吊るされた男は重さに揺れる(11)

 ワイヤーに吊るされたように、重戸の動きは軽やかで、相亀はその下で無様に両足を振り払っているようにしか幸善には見えなかった。足を勢い良く突き出した蹴りも、踵をこめかみに沈めようとした回し蹴りも、逃げる先を潰すように逆立ちの姿勢から放った蹴りも、その全てを重戸は軽やかに避けて、相亀から距離を取る。


「逃げるなよ!?」

「無茶言わないでよ!?」


 それはそうだと幸善は重戸に同意した。自分が当てられないから、相手に逃げるなとお願いするようでは、ただの子供の遊びだ。実際、さっきからの二人の関係は、夢中になる子供を極めて冷静に対処する大人に見えなくもない。


 相亀は既に頭に血が昇り始めているのか、次第に冷静さを失っている一方で、重戸は四方八方からあの手この手で蹴りを噛ましてくる相亀を、軽々とした跳躍で冷静に躱し続けていた。それが数秒から数十秒、相亀の懇願から数えて続いているが、幸善は次第に不思議に思い始めていた。


 さっきから、重戸は一向に攻撃に移らない。最初に幸善を殴ったように、重戸は近づいてきた相亀を殴り飛ばすこともできるはずだが、それをする気配がない。本当に避けることだけを考えているように見える。


 あまりに手数が多いと面倒に思っているなら、相亀を重くして潰してしまえばいいが、それをする様子もないところを見ると、そこに秘密があるのかもしれないと思い、幸善は冷静に相亀が来るまでの重戸の行動を思い返すことにした。


 最初の攻撃は不意打ちだった。幸善の顔面を唐突に遅い、軽く触れただけで突き飛ばしたように幸善の頭を動かしてきた。あれも幸善を潰した重さの応用なのだろう。そう考えると、あの攻撃だけで幸善を倒せたはずだが、それはしなかった。それは恐らく、人型は幸善を殺せない制約があるからだ。耳持ちとしての幸善を殺して、その存在した経緯を明らかにしないまま、全ての妖怪が敵に回る可能性を人型は恐れている。


 だから、次に重戸は幸善を押し潰そうとした。あれは幸善の行動を防ぎ、逃走手段をなくし、ノワールという邪魔者を消し去る最も合理的な手段だったのだろう。少なくとも、重戸の取れる手段の中ではそうだったに違いない。ただ幸善が風を起こして逃げてしまったために、重戸の策略は失敗に終わってしまった。


 そういえば、どうして重戸はすぐに逃げた先の幸善を潰さなかったのだろうと急に疑問に思った。重戸のあの重さは一定範囲にしか効果がないようだった。そのことをあの時に見抜き、幸善は風を起こすことで逃げ出したが、その先でしばらく無様な醜態を晒すことになった。そこで重戸は幸善をすかさず攻撃することで、相亀の到着前に決着をつけることもできたはずだ。


 それをしなかったと考えるには、あまりに不自然と思った時に、幸善はあの時の重戸の行動を思い出した。幸善の立っていた場所に立ち、重戸が不思議そうに幸善に話しかけてくる。問題はその時の最初の一歩だ。幸善の立っていた場所に立った瞬間、バランスを崩したように重戸はよろめいた。あれがどういう意味だったのか、見たままに考えると、幸善は一つの思いつきを得る。


「あの重さによろめいた…?」

「どうした?」


 唐突に呟いた幸善にノワールが不思議そうな顔をした。その顔も気にせずに幸善は重戸の今の行動の意味を考える。仮に幸善の考えが当たっているなら、重戸の妖術は非常に制限的であり、使いづらいものだ。そこを突くことで、今の幸善と相亀でも勝機はあるかもしれない。


「おい、相亀!」


 まとまった考えを伝えようと思い、離れた位置で遊びを続けていた相亀に声をかけた。重戸に逃げられ続けること約一分。既に疲労は限界近くまで溜まっているようで、肩で大きく息をしながら、相亀が驚いた顔で幸善を見てくる。


「お前、何でそこにいるんだよ!?ここは俺に任せろって言っただろうが!?」

「いやいや、どの口が言ってるんだよ?任せられるように見えないけど?」

「お前こそ、このまま続けて、ノワール怪我させたらどうするんだよ?怪我を見せるつもりが増やしましたとか洒落になってないんだぞ?」

「そんなこと考えてたのかよ」


 呆れた自尊心で自分に任せろと言ったのかと思ったが、どうやら相亀なりに幸善、というか、ノワールを気にかけてくれたらしい。やり方が下手すぎて、全く幸善に伝わっていないところは問題だが、その心意気は買っても良かった。


「つーか、それならお前こそ無理するなよ?さっきから腕庇って攻撃できてないの、相手にも伝わってるぞ」

「え?マジで?」


 急に冷静になった相亀が重戸に目を向け、重戸は無言で頷いた。あれだけ蹴りしか入れてこなかったら、何かあることは誰にでも分かる。あれだけ避け続けた重戸に伝わっていないわけがない。


 相亀が重戸から距離を取って、幸善に近づいてきた。その顔は動き回っていたからなのか、さっきのやり取りを恥ずかしく思っているのか、仄かに赤くなっている。


「それで、わざわざ声をかけてきたからには何か分かったのか?」

「そんなところだ。タイミングを合わせろ。そしたら、あの動きも、あの重さも、全部問題なくぶち抜ける」

「面倒なことじゃないよな?」

「分かりやすくて爽快なことだ」

「本当か?」


 信じられないと表情で語る相亀を無視し、幸善は肩の上のノワールに目を向けた。さっきの攻撃の影響を受けていないかと心配に思ったが、その様子もなさそうで、不遜な表情で鼻を鳴らした。


 幸善と相亀が視線を戻した先で、さっきまで相亀と遊んでいた重戸が、少し困ったように見える表情で立っていた。その姿から目を離さないように気をつけながら、幸善は掌から風が起こせることを確認した。

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