吊るされた男は重さに揺れる(2)
気絶。失神。その表現の方が近く、家に帰った幸善は一瞬で意識を失った。ベッドに倒れ込み、瞼を閉じたところまでしか、幸善は覚えていない。
結果的に死神に止めを刺したのは秋奈だったが、それまで相手をしていた幸善の消耗は激しかった。特に仙術の多用を起因とする仙気の消耗は激しく、家に帰るために歩くだけで精一杯なくらいだ。
死神の攻撃を受け、怪我を負ったノワールにまで心配されるほどで、ベッドにもギリギリ辿りついた状態だった。
そこから意識を失えば、泥のように眠り続け、幸善は簡単に目が覚めることはない。近くで工事が始まったくらいの騒音ではビクともしない。
そのはずだったのだが、幸善は目を覚ますことになった。
原因は声だ。それもただの声ではなく、とても騒がしい声。そこに猛烈な揺れが重なり、幸善は目覚めた。
地震か、と思うほどだったが、そうではなかったことも目覚めた瞬間に分かった。
目を開いた幸善の目の前に、激怒した頼堂
「お、おはよぅ…」
反射的にか細い声で挨拶した瞬間、千明がゆっくりと深く息を吸い込んだ。
「お兄ちゃん!?どういうこと!?」
怒髪天を衝く。千明の声は幸善の鼓膜を正確に破壊した。
「どういうことも何も…」
第一声で鼓膜が潰れて何も聞こえない、みたいな発言は火に油を注ぐ結果にしかならない。実際のところ、キーンという甲高い音はしたが、鼓膜が破れた感じはしないので、そのことを口に出したい気持ちは押さえて、千明が何を言っているのか分からないという風に首を傾げてみた。
「分かってない顔しないで!分かるでしょ!?」
そう言いながら、千明が指差した先ではノワールが眠っていた。昨晩、幸善と一緒に家まで帰ってきて、そのまま眠りに落ちた幸善と一緒にノワールも眠ったようだ。
「ノワールが寝てるね」
「寝てるね…じゃない!?」
千明が何を怒っているのか、幸善にはイマイチ理解できなかった。ノワールを自分に取られたと思っているのだろうか、とは思ったが、流石の千明もそこまで幼くはない。その程度でここまで激怒するはずはない。
あまりに幸善の反応が鈍いからなのか、ついに千明は軽く拳を握って、幸善の肩を小突いてきた。いつもの勢いはなく、あまり痛くはないのだが、それ以上に拳が小さく震えていることに気づき、幸善は動揺した。
見た目や声以上に本当に怒っていて、そして、本当に悲しんでいる気持ちが伝わってきた。
「本当にどうしたんだ?」
幸善がそう言った瞬間、千明は目から涙を零した。
「何で、ノワールが怪我してるの…?」
その一言を聞いた瞬間、幸善は言葉を失った。
あまりに麻痺していた。怪我をすることが当たり前のように感じてしまっていた。それは
死ななかったから良かった。本当はそうではないはずなのに。
「ごめん…」
説明はできない。そのことにも申し訳なさを覚えながら、幸善はそれだけ呟く。
もちろん、千明がその一言に納得するはずがなく、幸善の顔をきっと睨みつけてきた。
「何がごめんなの!?何があったの!?」
「……ごめん……俺がちゃんと…守れなかった……」
幸善が小さく謝っても、千明の涙が止まることはなかった。
その涙の理由に気づかない幸善ではない。幸善が何を言っても、千明の涙を止められないことも分かっている。
ノワールが不意に目覚め、千明の近くに寄っていった。その手を何度もペロペロと本当の犬のように舐めている。その姿に千明は小さく笑い、ノワールの頭を撫でた。
その後、ノワールは幸善の身体に飛び乗ってきて、幸善の耳元でとても小さく、幸善にしか聞こえない声で囁いた。
「気にするな…」
気にしているわけではない。少なくとも、ノワールのことを気にしているわけではない。
「なあ、千明。ノワールの怪我、俺が病院に連れていってもいいか?」
それは妖怪だからとか、そういう理由ではなく、幸善が何とかしたいと思ったからだった。
千明は幸善の顔を見上げ、厳しい目を送ってくる。その視線も幸善は耐えないといけない。それは正当な評価だ。
「次、同じことがあったら…」
「分かってる」
千明の言いたいことは言われるまでもなかった。幸善も同じことを考えていた。
「なら、いいよ…」
「ありがとう…」
「それと、昨日の晩の口止めの話だけど…」
頼堂
「ああ、あれか。何がいい?ケーキとか、甘い物?」
「いや、あれだけど、ちょっと今じゃなくていい?もう少し先で使いたいんだけど…」
「え?ああ…別にいいけど…」
何か不穏な空気を感じたが、今の状況から断ることもできない。幸善は了承し、部屋から出ていく千明を見送った。
それから、幸善はスマホを見た。今日は日曜日で、近くの動物病院は休みか、午前中までしか受け付けていないところばかりだ。時間的に今すぐ家を出て、何とか間に合うところだと思い、幸善は身支度を整えようとする。
そこで冲方から連絡があった。Q支部に集まるように指示するもので、理由は何も書かれていない。
そのことに幸善は少しだけ嫌な予感を覚えた。何より、昨日からの今日の招集だ。何かある可能性の方が高い。
Q支部なら時間帯も関係なく、ノワールの怪我を見てくれる。せっかくだから、ノワールも連れていくかと思い、幸善はノワールに事情を説明する。
「怪我の治療なら、昨日受けたぞ?」
「もう一回、見てもらった方がいいだろう?な?」
「確かにそうだが…その招集は大丈夫なのか?俺はしばらく放置とかならないか?」
「ああ…多分、大丈夫…」
「信用できないな…」
ノワールは完全に疑っていたが、幸善の説得の甲斐もあって、幸善と一緒にQ支部に向かうことに決定した――のだが、この時のノワールの疑いは決して杞憂ではなかった。
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