死神の毒牙に正義が掛かる(17)

 無事だった。その言葉が示す通りに水月と穂村に怪我はなかったが、その様子は無事と表現してもいいのか、少し疑問に思うものだった。二人が待つ部屋の中は照明が壊れているのかと思うほどに薄暗い。


「みんな…」


 その部屋に顔を出した幸善達の顔を見て、水月が弱々しい声で呟き、微かな笑みを浮かべた。きっと心配させないように作った笑顔なのだろうが、その笑顔を見た方が不安になる。

 その声でようやく気づいたようで、穂村は軽く顔を上げ、幸善達を見るが、その表情は明るさの欠片もなく、またすぐに俯いてしまった。


 穂村は仙人ではない。何があったのか正確には知らないが、葉様が怪我をした姿を見たり、妖怪を殺したのならその死体を見たり、いろいろと衝撃的なことが多かっただろう。特に目の前で仙人が怪我をする姿は水月の姿とも重なるはずだ。

 自分の知らないところで、水月はこのようなことをしているのかと思ったら、心の底から怖くなったはずだ。


「大丈夫なのか?」


 動けないでいた幸善と相亀よりも先に、牛梁がそう声をかけながら歩き出した。水月は軽く頷き、「ご心配をおかけして申し訳ありません」と謝ってくる。


「謝ることじゃない」


 かぶりを振りながら、牛梁が心配そうに穂村を見ると、水月が穂村の背中を軽く摩り始める。


「怖くなってしまったみたいです。私が仙人をしていることが」


 やっぱり、そうなのか。幸善はそう心の中で呟きながら、相亀と一緒に二人の近くまで歩いた。俯いた穂村はいつもよりも小さくなっているように見える。


「そうなってしまうのも仕方がない。聞くよりも見ることで分かってしまうこともある。水月がどれだけ危険な場所にいたのか、気づいてしまうと怖くなるはずだ」

「皆さんは…怖くないんですか…?」


 穂村がゆっくりと顔を上げ、不思議そうに聞いてきた。それはただ疑問に思っているという顔ではなく、どこか自分とは違う化け物を見るような表情だ。穂村からすると、平然といる幸善達が信じられないのだろう。


 その質問に幸善は口を開きかけたが、すぐに回答が出てこなかった。「怖くない」と安直に答えることもできたが、それは幸善の気持ちとは少し違っていた。


 最初はもちろん、怖かったはずだ。死ぬことも、怪我をすることも、当たり前のように怖かった。

 だが、今はそうではない。怖くない、と表現するのは少し違う。もっと正確に表す言葉があると思い返し、幸善は一つの答えを見つける。


「もう考えないようにした」


 思いついたその言葉を幸善は呟けなかった。その言葉はそれこそ、化け物の言葉だ。


「怖くない」


 自分の気づいた言葉にゾッとして、口を噤んだ幸善の隣で、相亀がその言葉を呟いた。全員の視線が相亀に集まった瞬間、相亀はその言葉の続きを呟く。


「――と言えば、嘘になる。俺は人並みに死にたくないし、怪我もしたくない。痛いことから嫌だ」

「凄い弱音…」

「お前は違うのかよ?ドMか?」


 思わず呟いてしまった言葉にそう返され、幸善は全力で否定の言葉を投げつけた。その反応に相亀が小さく笑っていると、穂村がまだ不思議そうな顔で聞いてくる。


「怖いのに、どうして辞めないの…?」

「選ばれたからだ」

「選ばれた…?」

「そう。俺達は他の誰にもできない、妖怪という相手を前にしてを手に入れたんだ。なら、怖いとかいう理由で捨てて、後悔したくない」


 相亀の言葉に穂村が驚いた顔をしていたが、それは幸善も同じことだった。隣で真面目な顔をしている相亀を見て、心底感心した声を漏らしてしまう。


「お前、たまに凄く良いこと言うな」

「ああ?お前の中で俺はどういう扱いなんだよ?」

「馬鹿」

「お前のことじゃねぇーか」


 幸善と相亀が無言で殺意を飛ばし始めた中、相亀の言葉で少しだけ気持ちに整理がついたのか、整理をつけようとしているのか、穂村は黙って俯き、何かを考え始めたようだった。その姿に少しだけホッとしたのか、水月がようやく冲方の不在に気づく。


「そういえば、冲方さんは?」

「ああ、頼堂と相亀が捕まえた雑誌記者を引き渡しているはずだ。もう少ししたら来ると思う」


 牛梁がそう呟いた直後、部屋の扉が開かれる音がした。


「来たみたいだ」


 そう呟き、牛梁と水月が扉に目を向けるが、そこに立っていた人物は冲方ではなかった。相亀と睨み合っていた幸善も、その人物が挨拶するように声を出したことで、ようやく気づく。


「お久しぶりです」

「あれ?その声…?」


 そう呟きながら、幸善と相亀が扉に目を向けると、そこには佐崎と杉咲すぎさき未散みちるが立っていた。

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