月と太陽は二つも存在しない(10)

 以前なら考えられなかった葉様からの救援要請に、喜び勇んで踊っていた秋奈を連れ出し、Q支部に近づく人型の対応のために演習場を飛び出した水月だったが、Q支部の外に向かうよりも先に問題が起きていた。


 それがQ支部内の廊下を走っている途中のことだ。前方から歩いてくる人影に気づいた瞬間、秋奈が急に足を止めて、水月の背後にそっと隠れた。

 少し雰囲気の怖い大人を前にした子供のような反応に、水月は戸惑いながら秋奈を見た。秋奈は前方から近づいてくる人を見て、その人に怯えているように見える。


 しかし、Q支部を始めとする奇隠の中に、秋奈が怯えるような人物がいるとは思えない。相手が実力や権力で自分の上にいたとしても、秋奈はその差を気にすることなく、平然と話しかける胆力があるはずだ。


 そのはずなのに秋奈が怯えるとは何者なのかと前方に視線を移し、こちらに近づいてくる人物の顔を確認した水月が酷く納得した。


 それは鬼山きやま泰羅たいらだった。隣には飛鳥あすか静夏しずかも連れていて、急ぎ足でどこかに向かっている最中のようだ。方向的には中央室かもしれない。


 水月は鬼山の姿に軽く会釈し、鬼山と飛鳥を見送ったのだが、その直後に疑問を懐いたのか、鬼山が立ち止まって、こちらを振り返った。その時には水月が鬼山の方に身体を向け、その後ろに秋奈が隠れていたのだが、身長的に大きな差のない水月の身体で秋奈の身体を完璧に隠せるはずもない。

 鬼山が怪訝げに眉を顰めながら水月に近づき、その背後にいる秋奈を覗き込む形で確認した。


「秋奈さん?何をされているのですか?」

「ちょ…ちょっと…かくれんぼ…?」

「そうですか。非常に楽しそうですが、その鬼は誰ですかね?」

「えーと…それは…」

「まさか、名前に鬼が入っているから私とか言いませんよね?」


 覗き込んだ当初こそ、眉間に皺を寄せていた鬼山だったが、それも今は柔らかな笑顔に変わり、その笑顔が言葉の怖さを増していた。ただ壁になっている水月も、その笑顔に背筋が伸びるほどだ。秋奈はどんな顔をしているのか想像もできない。


「水月?何をするところだった?」

「えっと…」


 唐突に話を振られ、水月は困りながら、ちらりと背後の秋奈を見た。秋奈は涙目でかぶりを振り、必死に言い訳を要求してくるが、そうそう最適な言い訳など思いつくはずもない。


「今から特訓に付き合ってもらうところで」

「そうか。それは良い心がけだ。しかし、演習場はこちらではない。向こうだ」


 鬼山が自分の背後を指差した瞬間、秋奈がそっと水月の肩を掴み、その背中を押し始めた。


「ですよね~。ほら、やっぱり、私の言った通りでしょう?」


 そう言いながら、慌ただしく秋奈は水月を押して、演習場の方に戻っていく。完全に戻るコースだが、水月は一つ思っていることがあった。


「いっそのこと、素直に報告すれば良かったのでは?」

「あのピリピリした雰囲気。やっぱり、今は忙しいのよ。それを邪魔することなんて言えないわ。私が怒られてしまう」


 流石に内容が内容なので、そこまでの理不尽さを鬼山が発揮するとは思えないが、完全に秋奈は怯えているようだ。普段、それだけ怒られているということなのだろうが、その振る舞いをまずは正すべきなのではないかと水月は思ってしまう。


 問題は演習場に戻ることで、葉様からの救援要請に応えられないということだ。このままでは最悪の事態に繋がってしまうかもしれない。

 そう思うのだが、秋奈に摺り込まれた恐怖は秋奈の決意を鈍らせたようで、演習場にそのまま戻ってきた秋奈は外の様子を窺ってから、そっと水月の背中を押してきた。


「え?」

「ごめん。悠花ちゃん、一人で見に行ってくれる?」

「いやいや、相手は人型ですよ!?」

「でも、ほら…ね?」


 分かっているだろうと言いたげに聞かれても、分かっているが了承できるものではない。そう思っても、秋奈は崩れそうになく、水月は秋奈を崩せそうにもなかった。


「ちょっと様子を見てきますから。後から来てくださいね」

「…………うん、分かった」


 絶対に後から来ないと思いながら、水月は演習場を後にして、どうするべきかと考えていた。一人で様子を窺うことほどに無謀なことはない。

 やはり、鬼山に報告するべきかと考えてみるが、それでQ支部が動いてくれるのかは分からない。


 他に手段があるのだろうかと考え、水月が廊下を歩いている途中のことだった。


「おっと、考えごとか?」


 曲がり角で誰かとぶつかりそうになり、咄嗟に回避した後にそう声をかけられた。水月が顔を上げてみると、不思議そうに水月を見る二人の男がそこに立っている。


「あっ」


 思わず、そう口に出したのは、その二人の姿が今の水月の悩みを解決するためにちょうど良い二人だったからだ。水月の視線に二人は不思議そうな顔のまま、顔を見合わせている。


「あの、ちょっといいですか?」


 水月がそう切り出すと、牛梁うしばりあかねと七実春馬はるまは首を傾げた。

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