吊るされた男は重さに揺れる(12)

 幸善の軽い耳打ちを受けて、相亀が重戸に飛びかかった。行動は基本的にさっきまでと変わらない。腕に配慮した足技中心の構成。相亀は腕の使用を最小限に抑え、くるくると回転するように重戸に蹴りを噛ましていく。


 それを受けた重戸が空中を漂うように回転し、相亀の足が触れる前に軽やかに距離を取った。相亀が距離を詰め、くるくると回転しながら蹴りを放っても、重戸は同じように躱して、移動するばかりだ。


 その隙を狙って、幸善は走り出した。目標は相亀と重戸が現時点で衝突している場所の手前、さっきまで相亀と重戸が歯車のように、くるくるとお互いに回っていた場所だ。ノワールに一声かけて、肩からずり落ちないように注意しながら、幸善はそこで跳躍した。


 その瞬間に確信を得た幸善が、その軌道のまま、くるくると回る重戸の上に辿りついた。そこから落下する前に、掌から起こした風の勢いで宙を舞い、フワッと重戸を飛び越えた先に着地する。これで幸善と相亀は重戸を挟むことに成功した。


「おいおい、そんな無茶な動きをして、大丈夫か?」


 着地した瞬間にノワールが心配したように呟くが、幸善は笑って「大丈夫」と答えた。


「軽く跳んだだけだから、問題ないよ」

「軽くって…どこがだよ?」


 幸善が飛んできた軌道を見て、ノワールが困惑した顔で呟いた。確かに軌道だけを見ると、相亀や重戸の頭の上を大きく飛んできたように見えるが、実際は本当に軽くジャンプしたくらいの力しか幸善は使っていなかった。それなのに、ここまで辿りついたことが、重戸の妖術の正体を語っている。


 相亀の攻撃から逃れるように、空中に重戸が身を投げ出した瞬間を狙い、幸善は風の勢いを借りて急接近した。その勢いのまま、幸善が相亀の真似をするように足を突き出し、重戸に蹴りを入れる。


 それを重戸は上げた腕で受け止めた。相亀の上を飛び越えるように吹き飛び、重戸が少し転がりながら着地する。その様子を見ていた相亀が驚いた顔で幸善を見てきた。


「何で当てられたんだ?」

「単純なことだ。空中は無防備なんだよ。自由に飛べるわけじゃないんだ」

「どういうことだよ?」


「あの妖術の正体はだ。それも自由に操れるわけじゃない。恐らく、強さと方向を変えてるんだ」


「段階的?」

「一気に変えられないんだよ。だから、俺を潰そうとした時も、一気に潰れることはなかったし、気づくまでに時間がかかった。その後に追撃がすぐに来なかったのは、来なかったんじゃなくて、まだ気づけるほどに重くなっていなかったんだ」

「ああ、そういうことか…」

「だから、俺はそれを食らってないわけね」


 ノワールと相亀が納得したように呟き、重戸に目を向けた。盛大なネタバレをされた重戸は気まずそうにこちらを見ている。「正解」と言ってくることはないが、「不正解」と言ってこないところを見ると、当たっているのだろう。


「単純に軽くなって跳んでいるだけだから、空中だと無防備なのか」

「そういうことだ。それに多分、同時に干渉できる場所も限られていると思う。同時にいくつでも重力を操れるなら、相亀が移動しそうな場所を片っ端から重たくしたら終わるからな。できて二つか三つ。逃げる方に回すと攻撃できないくらいの数だ」

「なるほどな。タイミングを合わせろって言った理由が何となく分かってきた。逃げるってことは、身体はそこまで丈夫じゃないってことだよな?」

「多分な」


 相亀が不敵に笑った目の前で、重戸がこちらを見たまま、苦笑いを浮かべた。相亀はやる気を増したようだが、幸善の考えた打倒重戸のための作戦は現在進行形で進展している。そのことに相亀は気づいていないようだが、肩の上のノワールは気づいたようで、ぐったりと項垂れながら呟いた。


「重い…」


 その一声の前で、ノワールの言葉が分からない相亀が一歩踏み出し、不思議そうに身体を見ていた。ゆっくりとこちらを振り向く顔は、とても間抜けにきょとんとしている。


「何か重くない?」

「まあ、これだけ長話していたら、重くするだろう」

「するだろう…じゃねぇーよ!?どうするんだよ?」

「大丈夫だ、問題ない」

「それ問題ある時の台詞!」


 無駄に騒ぐ相亀の後ろで幸善は重く、地面に落ちようとする腕を伸ばした。狙う相手は先で待っている重戸――ではなく、相亀の背中だ。既に一度の攻撃で確信したことだが、幸善の打撃では重戸に対するダメージとして少し弱い。重戸に確実なダメージを与えるためには、それだけの威力を出せる人物ではないといけない。


「…というわけだ!相亀、すまん!任せたぞ!」

「…え?何、急に?」


 頭の中で勝手に言葉を並べて、一切伝えることもないまま、幸善は相亀の背中に風を起こした。強い風で押された相亀が、自分達に降り注ぐ重力の外側に飛び出し、重戸に向かって猛烈な速度で吹き飛んでいく。


「よし、綺麗に吹き飛んだな」

「分かりやすくて爽快ってそういうこと!?」


 相亀が困惑しながら、飛んでいく重戸に目を向けた。重戸は突如として発射された相亀の姿に、目を丸くしたまま、咄嗟に重力の準備を始めようとしている。


 だが、行動の把握しやすい相亀の攻撃と違い、事前に準備を出てきていない時点で、重力の操作が間に合うはずがない。重戸は途中で諦め、咄嗟に自分の腕でカーテンのように顔を保護した。


「仕方ねぇー!」


 自分の顔を保護する重戸の前で、咄嗟に突き出した相亀の拳が、重戸の腕に突き刺さる。その衝撃に重戸は顔を歪めながら、飛んできた相亀と絡まりながら、背後に転がっていく。


 その瞬間、幸善を潰そうとしていた重力が少しずつ弱まり始めた。幸善は咄嗟に風を起こし、転がった相亀と重戸の上に飛び、そこから風の勢いのまま、二人の上に落下する。


「行け!相亀!」


 その一声と一緒に相亀の背中を強く押し、押された相亀の拳が重戸のガードを突き破って、重戸の身体にぶつかった。その衝撃に重戸が声とも呼べない声を口から漏らした直後、鈍い音と一緒に気を失う。


 着地した幸善が重戸の顔に耳を近づけ、未だに呼吸が続いていることを確認した。意識を失っただけで死んではいないらしい。そのことにホッとしたように幸善は崩れ落ち、地面に転がるように寝転んだ。疲労が既に限界に達しようとしていた。


「よし…何とか終わったな…」

「ああ、無事に終わったな…本当に逝ったよ…」


 そう言って相亀が幸善の前で腕を上げた。その腕は肘の辺りからだらしなくぶら下がり、風に漂うように左右に揺れている。


「え?あっ…マジで?」


 驚きで固まった幸善とノワールの前で、相亀は黙ったまま涙を流した。


「ごめん…」


 少しして連絡を受けたQ支部からの仙人が、気を失った重戸を確保しに来た。そこで正式に、折れかけていた相亀の右腕が、完全に折れたことも確認された。

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