魔術師も電気羊には触れない(13)

 仙気による保護を行えば羊を運べると分かり、奇隠の用意した檻まで無事に羊を運び終えたところのことだ。そこでピンク達は人型に関する報告を受けた。既にハートの手によって、人型自体は始末されたが、その戦いの痕跡が街中に残っており、大規模な記憶操作が必要であることを伝えられ、そのためにピンク達も駆り出されることになった。


 ただし、この話の一番の問題はそこではなかった。ピンク達が向かうことになったその場所、人型のいた建物の話を聞き、ピンク達は自然と呼吸を止めていた。合わせて人型が生前名乗っていた名前や立場を伝えられ、ピンク達は急がなければいけないのに、走り出すことができなかった。


 リック・フィリップは人型だった。そして、サイス・ハートによって始末された。その事実は簡単に処理できるものではなかった。


 それでも、ピンクはしばらく固まってから、すぐに現場に走ることにした。その気持ちの整理の仕方にフェンスやドッグは驚いていたが、別にピンクは気持ちの整理がついたわけではなかった。

 ただ考えている中で思い出してしまったのだ。そのカフェで働いていた友人のことを。


 今日が休みであることは聞いていた上に、報告に巻き込まれた一般人のことが明言されていないことから、巻き込まれていることはないのだろうとは思う。

 だが、巻き込まれていなくても、自分が働いているカフェで何かが起これば駆けつけるはずだ。何が起こったのかと知ろうとするはずだ。


 そうしたら、ツイルはそこで嫌なことを知ってしまうことになる。その瞬間を一人で味わわせたくない。


 気づいたら、ピンクは問題のカフェの前に到着していた。そこは既に立入禁止状態になっており、野次馬が少しだけだが集まってきている。周囲には警察ではなく、奇隠に所属する仙人がいて、現場の修復のために動いている。


 その光景を眺める野次馬の中にツイルはいた。人混みを掻き分け、カフェの前まで行くと、入り口や店内が焼き焦げたように見えるカフェを見て、悲しそうに顔を歪めている。


「すみません!そこの店で働いている者なんですけど!」


 近くの仙人に声をかけているが、声をかけられた相手はその声に耳を傾けていない。ピンクはツイルの背後から近づき、ツイルの肩に手を置く。


「タイム…」

「ミラーか…店が…あの様子で…」


 そう言いながら、ツイルは今にも泣きそうな顔をしていた。その顔に何かを言おうと思い、ピンクは口を開くが、何も言葉が出てこない。


「何があったのか、誰かに聞きたいんだけど、誰も聞いてくれなくて…店にいた人が無事なのかも確認したいのに、それもできなくて…」

「誰が店にいたの?」

「今日は…」


 そこまで言って、ピンクを見てきたツイルだったが、その次の言葉が出てくることはなかった。少し何かを思い出すように視線を彷徨わせてから、すぐに小さくかぶりを振る。


「ごめん…何でもない…取り乱していたみたいだ…」


 その様子に次の言葉が来るまでもなく、ピンクは分かってしまった。


「今日はだった…」


 ツイルの言葉に誰も反応しないのは、ここで反応する必要がないから。既にツイルの記憶は書き換えられ、しばらくしたら、何もなかったように家へと帰るだろう。

 そうして、明日になったら、無事に綺麗になったカフェで、いつもと変わらない様子で働き始める。


 もしかしたら、そこに小さな違和感を覚えることがあるかもしれない。本来はいたはずの人のことを思い出し、妙な寂しさを覚えることがあるかもしれない。


 だけど、それがツイルの記憶の全てを戻すわけではない。何かおかしいと思っても、そこにいたはずのリック・フィリップという人間はツイルの知らない人間になっている。その名前を聞いて、どこか懐かしさを覚えたとしても、その人との時間はツイルの記憶にない。


 それが当たり前だと分かっている。奇隠を、何より、ツイルを守るためだと分かっている。

 分かっているが、ピンクはそこに寂しさを覚えてしまった。いなくなったフィリップと共に、そこにあったはずの時間がなくなってしまった気がした。


 フェンスやドッグがフェザーに連れられ、現場までやってきたのは、それからしばらく後のことだ。既にツイルが帰った後で、三人を一人で出迎えたピンクを見て、フェンスとドッグは悲しそうに顔を歪めていた。

 その表情を見て、うまく笑えてしまったのだとピンクは気づいていた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る