月と太陽は二つも存在しない(9)

 約束の時間になって、水月みなづき悠花ゆうかが演習場を訪れると、そこでは先に待っていた秋奈あきな莉絵りえが踊っている最中だった。どうして踊っているのか、水月の理解の追いつかない状況に、取り敢えず、冷静さを取り戻すために、一度扉を閉めることにする。


 もしかしたら、幻を見てしまったのかもしれない。大きく深呼吸を繰り返し、動揺しそうな心を強く落ちつかせてから、水月は再び演習場の扉を開いてみる。


 秋奈が踊っている最中だった。


 再度、扉を閉めて、水月は廊下の壁に凭れかかった。頭をべったりと壁につけながら、さっきの光景を思い返してみるが、何度思い返しても、秋奈の踊っている謎の光景が謎のまま襲ってくる。水月の頭は混乱で沸騰しそうだ。


 どうして秋奈が踊っているのか。考えても分からないことに、水月はこのままだと悩み殺されそうだった。解決のためには少しでも情報が必要であり、その情報が転がっているとしたら、目の前の混沌とした空間の中だけだ。


 そう考えた水月がほんの少しでも情報が転がっていることを祈りながら、演習場の中を覗いてみることにした。ゆっくりと扉を開けて、さっきまで秋奈が踊っていた場所を見ようとする。


 その瞬間、目前に秋奈の顔が現れた。


「キャァアアアアアア!?」

「イヤァアアアアアア!?」


 目と目が合った瞬間に、水月と秋奈は演習場の外と中で同時に叫び始めた。水月は秋奈の顔がそこにあるとは思っていなかったので、そのことに驚いての絶叫だったが、秋奈はまさか水月が絶叫すると思っていなかったようで、水月の絶叫に共鳴するように絶叫し始めている。


「ちょ、ちょっと…悠花ちゃん?ビックリするから、急に叫ばないで…」

「いや、ビックリしたのはこっちですよ…そんな覗くみたいなことをしないでくださいよ…」

「いや、覗いていたのは悠花ちゃんだよ?」


 秋奈の指摘は正にその通りだったのだが、それなら、反対に水月を見るような真似をしないで欲しいと水月は思わずにいられなかった。さっきまで踊っていたところと言い、秋奈の行動は読めないものばかりだ。


 そう思っていたら、秋奈が不思議そうに水月の顔をじっと見てきた。


「ところで悠花ちゃんはどうして覗いたりしてたの?」

「あっ…いえ、あの…秋奈さんが踊っていたので…」

「え?踊っていたら何で覗くの?素直に入ってきたらいいのに。一緒に踊ろう?」

「いや、ちょっと一緒に踊る意味が分からないです」


 そもそも、秋奈が踊っているところから意味が分からないのだが、更に意味の分からないことを言わないで欲しいと水月が混乱した頭で思っていると、秋奈は唐突にニヤニヤとした笑みを浮かべ始めた。水月の経験上、あまり良い時に見られない笑みだ。


「ほら、これを見て」


 そう言って、秋奈は自分のスマホを唐突に突き出してきた。そこには誰かからの連絡が映し出されているのだが、それを自分に見せてもいいのかと水月は心配になって、スマホ越しに秋奈を見てしまう。


「悠花ちゃん?私を見ないでいいんだよ?こっちを見て」

「見ていいんですか?プライベートなこと書いてませんか?」

「大丈夫だから、見てみてよ」


 本人が大丈夫なら見てみるかと思った水月が文面に目を移す。それは葉様からの連絡のようで、そこには幸善の関わっている一連の問題が事細かに書かれていた。


「えっ?これって、結構大変な事態じゃないですか?」

「そうみたいなんだよ」


 何故か嬉しそうに笑いながら秋奈は暢気に言っているのだが、場合によってはQ支部に人型がやってくるかもしれないという報告だ。11番目の男の襲撃を受けて、重傷を負った秋奈を考えると、それは放置しておいて良い話ではない。


「何を嬉しそうにしてるんですか?これは早く支部長に報告しないと」

「ああ、ダメダメ。今はいろいろあって忙しいから、これくらいの情報で報告しても相手にしてくれないよ。そもそも、可能性が薄い話だしね」


 葉様が送ってきたという親しい人間の判断は別として、万人がその話を信じる時に大事になってくるのが物的証拠だ。それがこの話は欠如していて、それを理由に断られるに決まっている。


 秋奈の説明は水月も理解できることだったが、それなら、暢気に踊っていた理由が未だに分からなかった。

 それを水月が怪訝げに聞くと、秋奈は嬉しさを隠し切れない笑みを浮かべながら、こう言ってくる。


「だって、あの涼介君が助けを求めているんだよ?何か成長したみたいで嬉しいなって」


 親心、と咄嗟に水月は思ったが、それを口に出した瞬間に笑顔で切り刻まれそうだったので、何とかその言葉は飲み込んだ。


 それよりも今は踊っている場合ではなく、連絡にあった事態の対処のために動くべきだと水月が思っていると、秋奈は唐突に立ち上がり、踊るように演習場の中を移動して、そこに置いてあった刀を手に取っていた。


 既に何度も見た水月には分かることだが、それは名刀『秋刀魚さんま』だ。


「さあ、悠花ちゃん。じゃあ、行こうか。涼介君からのせっかくの助けだもの。動かないと損だよ」


 損という考えは分からなかったが、動かなければいけない内容であることに変わりはない。水月は頷き、持ってきた竹刀袋を持って、二人で演習場を飛び出した。

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