死神の毒牙に正義が掛かる(2)

「何ここ…?」


 心の底から驚いた声が東雲しののめ美子みこの口から漏れた。愛香まなか四織しおりはあまりの驚きで声の一つも出ていない。その二人を連れ、頼堂らいどう幸善ゆきよし相亀あいがめ弦次げんじがQ支部を訪れた段階で、既に連絡を受けていた冲方うぶかたれんが待っていた。浦見と重戸を他の仙人に引き渡し、幸善と相亀は冲方の案内で秋奈あきな莉絵りえが待っている部屋まで移動する。


 そこで東雲と愛香は二人に軽い話を聞かれながら、状況の軽い説明を受けていた。その光景は少し形が違うが、幸善も体験したことのある光景だ。あの時はお茶だったと思いながら、二人の脇に置かれたオレンジジュースの入ったコップを見る。


「あの人の趣味だな…」


 そのジュースを眺めながら、小声で呟いた相亀は秋奈から離れるように幸善に身体を近づけてきた。相亀の苦手意識は秋奈の前では増幅させられるらしい。幸善は暑苦しいと相亀を押し返すのだが、相亀はそれにも抵抗するように、更に身体を近づけてくる。


 その間に冲方と秋奈の説明は終わりの時間を迎えていた。一口か二口か、口をつけられたコップを脇に置き、東雲と愛香はぐったりと眠っている。


「東雲?愛香さん?」


 幸善が試しに声をかけてみるが、二人は目を覚ます気配がない。どうやら、完全に眠っているらしい。


「取り敢えず、必要以上に多く記憶を消すと他の人との記憶に差異が生まれそうだから、必要以上には触らない方が良さそうだね。この支部の記憶とかは消さないといけないけど、ショッピングモールの記憶は少し置いといた方が良さそうだ」

「それで大丈夫なんですか?」

「まあ、この二人くらいなら大丈夫だよ。他にその言葉を本気で信じる人はいないと思うし」


 本気で、と言われると怪しいところだが、確かにカマキリの化け物の存在を鵜呑みにする人は幸善の周りにいない。多少は疑うか、本気で心配して病院に行くことを勧めてくる相手ばかりだ。そのことは経験済みなので分かる。


 そうなると、問題は幸善がずっと気になっている方だった。


「それで私は何を確認したら良かったんだっけ?」


 その場に呼ばれた秋奈が自分の呼ばれた理由を確認してくる。実は秋奈を呼んだのは冲方ではなく、東雲や愛香、浦見と重戸を連れていくと先に伝えた幸善だった。


 それは東雲達と合流した直後のことだ。浦見に最速土下座を噛まされ、混乱する幸善だったが、相亀と一緒に二人を確保し、東雲や愛香と話そうと二人に近づいた。


 そこで二人から奇妙な匂いがしていることに気がついた。その独特な匂いは日常生活の中で嗅いだ覚えのないものだが、幸善が全く知らない匂いではなかった。

 というよりも、その独特さから嗅いだ瞬間に思い出した。


 それは間違いなく、かおるの妖術の匂いだった。


 その確認をしたかったのだが、時間的にノワールを連れ出すことは難しく、他に嗅いだ人がいないかと考えている最中に思い出した人物の一人が秋奈だった。虎の一件の後に幸善のいる医務室を訪れ、そこで眠っていた佐崎ささき啓吾けいごに顔を近づけていた秋奈なら、その匂いを嗅いでいたに違いない。


 確信はなかったがそう思ったら、それ以外の候補もなく、幸善は秋奈を呼んでもらっていた。そのことを説明すると、すぐに秋奈が東雲と愛香に顔を近づけ、匂いを嗅いでいる。


「どうですか?」

「女の子の良い香りがするね」

「いや、そういうことではなく」

「後、これは…オレンジジュース?」

「飲んでましたからね。ていうか、隣に置いてますからね」


 無駄に回りくどい秋奈に苛立ちながら、幸善が何とか堪えていると、秋奈がゆっくりと顔を上げ、軽く小首を傾げた。ここで「分からない」とか言い出したら、何と怒鳴ろうかと幸善が考えた瞬間、真面目なトーンで秋奈が呟く。


「多分、同じ匂いだと思う…ちょっと時間が空いている上に、特別鼻がいいわけじゃないから、確信があるわけじゃないけど、かなり似てると思うよ」

「き、急に真面目ですね…」

「いや、実はね。もう一つ、気になってることがあるんだよ」


 秋奈が急に真面目に答え始めるほどに気になっていることは何かと、幸善だけでなく、相亀や冲方も思ったようで、三人は揃ってきょとんとした顔をする。


「二人が話してた青い髪の男の子だけどね。多分、同じ子に私と涼介りょうすけ君も逢ってるんだよ」


 涼介君が一瞬、誰のことなのか幸善は分からなかったが、すぐに葉様はざま涼介の顔を思い出し、苦々しい顔をした。こんなところで話を聞くとは、と幸善が思っている間に、秋奈の話は思わぬ方向に転がる。


「ただ二人が言っていた西館じゃなくて、東館で。しかも、カマキリが現れる直前まで一緒にいたんだよ」

「え?ていうことは、ほとんど同じ時間帯の別の場所で逢ったってことですか?」

「そういうことになるんだよね…一応、双子の可能性はあるけど、それなら、その子と逸れたって言ってもおかしくないのに、男の子はねえねとしか言ってなかったんだよね。二人もそうみたいだし」

「何それ?ドッペルゲンガーみたい」

「どういうことなんだろう?」


 幸善達はそのことに少し頭を悩ませるが、あまりに情報が少ない上に、それが情報として必要なのかどうかが分からない。ここで頭を悩ませても時間の無駄だと思い、四人は途中で考えることをやめた。

 代わりに薫のことについて話し始める。


「取り敢えず、頼堂君が以前逢ったNo.14節制テンパランスが再び動き出した可能性は報告しておくよ。青い髪の男の子のことは謎だけど、必要な情報かどうか分からないから、保留ってことにしておこう」

「二人はどうするんですか?」

「これから、軽く記憶を操作するから、二人で送り届けてくれないかな?二人の住所は分かる?」

「俺は愛香さんの住所を知らないです」

「それだったら、以前の繋がりで分かるはずだよ。ちょっと待ってて」


 冲方が部屋を出ていくところを見送り、幸善は相亀や秋奈と一緒に部屋の中に残る。秋奈に怯える相亀が幸善に助けを求めるように近づいてきて、その相亀を揶揄って秋奈は楽しそうにしている。その様子は呆れた顔で眺めながら、幸善は薫のことを思い出していた。


 再び薫が動き出した。それも東雲や愛香に接触してきている。浦見が眠っていた二人を見つけていたということは、きっとその理由に薫も関わっているのだろう。何とかしないと二人に危険が及ぶかもしれない。

 そう思ったところで疑問が生まれた。


 眠らされた二人はどうして無事だったのだろうか。その疑問に気づき、首を傾げた幸善に向かって、逃げようとした相亀がぶつかってきた。その衝撃で疑問は吹き飛び、代わりに相亀に対する怒りが生まれ、幸善は拳を握っていた。

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