豚は食べると美味しい(2)

 秋奈が水月や葉様の特訓を引き受けたと言うのなら、幸善がQ支部に長居する理由もない。満木との連絡先の交換を終えると、幸善はすぐに家に帰ることにして、Q支部から立ち去った。


 理由の大半は幸善の耳に片寄り、耳目的の付き合いとしか言いようがないものだが、女性である満木の連絡先を入手できて、内心嬉しくないと言えば嘘になるくらいには、幸善のテンションも上がっていた。浮ついた話は微塵も期待できないが、男からしか連絡が来ない寂しさと比べると、色がある通知欄の方が心も穏やかになるものだ。


 結局、Q支部で幸善が役に立つことはなかったが、向かって悪いことでもなかったと思いながら、幸善は帰宅早々自室に荷物を置くために入っていった。


 そこに少し遅れて入り込んできたのがノワールだった。軽く開いた扉を全身で押し開け、滑り込むように入ってきたノワールが、いつもの少年のような声で話しかけてくる。


「帰ってきたのか」

「おかえりとか、普通に言えよ」

「言って欲しければ、ただいまって言えよ」


 軽く言葉の拳で殴ってみたら、見事なカウンターが返ってきたので、幸善は黙ることにした。これが実際の拳だったら、幸善の顔はおたふく風邪にかかった時くらいに腫れているはずだ。


「仕事は終わったのか?」


 黙りこくった幸善に追撃することを選ばずに、ノワールは部屋の中に座り込みながら、そう聞いてきた。ノワールの鼻がピクピク動いているところを見るに、ついさっきまで一緒にいたグラミーの匂いに気づいたのかもしれない。それでQ支部に仕事で行ったと思ったのだろう。

 そこで幸善は誤解を解くためにかぶりを振っていた。


「いや、今日は仕事じゃないよ」

「ん?そうなのか?」

「ああ、ていうか、最近仕事がないんだよ…ね?」


 そこで幸善はようやく疑問を懐いた。


 最後に仙人の仕事があったのは三日前のことだ。そこから、今日に至るまで何もなかったのだが、人型ヒトガタの存在が確認されている状況で、何もないことがあり得るのだろうかと幸善は思った。

 せめて、他の妖怪にまつわる仕事くらいなら、幸善達にもありそうなものだが、冲方うぶかたれんからの連絡は一向にない。


「良く分からないが、そんなに仕事がなくて普通なのか?いや、他の仕事なら普通なのかもしれないが」

「そうだよな。人型が近くにいることも分かっているし、その調査が進んでいるなら、何か妖怪絡みの仕事が俺達に回ってきそうなものだよな」


 そう呟きながら、幸善は冲方に確認を取ってみるかと思い、連絡してみることにした。ほんの少し前に満木と連絡先を交換する時に使ったスマホを取り出し、そこで交換したばかりの満木ではなく、冲方に電話をかけてみる。


 数回のコール音が鳴り響き、やがて、電話は繋がることなく切れる。忙しいのだろうかと思いながらも、もう一度だけと思い、幸善が電話をかけてみたが、それも繋がることはなかった。


「出ないな…」


 一応、別の形で連絡した理由だけ残しておこうと思い、冲方に仕事があまりにないことを疑問に思った旨を送ってから、幸善は少し待ってみたが、冲方がそれを確認した様子はなかった。


「何かあったのかな?いや、でも、何かあったら、奇隠から連絡がありそうだよな」


 もしかしたら、他の人が何か聞いているかもしれないと思い、幸善は試しに牛梁うしばりあかねに連絡してみることにした。他の冲方隊の面々の中で、最も事情を聞いている可能性が高いのが牛梁だ。こちらは冲方と違い、数度のコールを待つこともなく、すぐに電話に出てくれた。


「もしもし、頼堂か?」

「ああ、はい。ちょっと牛梁さんに聞きたいことがあって連絡しました」

「聞きたいこと?」

「はい。冲方さんに連絡しようと思ったんですけど、連絡が取れなくて。何か聞いていませんか?」

「いや、特には何も聞いていないが。何か用事か?」

「いえ、あまりに仕事がないので、大丈夫なのかと思いまして」


 幸善が発端となると疑問を口に出したら、電話の向こうで軽く牛梁が笑い出した。その声に幸善は自然と首を傾げる。


「頼堂。それは最近のいろいろがあって一種の病気になっているぞ」

「え?病気ですか?」

「妖怪という特殊なものと関わる仕事だ。本来の仙人はここまで忙しくならない。たった数日何もなかっただけで、大丈夫なのかと思い出すのは病気だ。少し休め」


 言われてみると、何もなかったのは今日で三日だけだ。以前はもう少し空くことも多かったので、これで普通に戻ったと考えるべきなのだろう。


「冲方さんのことは後で確認してみるが、何かあったのなら、別で連絡があるはずだ。恐らくは大丈夫だろう」

「ですよね」

「頼堂はゆっくり休めよ」

「分かりました」


 最後に礼を言って電話を切り、それから、幸善は自分が忙しくないと不安を覚えるようになっていた事実に気づいた。確かに以前は仕事がない日数が数日続くことは当たり前にあったが、それだけ休んでいる実感はあまりなかったのに、今は休んでいる実感が強くある。


 そう思ってから、幸善は最近、自身が仙技にまつわる特訓を一切していないことに気づいた。以前は相亀あいがめ弦次げんじを相手に肉体強化の仙技を伸ばすための特訓を行ったりしていたが、それも久しくやっていない。


 何も仕事がないのなら、その時間を無駄にするのも勿体ないことだし、相亀を誘って特訓をしてみるかと思い、今度は相亀に連絡しようとしてみた。試しに電話をかけてみると、数回のコール音が耳元で鳴り続ける。


 そして、最終的に電話は繋がることなく切れた。


 その状態のまま幸善は固まり、何も言うことなく、もう一度かけてみるが、今度も相亀が出ることなく電話は切れる。


 幸善はゆっくりと深呼吸を繰り返し、耳に当てていたスマホを顔の前に持ってきた。そこで大きく息を吸ってから、勢い良く吐き出すタイミングで思いっ切り声を乗せる。


「お前は出ろよ!」


 その声にノワールが大きく身体を震わせながら驚き、階下から頼堂千幸ちゆきの「うるさい!」というクレームの声が聞こえてきた。

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