈴木の視線が幸善は気になっていたが、その視線はどうやら幸善や相亀ではなく、愛香に向けられているようだった。
鈴木が愛香の姉をどのように考えているのか分からないが、もしも恋人の名前通りに考えているのなら、愛香は将来的に義理の妹になるかもしれない存在だ。
その愛香が友人と親しくしている光景に感慨深く思っている。そのように幸善は想像したが、分からないことを考えるべきではないとすぐに思い、再びコーラを啜った。
代わりに相亀はどのように思っているのだろうかと思い、幸善は鈴木の視線について聞こうとした。
しかし、幸善の隣で相亀は絶賛久世に絡まれている最中だった。
「君達はどういう関係なの?東雲さんがサプライズに呼ぶくらいだから、とても親密な仲だったりするのかな?」
「どういう想像だよ!?」
「だけど、君が女性を苦手としていることは聞いているよ」
「別に!?テンパるだけで苦手じゃないから!?」
久世の揶揄いを真正面から受け取る相亀は完全に玩具扱いされているようだった。その地獄絵図とも言える光景に、幸善は早々に言葉を収めて、さっと目を逸らした。
相亀のことだから、次に助けを求めてくる可能性があったのだが、久世の揶揄いを諫める面倒さを幸善は良く知っている。
自分で何とかしろ、と先に言葉だけ心の中で送り、幸善はじっと幸善の顔を見つめていた我妻に目を向けた。グラスを片手に何度かドリンクを啜りながら、幸善をじっと見てくる様子はいつもの我妻のようであり、いつもの我妻でない光景だ。
「どうした?何か言いたいことがあるのか?」
「いや、本当に行くのかと思って」
「ああ、まあ、その予定だけど」
「そうか…」
そう呟いた我妻はグラスを持ったまま、哀愁漂う視線を店外に向けている。
我妻はたまに何を考えているのか分からない瞬間があるのだが、今日は特に分からないと思いながら、幸善が首を傾げた瞬間、目の前に何かが割り込んできて、幸善の視界が真っ暗になる。
「何だ!?」
そう言いながら手を突き出し、幸善はそこにある物がミミズクのメニューであることに気づいた。
「ねえ、幸善君は何を食べたい?せっかくだから、食べ物も頼もうよ」
「それはいいんだが、食って飲むだけか?」
「ううん。食って飲んで話すよ」
訂正されたが何も変わっていないと思いながら、幸善は手元のメニューに目を落とす。食べたいものと言われても、特に食べたいものは思いつかないのだが、適当にこの人数で食べられそうなものでも探そうと考え、幸善はいくつか挙げていく。
それを聞きながら、不意に東雲が幸善の前で呟いた。
「ねえ、幸善君って本当に留学に行くの?」
「何?東雲もそういう質問?」
「うん。何となく、本当なのかなって思って」
その言い方に幸善は一瞬、言葉に詰まってしまったが、すぐに「行く」と答えたら、東雲は興味なさそうに「ふーん」と返してきた。
興味がないなら聞くなと幸善は思ったが、実際、東雲の質問は穿ったものだったので、幸善は下手に会話を続けようとは思えなかった。
我妻に続いて東雲も幸善の留学に疑問を持っていた。それも幼馴染の勘のようなものなのだろうかと思いながら、幸善は逃げるようにメニューを見る。
そこで幸善は急に袖を引っ張られた。子供が注意を引くような引き方だが、その力はあまりに強く、袖が引き千切れるかと思った幸善が怒り気味に目を向けると、困った顔の相亀と目が合ってしまった。
「ヘルプミー」
しっかりと声には出さなかったが、そう言っていることが分かる唇の動きに、幸善は見て見ぬフリをすることにした。
それに抗議するように相亀が再び幸善の袖を引き千切ろうとした瞬間、再び店内にドアベルの音が鳴り響いた。
「こんにちは」
それと同時に聞こえた声は聞き覚えのあるものだった。
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