鯨は水の中で眠っても死なない(13)

 男が服を着ていない理由は全く分からなかった。どうやって、相亀の身体に入っていたのか、相亀の身体を操っていたのか、その方法は何だったのか、考えることは山ほどあるが、そのどれもが分からないことだ。


 ただ明確に一つ判明したことは、妖気を放つ目の前の存在が、人の形をしていることだ。それが人型であることは疑いようのない事実だった。


「邪魔するなぁ、No.7」


 ディールが全裸の人型に警戒する目を向けながら、七実に牽制の意を込めて、そう告げた。No.7という呼び名で、七実も自分のことであるとは分かっているはずだ。


 だが、何を言っているかは伝わらなかったらしく、ディールの顔をきょとんとした様子で見てきた。


「いや、もうちょっとゆっくり話してくれないか?何を言っているか全然分からない」

「何を言っているか分からないなぁ」


 何を言っているか分からないという気持ちで、お互いに分かり合っている様子のディールと七実に、唯一どちらの言語も分かる全裸の人型は楽しそうに笑っていた。


「面白いな、お前ら」


 わざわざ丁寧に、二人の言葉に合わせて、その言葉を二回も言ってくれる。それを察したディールと七実が、その人型の言葉に不快そうな顔をした。その様子に人型は更に満足した顔をする。


「自己紹介は必要か?」


 日本語で呟かれた人型の言葉に、ディールは七実に視線を送ることしかできなかった。七実が何かを答えた直後、人型はぽつりと答える。


「No.5」


 ディールと七実のどちらにも該当しない番号に、それが目の前の人型のことであると、話の流れが分からないディールにも分かった。


 No.5、教皇ザ・ハイエロファント。それが目の前の人型の正体らしい。相亀の身体の中で、埃をはたいている時にも思ったが、その丁寧に自己紹介をしてくる余裕さが、ディールは気に入らなかった。


 密かに拳を握り、ディールは教皇に飛びかかるタイミングを窺っていた。それに気づいたのか、隣の七実が唐突にディールを遮るように手を伸ばしてきた。その行動にディールが苛立っていると、七実が小さな声で何かを言ってくる。


「もう少しだから、待て」

「はぁ?何を言ってるんだぁ?」

「待て」


 思い出したように「wait」と言ってきた七実に、ディールは先にこいつから殴ろうかと思ってしまった。それも何とか寸前で止まり、冷静に七実の仙技を思い出し、せこいことをしているのかとディールは理解する。

 七実の仙技は遅効性の毒のようなものだ。じっくりと、効果が出るまでに時間がかかるが、一度効果が出てしまうと、人型であっても一定の効力を示す。


 そんなものは必要ないとディールは思ったが、七実を敵に回すには、教皇の存在も厄介だ。ディールは仕方なく、七実の言うことを聞き、しばらく待ってやることにした。


「それよりも、どうした?お前らは手を出してこないのか?」

「いやいや、そちらこそ」


 七実は教皇と何かを話しているようだが、ディールは会話に入れなかった。何を話しているのだろうかと考えながら、七実の仙技がいつになったら効くのかと思っていると、不意に七実が不思議そうな顔をする。


「お前らは?」

「お、気づいた?」


 教皇がそう口に出した直後、ディールや七実の足元から水が、じんわりと溢れ出してきた。それが網状に組み合わさっていく様子に、七実が咄嗟に何かを叫んだが、叫ばなくともディールも理解していた。

 ディールと七実が水から逃れるようにバックステップし、教皇との距離を取ろうとする。それを阻止するように、教皇がこちらに踏み出してきた。


 その時だった。教皇が大きく体勢を崩し、地面に顔から倒れ込んだ。


「あ、また、これか?」

「どうやら、効いたみたいだな」


 そう呟いた七実に、ディールは不満を漏らしながら拳を構えた。


「遅すぎる」

「今のは分かった」


 怒った様子の七実が何かを言ったが、ディールは無視をして、教皇に近づいていく。あとは殴って終了だとディールは考えていたが、倒れ込んだままの教皇がそこで呟いた。


「まあ、意味ないけどね」

「意味ない?」


 英語で呟かれた言葉にディールが眉を顰めた直後、教皇の身体が水に変わり、地面に吸い込まれていった。


「はぁ!?」

「何が起きたんだ!?」


 驚いたディールと七実が慌てて教皇の転がっていた場所に近寄ってみるが、そこには湿った地面があるだけで、さっきまでそこにいたはずの教皇の姿は完全に消えている。


「逃げたのかぁ?」


 ディールが苛立ちながら呟いた足元で、静かに水が湧き出ていた。

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