猿の尾は蜥蜴のように切れない(4)

 準備は万端整った。この瞬間のために費やしてきた時間は計り知れないが、それだけの価値がここにあるはずだ。ここでの経験を得て、自分は更に飛躍する。


 そのように思いながら、相亀はQ支部を訪れていた。少し前まで骨折し、今は仙人の仕事を休んでいる状態の相亀だが、その復帰も目前に迫り、明日から仙人としての仕事を再開する予定である。


 だが、今日はそれとは関係なく、最近の相亀が望んでいたことの実現のために、このQ支部を訪れる必要があった。事前にどこにいるかは聞いている。最初は分からなかったが、いろいろと照らし合わせて、その場所が演習場の一つを指していることが分かった。その部屋まで相亀は緊張した面持ちで向かっていた。


 最後にできるだけのことはやったつもりだ。これでダメなら、もうどうしようもない。後は気合いとフィーリングで乗り切るしかない。相亀は自分に活を入れるため、目的の演習場の前に到着すると、軽く頬を叩いた。


 それから、相亀が入った演習場には先客がいた。その人物こそが相亀の待ち合わせ相手であり、相亀が望んでいた状況をようやく作り出してくれた人だ。


「遅いなぁ」


 そう呟いた言葉は辛うじて聞き取ることができ、相亀は申し訳なさそうに頭を下げながら近づいた。


 ラウド・ディール。相亀がここで逢うように約束していた相手であり、最近の時間を費やしてでも、相亀が自らの特訓を頼んでいた相手だ。相亀と同じか、それ以上に肉体強化以外の仙技を苦手としながら、序列持ちナンバーズのNo.4という地位にいるディールは相亀の理想だった。特に廃校で助けられた時に、その力の強さを目の当たりにして、相亀は骨折した後、怪我が回復したら戦い方を教えてくれるように頼み込んでいた。


 ただし、残念なことにディールは相亀に教えたくないのか、相亀が日本語で頼んでいるので何を言っているのか分からないのか、一切受けてくれなかったのだが、昨日、病院で目覚めた相亀の前にディールがやってきて、ここで待っているという風に伝えてきたのだ。何を言っているのかは分からなかったが、丁寧に地図まで用意してくれたので、その地図を解読することでこの場所が分かった。ただ地図の難易度は高かった。


 ディールは到着した相亀を冷めた目で見つめてきていた。ハッキリと何を言っていたのか理解できたわけではないが、恐らく何かを教えてくれるのだろうと相亀は勝手に期待している。そうではなかった場合、相亀は何を理由に呼び出されたのか、正直分からない。


 もしかして、あまりにも自分がしつこいから、ここで始末しようとしているのかと不意に相亀は考えた。流石にそれはないと思うが、どうなのだろうと不安になっていると、ディールがようやく口を開く。


「ハッキリ言って、お前が強くなるとは思ってないし、強くするつもりもねぇ。お前が使える奴かどうか聞かれたら、即答で邪魔だと答えるくらいだぁ」

「はい!」


 良く分からないが、相亀は取り敢えず、元気に返事をしておいた。そうしたら、大体いいだろうと思っている。


「ただお前に教えることで、俺自身には変化があるかもしれないからなぁ。その餌になってもらう。分かったかぁ?」

「はい!」


 やっぱり、何を言っているか分からないが、相亀は元気に返事をしておいた。これで大体いいはずだと相亀は思い込んでいる。


「多分、イエスってことだなぁ」


 満足したように呟きながら、ディールはウォーミングアップを始めていた。何か良く分からないが、始まるようだと思った相亀が緊張と期待から身体を少し強張らせる。その前でウォーミングアップ中のディールは言葉を続ける。


「多分、お前もそうだと思うが、複雑な言葉は聞いていて眠くなるだろう?理論とか、そんなことは馬鹿らしいと思わないかぁ?」

「はい!」

「そうだよなぁ。なら、やっぱり、一番は実戦だぁ。実戦で実践してこそ、戦い方は身につくぅ。なぁ?」

「はい!」

「なら、俺から言えることは一つだけだぁ」


 相亀の目の前でディールが拳を構えた。その動きに相亀はゆっくりと首を傾げる。


「俺から逃げろぉ」


 今の単語は学校で覚えた中にあった。確か、『逃げる』とか、そういう意味だと相亀が思っていると、不意にディールが相亀との距離を詰めてきた。


「え…?まさか…?」


 咄嗟に後ろに下がった相亀の目の前に、ディールの拳が振り下ろされる。頑丈な演習場のはずだが、床には軽い罅が入っている。


「逃げろって言ってる…?」


 そう聞き返した相亀の言葉に、もちろんディールが答えるまでもなく、更に距離を詰めてくるディールから逃れるように相亀は走り出した。


 地獄の時間が始まっていた。

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