鯨は水の中で眠っても死なない(14)

 七実とディールの意識が湿った地面に向いている最中のことだった。二人の足元から唐突に水が吹き出し、触手のように二人の足に絡まってきた。絡まった部分を僅かに濡らした感触を残しながら、水はきつく締めつけてくる。すぐに気づいた二人は咄嗟にその場から離れようとしたが、水の触手は非常に頑丈で、少し引っ張ったくらいでは切れそうになかった。


「何だぁ、こいつは!?」


 ディールが何かを呟きながら、空中に浮かんだボールを蹴るように、足を勢い良く振り上げていた。鋭さを感じさせる勢いに、激しい風の音が聞こえてくるが、水は足に絡まったまま、地面とディールの足を繋いでいる。


「逆だ!引っ張るべきなんじゃないか!?」


 七実が思いつきを口に出してみたが、ディールに通じている様子はない。不快そうに眉を顰めたディールを見て、七実は必死に両手で水を引っ張る仕草を見せた。七実の力では不可能でも、ディールならできるはずだ。


 そのジェスチャーで何とか伝わったのか、ディールが足に絡まった水を手で掴んでいた。流石に足を拘束できるくらいなのだから、手でもちゃんと掴めるらしい。ディールは地面から、その本体を引き摺り出そうと、綱引きのように勢い良く水を引っ張った。


 すると、七実やディールの足に絡んでいた水の発生源から、全身を透明な水に変えた教皇が飛び出してきた。


「おっと?」


 驚いた様子で呟いた教皇をディールはそのまま手元まで引っ張り、もう片方の手を思いっ切り振り抜いた。ディールの全力の拳が、水の身体をした教皇とぶつかり、凄まじい音を立ててから、教皇の身体は四散した。


「どうだぁ?」


 満足したようにディールは口に出していたが、七実は足に絡んだ水が消えていないことに気づいていた。妖術を使った本人が消えたら、足の水は触手のような形をやめて、ただの水に戻るはずだ。


 それがないということは、そう思った瞬間、ディールの足元から水が吹き出し、ディールの身体をすっぽりと包み込んだ。シャボン玉の中にディールが収まったような光景だが、シャボン玉と違い、中まで水で満たされているようだ。ディールは目を見開き、必死に両手両足を振るっているが、水の表面が合わせて伸びるだけで、形が崩れる気配はない。


 ここは自分が助けるしかない。そう思った七実がディールに駆け寄り、ディールの身体をそこから押し出そうとした。水は自由に形を変えても、ディールの身体に変化を及ぼすことはできないはずだ。ディールの身体そのものを押し出せば、水の中から押し出せる。


 そう考えたことによる行動だったのだが、七実が動き出そうとした瞬間、七実の足に絡まっていた水が、七実を地中に引っ張り始めた。その力はかなり強く、七実の足は一瞬で地面に減り込み始める。


(折れる…!)


 危機感を覚えた七実が咄嗟に水を経由し、仙気を送り込もうと考えた。動きが鈍くなれば、七実を拘束する力も弱くなり、ディールの動きに合わせて適応する水も、遅れが生じてくるはずだ。

 そう思ったのだが、気づかれることを危惧することなく仙気を送り込んでも、水の力は一向に弱まらない。


 この方法はダメなのかと気づいた七実が、仙気を送り込むことを中断し、地面から離れるために思いっ切り地面を蹴りつける方に仙気を回そうとした。


 その瞬間、水の勢いが一気に弱くなり、七実は想像以上に飛んでしまった。足に水を絡めたまま、空中に浮かんでしまった七実は自らの失敗に気づいたが、その時点で既に遅い。


 七実の身体が自由になったと気づいた時には、足に絡んでいた水が動き出し、七実を地面に叩きつけた。咄嗟に全身を仙気で覆って、防御することに成功するが、七実を襲った衝撃は凄まじく、七実の集中は否応なく薄れていく。

 そこに二度三度と、水による地面への叩きつけが繰り返されると、仙気による防御で耐えるどころか、仙気による防御を維持すること自体が難しかった。


 一瞬、七実の身体を保護していた仙気が乱れた時を狙ったように、足に絡まっていた水が動き出し、七実を地面に叩きつける。そこで襲ってきた衝撃は凄まじく、七実はそこで意識を失っていた。


 その頃には、水に捕らえられたディールも既に意識を失い、自らを覆っていた水から解放され、地面に倒れ込んでいる状態だった。その場所に教皇が地面から湧き出てくる。


「これで選び放題だ」


 そう呟きながら、教皇はディールの身体を見下ろしていた。次に七実の身体と見比べて、再びディールを見つめ始める。


「入るなら、こっちか。こっちの方が丈夫そうだ。そっちはいらないな」


 七実を一瞥した教皇が七実に手を伸ばした。その瞬間のことだった。


「さっきから騒がしいのですが、何かありましたか、七実先生」


 その声が近くから聞こえてきて、教皇の視線が動いた。ちょうどそこで、この場所に近づいてきたその声の主が、この場所を覗き込んできて、教皇と目が合った。


 それはだった。

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