月と太陽は二つも存在しない(19)
氷に動きを阻まれ、焦る幸善と相亀の心の動きを表すように、戦いの中心に立った氷柱が僅かに震え始めていた。その中には葉様が収められているのだが、その変化に幸善と相亀は気づいていない。
それは相亀に氷を放って、相亀の足の氷が全身を侵食する瞬間を待っている男の子も同じことだった。
誰も気づかずに静かに揺れ始める葉様の入った氷。その表面につけられたアスファルト由来の傷が、少しずつ震えに伴って広がっていく。
流石にその状態にもなれば、相亀と男の子の攻防を見守っていた幸善が気づかないはずもなく、その氷の変化に幸善の目は自然と奪われる。
「何だ…?」
相亀や男の子に届かないほどに小さく、自分の中の疑問を吐き出すように幸善が呟いた直後のことだ。
唐突に葉様の入っていた氷が弾けて、周囲に破片をばら撒いた。
散らばった氷が相亀と男の子を襲い、男の子は咄嗟に壁を作って防いでいるが、相亀は咄嗟に上げた両腕で受けるしかなかったようだ。
「痛い痛い!?何!?」
戸惑った相亀が氷を全身で受け止めながら、必死に叫んでいる隣で、氷の中に入っていた葉様が動き出した。自分との間に氷の壁を作り、散らばった氷の破片から身を守っていた男の子に向かって、葉様が即座に刀を振るう。
氷と刀がぶつかり、激しい衝撃音を響かせる中、男の子は自分に迫ってきた葉様を驚いた顔で見ていた。
「どうして…?」
「仙気をまとっていたから完全に凍っていなかっただけだ。表面に傷が入って、内側からも砕くことができた」
そう言いながら、葉様は氷の表面を撫でるように刀を引き、再び同じ場所を狙って刀を打ちつけた。
今度も激しい音を立てながら、刀と氷がぶつかるのだが、先ほどとは違って、刀が氷に触れた瞬間、氷に大きく罅が入った。そのまま、自重を支えることができなくなったように、氷の壁が崩れていく。
「流石に二倍だと砕けるようだな」
「何を…!?」
氷の壁が砕けたことに驚く男の子を無視して、葉様は再度刀を構えながら、男の子に接近した。
氷の壁が遮っていた内側。刀の間合いに男の子が入るように、葉様は踏み込んでいく。
その動きを男の子がただ黙って見ているはずもなかった。いくら氷の壁が砕けたことに驚いていたからと言って、接近してくる葉様をただ見つめているほどに優しくはない。
葉様との間に距離を作るように下がりながら、男の子はさっきまで自分が立っていた場所に氷を残していた。薄くアスファルトを覆うような氷の床がそこに出来上がる。
そこから、葉様を狙うように鋭く尖った氷の槍が数本飛び出した。
踏み込んでいた葉様の身体は貫かれそうになるが、足元から飛び出したことが功を奏したようだ。咄嗟に足を止めて、上体だけでも外に逸らしたことで、槍の届く範囲から逃れることに成功している。
それでも、足が止まったことは事実であり、その間に男の子は体勢を整え直そうとしていた。
しかし、その葉様の行動で時間ができたのは、幸善と相亀も同じことだった。相亀は今の攻防の間に幸善の近くまで移動し、幸善と共に巨大な氷塊の下に辿りついていた。
「言っておくが、俺に期待するなよ」
幸善が忠告するように伝えると、反対に相亀は笑って自分の顔を指差している。
「そうか。なら、俺には期待しろ。何とかできるから」
「凄い自信だな」
半ば呆れながら、幸善は相亀に言っていたが、その程度の反応は気にならないようだ。相亀は小さく笑みを浮かべたまま、目の前の巨大な氷塊を見上げていた。
「これくらいは小さく見えるくらいの化け物を相手にしてるからな」
その言葉の意味は幸善には分からなかったが、相亀の多大な自信に根拠があることは理解できた。
それだけで自分が協力する理由には十分だ。何より、それ以外の策が幸善には思い浮かばなかったこともある。
幸善と相亀は同時に氷塊の下につき、その下に手を突っ込んだ。
幸善は全身に仙気を移動させ、全力で力を入れていくが、その重さは言葉にできないほどであり、簡単に動くとは思えない。
これは流石に無謀だったかと思っていたら、相亀が幸善の反対側に移動し、そこから持ち上げようとしたようだ。途端に氷塊の重さが減り、ゆっくりと氷塊が幸善側に倒れ込んできた。
「ちょっ…!?待っ…!?」
このままだと倒れてきて、自分が潰されると思った幸善が焦って声を出した瞬間、氷塊の向こう側から相亀の叫び声が聞こえてくる。
「頼堂!一瞬、支えろ!」
その言葉の真意を聞く前に、幸善は倒れてくる氷塊に手を伸ばし、それを支えようとしていた。
それは相亀の指示など関係なく、本能的な危機感から来る行動だ。支えられるかどうかではなく、支えないと死ぬと思った身体が自然と手を伸ばしていた。
そして、氷塊はほんの一瞬、幸善の力で動きを止めた。それをいつまでも幸善一人で支えられるはずもないので、それは本当に一瞬の出来事だ。
しかし、それで本当に十分だったらしい。
「行け!」
そう叫びながら、相亀が氷塊を狙って、足を振り抜いた。仙気をまとった足は浮いた氷塊の底にぶつかり、それが幸善の支えに沿って、そのまま空中に飛び出した。
緩やかに放物線を描く軌道で飛び出し、葉様と男の子の立っている場所に落下していく。
「何をしている!?」
そう叫びながら、葉様は咄嗟に横跳びし、その氷塊の落下地点から逃れていたが、男の子の動きはそれに続かなかった。
「あれ?」
そう呟いた瞬間には、男の子の上に氷塊が落ちていた。
男の子の作り出した氷塊だ。それが不意打ちだとしても、どれほどの効果があるかは分からない。
これで最低でも時間が稼げればいいのだが、と思っている幸善を無視して、相亀は自分の行動の結果に満足した顔をしていた。
「よし!倒した!」
「いや、流石にそう考えるのは早いだろう。相手は人型…」
そう幸善が相亀に忠告しようとした瞬間だ。
氷の下から天に向かって伸びるように炎が吹き出した。
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