吊るされた男は重さに揺れる(5)

 苦し紛れに相亀が放った「親族の者です」の一言を聞き、管理人は険しい顔をした。流石に無理があるだろうと、全身全霊の心の声で幸善はツッコミを入れる。当の本人もそう思っているのか、言った側から大粒の汗を流し、表情を強張らせている。


 浦見の家を訪問して早々、ややこしいことになった。流石にもう少し策を考えておくべきだったと幸善が後悔した目の前で、管理人が口を開いた。


「そりゃ珍しいね。浦見さんのところに人が訪ねてくるなんて」


 そう言いながら、管理人は険しかった表情を和らげていた。面食らった幸善と相亀の目の前で、管理人はかけていた眼鏡を外し、近くに置いてあった別の眼鏡を手に取った。


「間違えた…こっちだ…」


 小さくそう呟き、新しい眼鏡をかけ、こちらを見てきたかと思うと、満足そうに笑っている。何をややこしいミスをしているのかと幸善が心の中で抗議した直後、隣で相亀が安堵したように息を吐いた。足下ではノワールが釣られたように欠伸をする。


 年齢は七十代くらいだろうか。白髪頭の老爺である管理人は立ち上がるのも大変そうで、念入りに腰を気遣いながら、ゆっくりと椅子から立ち上がった。脇に置いてある鍵の一つを取り、管理人室からゆっくりとした足取りで出てくる。

 それを急かす必要もないので、幸善と相亀は管理人が出てくるまで、ただ黙って待っていた。その間にノワールが二回、欠伸をする。


「うん?ワンちゃん?」


 管理人室から出てきた管理人が幸善達を見て、そう聞いてきた。さっきまで高さ的に見えていなかったはずだ。その反応にペット禁止だったかと幸善は思った。


「すみません。犬はダメですよね…?」

「ああ、いや、大丈夫だよ。ペット飼ってる人もいるから。ただペット連れで親戚の家に訪ねてくるのが珍しいと思って」


 漫画だったら背中に『ギクリ』と効果音が鳴るところだった。この管理人は微妙に鋭い。幸善と相亀は揃って愛想の混じった苦笑いを浮かべるしかない。


「まあ、あの人の親族っていうくらいだから。まあ、ねえ…」


 何か微妙に気になる言い回しだったが、下手に追及しても良いことにはならなさそうだったので、幸善と相亀は揃って流した。


 それよりは管理人から浦見の話を聞くことが先決だろうと思い、幸善は管理人の案内で歩き出した直後、浦見の生活のことを聞き始めた。


「浦見さんはどんな感じでした?近所付き合いとか」

「ああ、まあ、それなりに。それなりにだね。ただ仕事の影響なのかな?いる時間帯が不定期だから、決まって仲の良い人はいなかったと思うよ」

「ああ、なるほど…」


 確かに取材の内容によっては動く時間が大きく変わりそうな仕事だとは思った。そのスタイルに合った人物となると、同僚くらいしかいないだろう。


「でも、悪い人じゃないからね。寧ろ、いい人だから、評判はいいよ。皆からもある程度は信頼されてる」

「ある程度…?」

「ちょっと行動が怪しい時がたまにあるから、通報されて警察から電話が来るところが唯一の難点かな?」

「その難点があって、評価がいい人なのが凄いですね…」


 普通に考えると、ただの不審者である。


 だが、浦見の場合はあの人だったら、通報されても仕方がないで笑えるくらいに、周囲の人に変人であると知られているということか。それなら、浦見の動きが多少は変でも、怪しく見られることはないだろう。


 もしくは多少、変だったからそう思われているのか。どちらにしても、浦見が人型であることを払拭する証拠にはならない。


「ここだね」


 管理人が一つの部屋の前で立ち止まり、鍵を開け始めた。扉には『浦見』と書かれた表札がかかっている。


「どうぞ、入って。帰る時には教えてね」


 管理人はそう言って、幸善と相亀を部屋の中に入れるなり去っていった。それでいいのかと幸善は言いたくなるが、それでいいくらいのところだから、浦見も受け入れられているのかもしれない。


「取り敢えず、調べてみるか」


 相亀の一言を聞き、幸善と相亀、それからノワールが別々に浦見の部屋の中を歩き出す。幸善と相亀は人型かどうかの調査、ノワールは寝床探しだ。


 浦見の部屋は基本的に物が多く、特に端に寄せられた物はちょっとした山を作り出していた。


 一本が折れて二脚になっている三脚。数年前に刊行された雑誌。遊び方の分からない玩具。中身の入っていないDVDケース。三分の一ほどが残っている五百ミリリットルのペットボトル。電源の入らないスマホ。

 一つ一つを確認してみたが、そこに格段怪しいものがあるわけではなかった。


「おい、頼堂。こっち来てみろ」


 不意に隣の部屋を調べていた相亀に呼ばれ、幸善は移動する。その声に誘われたのか、部屋の片隅に寝床を作って寝ていたはずのノワールも、幸善の足下を歩いている。


「これ、見てみろよ」


 そう言って、相亀はテーブルの上に数枚の写真を並べた。どうやら、そのテーブルの上にまとめて置いてあったもので、その大半が取材の過程で撮った写真らしい。誰か良く分からない人物や、何か良く分からない物が被写体になっている中で、相亀の並べた写真だけは何が写っているか分かった。


「あっ、俺だ…」


 思わずそう呟いた写真には、幸善とノワール、それからフクロウの福郎ふくろうが写っていた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る