魔術師も電気羊には触れない(12)

 時間をかけるべきではない。ハートがその決断を下した時、向かい合っていたフィリップも同様の決断を下していた。これまでに放った雷の本数は少ないが、最初の一発で倒し切るつもりだったフィリップは妖気の節約をしていない。消費した妖気は総量の半分以下になっており、これ以上長引かせると明確に不利になる。


 手を握ったり開いたりするハートを見ながら、フィリップは全身から雷を迸らせていた。最初は毛のように生えていたものが、少しずつ服のようにフィリップの表面を張りつき、薄く伸びていく。雷は鎧というよりも、装飾という方が相応しい形で、フィリップの身体を雷色に変えていく。

 その様子を眺めながら、ハートは小さな笑みを浮かべていた。その笑みは余裕さも感じさせるものだ。


 その前でフィリップは表面にまとっていた雷を増幅させていた。その雷を支えに少しずつフィリップの身体は浮かび始め、やがて膨れ上がった雷の中にフィリップの身体は消えていく。


 それから、雷はだんだんと人の形を作っていた。そこまで来ると、ハートの表情から笑みが消え、代わりに驚きや好奇心の混じった表情に変わっている。


「おおぅ…凄い…何か、そういう石像みたい」


 ハートが感心したように呟く前で、雷によって巨大な人の姿に変化したフィリップが立ち上がっていた。全身にまとった雷からは小さな雷が迸り続け、カフェの中に無数の黒い焦げを生み出している。


 本来は打ち出すことで消費する雷をまとうことにより、継続的な攻撃が可能になる一方で、秒単位で減っていく妖気の量は凄まじいことになる。この形態になった時点で、フィリップに残された時間は少ない。


 ハートを見下ろし、フィリップが拳を握ると、まとった人の姿をした雷も、同じように拳を握った。その様子に感心したように声を漏らすハートに向かって、フィリップは拳を構える。


「うん…?」


 ハートの口から疑問符のついた言葉が漏れ出た直後、フィリップはその場所に向かって拳を振り下ろしていた。その速度は速く、どれだけハートが速く動こうとも、見てから避けることは不可能なはずだ。


 地面とぶつかった瞬間、巨大な雷の落ちる音を響かせながら、フィリップはその場所に百発以上の拳を叩き落した。地面は巨大な雷を受けたように黒く焦げ、床は簡単に破壊されている。その中央にいるはずのハートは、姿を確認するまでもなく、粉砕されていることが容易に想像できるほどに、その場所は壊れていた。


 フィリップは一心不乱に殴り続け、回数が二百に届こうかというところで、拳を止めた。これ以上の使用は妖気の消耗の激しさ故に、生命活動に支障をもたらす。この辺りで終えようと思い、フィリップがまとっていた雷を剥がし、殴っていた場所に近づく。その場所はインクをばら撒いたように黒く、床を叩き割ったことで生まれた瓦礫はその多くが瓦礫と確認できないほどに小さくなっている。


 この中で人が生きていられるはずがない。そう確信したフィリップが小さな笑みを浮かべた。


「凄いね。当たってたら、流石に死んでたよ」


 その声が聞こえてきたのは、その瞬間だった。フィリップは振り返り、いつのまにか、自分の背後に立っていたハートを見やった。ハートは不敵な笑みを浮かべており、感心したようにフィリップが殴り続けた跡地を眺めている。


「どうして、そこに…?あの一撃を避けた…?」

「ああ、避けるのは流石に無理だったと思うよ。見てから、避けられる速度じゃなかったし、前の雷みたいに予備動作がある攻撃でもなかったしね」

「じゃあ、どうして…?」

「先に仕掛けてただけだよ。君が長い準備をしている間に、僕の準備は終わっていたんだ。気づいてる?」


 ハートが手を伸ばしたことに怯え、反射的にフィリップが下がった瞬間、そこで何かとぶつかった。一瞬、壁かと思ったが、その位置に壁がないことは長らく店員を務めてきたフィリップの方が知っている。


「気づいてなかった?」


 その声がで聞こえた。


「君の認知はんだよ」


 フィリップは反射的に前方に飛び、ハートの間に距離を作っていた。目の前に確かに立っていたはずのハートが、その場所に移動した経緯が分からず、フィリップは混乱していた。

 認知が遅れている。その言葉の意味も分からない。


「君はどうせ死ぬから種明かしをしてもいいんだけどね。面倒だからいいかな。まあ、一つだけ言うと、僕のオリジナルじゃないんだけどね。No.7。序列持ちのNo.7の得意技なんだけど、これは。ああ、そうそう。君の身体から発する臭いを見つけたのも、No.9の借り物だし、そういった意味では君は序列持ちに負けた形になるのかな?」


 ハートの言葉を聞きながら、フィリップは再び雷を身にまとおうとしていた。妖気の残量は少ないが、ハートに止めを刺すだけなら、それでも問題はない。体表を伝うように小さな雷を生み出し、それを膨らませようとする。


 その瞬間、ハートが思い出したように声を出した。


「あ、今更、攻撃しようとしても、もう遅いよ」


 ハートの言葉の意味が分からず、フィリップが声を出そうとした直後、フィリップは自分の身体が唐突に宙を舞っていることに気づく。そのことに疑問を懐いた瞬間、ハートが続けるように「だって」と声に出し、フィリップの視界にフィリップの身体が飛び込んできた。


 それを確認した時、フィリップの意識は途絶え、フィリップの頭が地面に落ちる。ほんの少し前まで、フィリップが目の前に立っていると感じていたハートはフィリップの背後に立ち、手についた血を払うように右手を振るった。


「君、もう死んでるし」


 その声が既に息絶えたフィリップに届くことはなかった。

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